鈴木孝政氏は1984年に初の開幕投手…報道陣に話したのに信じなかったという プロ野球で怪我や病気、長期間の不調から返り咲…
鈴木孝政氏は1984年に初の開幕投手…報道陣に話したのに信じなかったという
プロ野球で怪我や病気、長期間の不調から返り咲いて活躍した選手に授与されるのがカムバック賞だ。元中日投手の鈴木孝政氏(中日OB会長)は1984年に受賞した。28試合に登板して16勝8敗。1978年の10勝以来の2桁勝利で9完投、2完封の安定感抜群の投球だった。かつては150キロ超えの快速球ストッパーだったが、右肘を故障して、先発で新境地を開いた。ただし、この年もスタートは“波乱含み”だった。
1984年シーズンから中日を率いたのは山内一弘監督。現役時代は毎日、阪神などで活躍した打撃の職人。通算2271安打、396本塁打、1286打点で、首位打者1回、本塁打王2回、打点王4回の超大物だ。引退後は、いつまでも続く熱心な指導ぶりが有名で「やめられない、止まらない」がキャッチフレーズのカルビーのスナック菓子から“カッパえびせん”の異名を取った。「身体」「感情」「知性」の心身の3種類の波を表すバイオリズムも取り入れていたことでも知られた。
「監督室にあったなぁ、先発ピッチャーのバイオリズムが。『今日はお前、頭脳は駄目だから飛ばしていけ』とかね。そりゃあ、そんな線で決められてたまるかって思ったよ。でも、山内さんは優しくて、真面目な方で、とにかく少しでも力になりたい、少しでもいい材料を提供したいって感じだったからねぇ……」。そんな新指揮官から鈴木氏は開幕投手に指名された。自身初の栄誉は4月6日の広島戦(広島)。5回2失点で、しっかりゲームは作った。
もっとも、鈴木氏にとって忘れられないのは、開幕投手であることを報道陣に信用してもらえなかったことだ。「あの時は1週間前に言われた。開幕行くぞってね。俺、しゃべったんだよ、新聞記者とかマスコミの人に。それなのに小松(辰雄投手)とか郭(源治投手)しか、写真を撮ってないわけよ。『俺だぞ開幕』って言っても『いやいや、それはいいですから、名古屋に帰ってからの試合で頑張ってください』って」。
何とも言えない状況だったが、途中からは逆に面白がったという。「開幕前日、広島で練習したけど、またカメラマンは小松とかを撮っているわけ。『俺だって』『俺を撮れ』って、ずっと言っていた。それで遊んでいた。ホント、誰ひとり、信用しない。教えていたのにね、本人が」。当時は予告先発ではない。開幕投手となれば、マスコミも神経をとがらせて取材していたが、まさか本人がしゃべるわけないと思われていたのだろう。結果的には巧みな先発隠しにもなった。
広島・山根、大洋・遠藤との最多勝争い「取りたかったなぁ」
シーズン終盤には広島・山根和夫投手と大洋・遠藤一彦投手と最多勝争いも繰り広げた。まず鈴木氏が10月3日の阪神戦(ナゴヤ球場)で16勝目をマークした。本塁打王を争う中日・宇野勝内野手と阪神・掛布雅之内野手への両軍の敬遠合戦が話題になった試合で、先発としては投げにくかったが、6回5失点ながら白星をつかんだ。「山内さんが『孝政、行ってくれ、お前だけなんだ、キャッチャーが座ってフォアボールを出せるのは』って言われて投げた。褒められているのか、わからなかったけどね」。
続いて山根氏が10月7日の巨人戦(広島)で16勝目。遠藤氏も10月8日のヤクルト戦(神宮)で16勝目を挙げた。この時点で3人が並んだが、最後は10月13日のヤクルト戦(横浜)で遠藤氏が17勝目をマークして単独でタイトルを獲得した。
鈴木氏は悔しそうに話す。「あれは惜しかったねぇ……。最多勝、取りたかったなぁ。俺、3人最多勝で良かったもん。遠藤が勝った時、こっちはもうゲームがなかった(10月5日でシーズン終了)。サイン会かなんかしてたら、記者が来て『遠藤が勝ちました』って。何ぃだよね。まだゲームあったんだって思ったね」
最多勝のタイトルこそ獲得できなかったが、カムバック賞を受賞した鈴木氏。「これもびっくりしたけどね。えっ、俺ってね」。前年の1983年も7勝をマークしていただけに、本人はカムバックしたつもりはなかったようだ。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)