埼玉武蔵ヒートベアーズ監督西崎幸広インタビュー 後編(前編:現役時代に対戦が嫌だった打者5人>>) 今年からルートインB…

埼玉武蔵ヒートベアーズ監督

西崎幸広インタビュー 後編

(前編:現役時代に対戦が嫌だった打者5人>>)

 今年からルートインBCリーグの埼玉武蔵ヒートベアーズで指揮を執る西崎幸広監督は、日本ハムや西武での現役時代、端正な顔立ちと華やかなファッションで「トレンディエース」と呼ばれ、特に女性ファンから絶大な人気を誇った。

 今でも、昔のプロ野球を振り返るテレビ番組で当時の人気ぶりはもちろん、セカンドバッグを投げつける怒りの契約更改の様子などがしばしば取り上げられている。そんな当時の裏話を、本人に振り返ってもらった。


トレンディエースとして大人気だった日本ハム時代の西崎氏

 photo by Sankei Visual

【処分に困ったプレゼント】

――現在はご自分でも「トレンディエースチャンネル」というYouTubeチャンネルをお持ちですが、現役時代に「トレンディエース」と呼ばれていたことをどう感じていましたか?

西崎 周りがそう言っていただけで、自分ではそんなの考えたことはなかったですね。野球に集中していたので、周りがどう呼んでいようが構わなかったです。

――当時、パ・リーグはセ・リーグに比べて露出も少なかったと思いますが、西崎さんはかなり注目を浴びていて、絶大な人気がありました。周囲で変化を感じることはありましたか?

西崎 球場に足を運んでくれるファンが多くなりましたね。若い女の子がかなり増えたな、と感じました。

――ファンにもみくちゃにされた、といったことはなかったですか?

西崎 ルーキーイヤーから一軍の試合に出て、先発初登板は後楽園球場だったんですが......その夏場過ぎぐらいからですかね。後楽園球場から駐車場に行くまでちょっと外を歩かなきゃいけないんですけど、その時がすごく大変でした。本来なら車まで2、3分で行けるのに、10分以上かかったり。警備員が一緒に歩いてくれたりしないと、通れなかったのは覚えてます。

――プレゼントや、バレンタインのチョコレートなどもたくさんもらっていたんじゃないですか?

西崎 そうですね、かなりいただきました。

――なかには変わったプレゼントもありましたか?

西崎 えっと......言ってもいいのかなっていう感じですが、お見合い写真もありました(笑)。チョコレートと一緒に、ちゃんと着物を着た写真館で撮ったような写真が送られてきたり。どう処分していいか困りますよね。

【「あれ以来、セカンドバッグは持ってない」】

――そんな当時の人気ぶりとともに、今でもメディアに取り上げられるのが「怒りの記者会見」です。

西崎 契約更改の時でしょ。セカンドバッグを投げつけた。

――そのとおりです。1991年オフの契約更改交渉後の映像ですね。

西崎 やっぱりそうですね(笑)。あの時はいろいろあってセカンドバッグを叩きつけた形になりましたけど、そこまで怒っていたわけじゃないと思うんです。5年連続でふた桁勝利を挙げて、その最後の年になったこの年がダウン表示だったんで、「なんでダウンするんだ」という感情はもちろんありましたけどね。

――無理もないですね。今でも西崎さんというと、まず「トレンディエース」、その次に「セカンドバッグ」というワードが出てくるファンが多いと思います。

西崎 あれ以来、セカンドバッグは持っていませんよ(笑)。でも、何がきっかけでも名前が出してもらえるのはありがたいと、今になれば思います。

――当時のプロ野球には豪快な方も多かったと思うんですが、「あの選手、監督がすごかった」といったエピソードはありますか?

西崎 当時は他球団の方と一緒に食事をすることがなくて、チームメイトで行くことが多かったですから、あまりそういう話はないですが......夜にかなり酒を飲まれる方はいましたし、裏で口ゲンカをしている場面も目にしましたね。誰とは言えませんが(笑)。

――西崎さんのほかに、人気が高かった選手はいますか?

西崎 僕がプロ入りした次の年に、芝草宇宙、島田直也という「SSコンビ」が日本ハムに入ってきたんです。芝草が帝京高校、島田が常総学院の投手として活躍して、「甲子園のアイドル」と言われていました。甲子園を騒がせた2人が入ってきたので、かなり盛り上がった記憶があります。

 あと、僕がライオンズに移籍した年(1998年)は、ちょうど松坂大輔が入団したんですが、その時の"ダイスケフィーバー"も、ものすごかったですね。

――「実力では負けない」といった対抗心はありましたか?

西崎 「こいつらには負けたくないな」という気持ちはありましたね。

【「トレンディエース」と呼ばれるきっかけ】

――西崎さんは現在もそうですが、おしゃれに気を遣っている印象があります。現役当時からこだわりはありましたか?

西崎 洋服とか持ち物については、特に「これ」っていうものはないんですけど、基本、人と同じ格好をするのは好きじゃないんです。人が着てないものを着て、同じような服を誰かが着ているのを見たらやめる、というタイプですね。

 昔は球場に行く時も、みんな同じような格好をしていたじゃないですか。それが嫌だったのでみんなとまったく違う格好をしていたら、「トレンディエース」と言われるようになったんです。

――ファッションのトレンドを作っていたんですね。ちなみに、一緒にトレンディエースと言われていた方々は、阿波野秀幸さんなど指導者の道を進まれている方が多いですが、西崎さんがチームの指揮を執るのは今回が初めて。これまでは、コーチや指導者になろうという気持ちがあまりなかったのでしょうか。

西崎 いや、そんなことはないですよ。そういうことは、やはりご縁がないと。自分の一存でユニフォームを着られるものでもないですから。大学や出身地などさまざまなつながりもありますからね。ただ、どこかから声をかけていただいていたら、考えていたと思います。

――今までは、試合の解説がメインでしたね。

西崎 そうですね。状況を見ながらですが、監督になってからも解説は続けていきたいと思っています。

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 西崎氏の指導者としてのキャリアはスタートしたばかりだが、オープン戦で選手に声をかけ、時に笑みを浮かべながらも鋭い視線を向ける様子を見ると、グラウンドにいるのが自然だと思えた。



選手に指導する西崎監督(左)photo by HISATO

 監督就任記者会見では、「トレンディエース2世を育てるのか?」という報道陣の質問も。それに対しては「素材がいれば育てたい。しかし2世を名乗るのであれば、必ずNPBに行かなければダメ。そうなって初めて『トレンディエース2世』と呼べる」と答えた。

 西崎監督の手で育てられ、厳しい競争を勝ち抜いてNPBに巣立っていく投手は現れるのか。4月8日に開幕するシーズンでは、「トレンディ監督」と、その愛弟子たちの今後に要注目だ。

【プロフィール】
西崎幸広(にしざき・ゆきひろ)

1964年生まれ。滋賀県出身。瀬田工業、愛知工大を経て、1986年、ドラフト1位で日本ハムに入団。1年目から15勝を挙げ、翌年には最多勝のタイトルを獲得。1991年まで5年連続でふた桁勝利を挙げるなど活躍した。その後、1998年に西武に移籍してからはクローザーも務め、127勝20セーブの記録を残して2001年に現役を引退。解説者やYouTubeチャンネルでも活動し、2023年度からルートインBCリーグの埼玉武蔵ヒートベアーズの監督を務めることになった。