おそらくボールロストは、一度もなかったのではないか。 ボールを受ければシンプルにさばき、前にスペースがあればするすると…
おそらくボールロストは、一度もなかったのではないか。
ボールを受ければシンプルにさばき、前にスペースがあればするすると持ち上がる。隙を見出せば鋭いスルーパスで決定機を生み出し、エリア内に飛び込んではあわやという場面も迎えている。直接的に得点に絡むシーンはなかったとはいえ、そのクオリティの高さは際立った。
セレッソ大阪の象徴である「ナンバー8」を13年ぶりに背負った香川真司は、FC東京との一戦で成熟した姿を見せつけた。

13年ぶりにC大阪の8番を背負った香川真司
キャリアのほとんどをトップ下としてプレーしてきた香川だが、4-3-3を主戦とする今季のC大阪にそのポジションは存在しない。任されるのはインサイドハーフだ。
トップ下としての意識を持ちながら、ボランチとしての感覚も求められる。攻守両面でのタスクが増えることで、より利他的な動きが必要なポジションと言えるだろう。
かつての香川と言えば、周囲と連動しながらエリア内に侵入し、狭い局面でも違いを生み、卓越したフィニッシュワークでゴールを量産するアタッカーだった。
しかし、この日の香川は低い位置でボールをさばく司令塔だった。中盤を形成する奥埜博亮、原川力と絶妙なバランスを取りながら、ボール回しの流れをスムーズにするひとつの駒として振る舞った。
際立ったシーンは3つ。24分、左サイドでボールを受けるとすぐさま中を向き、完璧なスルーパスでレオ・セアラの決定機を演出。後半立ち上がりにはエリア手前でボールを引き出し、柔らかいパスでジョルディ・クルークスの豪快な一撃を引き出した。そして84分には、ボールを持ち上がって左サイドに展開。そのプレーが起点となり、奥埜の決勝点につながった。
主役となったのは2ゴールを決めた奥埜であることは間違いない。あらゆる場面に顔を出すその運動量に香川も「本当に至るところに顔を出してくれるので、ああいう選手がチームにいてくれるのは心強い」と舌を巻く。
【18歳の香川をトップ下に抜擢】
ただ、奥埜が思いきって前に飛び出せるのは、香川の気の利いたサポートがあったからにほかならない。
「今日は中盤3人が攻守において、いい距離感でできていた。あの得点シーンはまさにそのとおりで、僕が落ちながらコントロールして、力とオク(奥埜)をうまく前に行かすことができた」
いずれも経験豊富な3人の補完性の高いプレーが、今季より4-3-3に取り組むC大阪の肝であり、この決勝点はまさにその成果が表れたシーンと言えるだろう。
そして攻守両面でそれぞれが補完し合うためには、運動量が求められる。13km以上を走った奥埜の運動量はまさに驚異的だが、香川もそれに次ぐ12km超えと、34歳のベテランはピッチを所狭しと走り回った。
「走れないと自分のよさが生きないので。初心に戻るじゃないけど、今のベースは走ってナンボですから。攻守においてもっとクオリティを上げていけたら、このチームにとっても非常にいいモノをもたらせると思います」と、さらなる走力向上を誓っている。
攻撃特化型のかつての香川を思い起こせば、驚きの変貌である。
チームが求めるスタイルに合わせるのは当然ながら、キャリアを積むなかで自らのスタイルが変化してきたこともあるだろう。トップ下では密集地帯をかい潜るクイックネスが求められるが、年齢を重ねるなかでその能力が落ちてくれば、ポジションを下げていくことは珍しくはないものだ。
そもそも、香川はボランチの選手だった。当時スカウトだった小菊昭雄監督がFCみやぎバルセロナユースで見出したのは、ボランチとしてプレーする香川の姿だった。
しかし香川は、プロの世界で攻撃的な選手として開花する。18歳の彼をトップ下に抜擢したのは、当時C大阪を指揮していたレヴィー・クルピ監督である。ボランチにこだわりを持つ香川は当初、納得していない様子だったがクルピ監督は、こう諭したという。
「真司はボランチでもプレーできるだろう。でも、まだ若い。その若さを活かし、攻撃的なポジションでどんどん仕掛けていくべきだ。そしてこのポジションをやることで、将来ボランチをやりたいという時に、プレーの幅はひと回りもふた回りも広がっているだろう」
【帰ってきたエースの役割】
果たしてその言葉どおりに、香川は国内最高のアタッカーとして世界に羽ばたき、日本代表のエースにまで上り詰めた。そして34歳となった今、トップ下の匂いを残しながら、かつて希望したボランチ的な役割も担うことになったのだ。
「今のプレーは自分にあっているのかなと。僕はボランチから、気づけば前に上がっていった選手なので。そういうところの感覚も残っていますから、ボランチとしての役割をうまくやりながら、ナンバー10の役割もね。今はそこはちょっと欠けているけど、徐々に出して行ける感覚はあるので、そこは試合を重ねながらやっていきたい」
ゲームをコントロールしながら、培ってきた得点感覚も発揮する。それは原点回帰であり、新たな挑戦でもある。帰ってきたエースは、かつてとは異なる表情を見せながら、心のクラブを力強く牽引していくはずだ。