高代延博氏は木村拓也さんの内野起用を提言…球界の“キムタク”となった 広島を皮切りに、中日、日本ハム、ロッテ、侍ジャパン…
高代延博氏は木村拓也さんの内野起用を提言…球界の“キムタク”となった
広島を皮切りに、中日、日本ハム、ロッテ、侍ジャパン、韓国プロ野球のハンファ、オリックス、阪神でコーチを務めた高代延博氏には教え子も数多い。元広島、阪神の金本知憲氏が「広島時代に自分に大きな影響を与えてくれた3人」の中に高代氏の名前を挙げたのは有名な話だ。もちろん、どの選手にも思い出はいっぱいある。そこに順番はつけられない。だが、2010年4月に37歳で突然の別れとなった木村拓也さんを忘れることはできない。
1994年オフ、木村さんは長冨浩志投手との交換トレードで日本ハムから広島に移籍した。プロ入り当時は捕手で、外野手に転向していたが、当時の広島外野陣は前田智徳、緒方孝市、金本知憲ら逸材が多く、出番はどうしても少なくなる。そこで二塁手、さらには遊撃手にも挑戦して、のちにユーティリティプレーヤーとして貴重な存在になった。そんな木村さんの内野コンバートを三村敏之監督に提案したのが1軍守備走塁コーチだった高代氏だった。
「ショートは野村謙二郎の後ろが誰もおらんかった。外野は他にも守備要員はいたんでね。ダメ元で足もそこそこ速いし、肩も強いんでって。ミムさんも『ええよ』って言ってくれた」。練習を重ね、努力で上達。野村が怪我をして、ショートデビューとなった時はエラーもあった木村さんだが、そこから活路を見いだしていった。球界の“キムタク”としても話題になった。その後、巨人に移籍したが、インパクトある活躍が目立つ選手だった。
木村さんが現役引退を発表したのは2009年11月7日。巨人が日本ハムとの日本シリーズを4勝2敗で制した第6戦終了後だった。自身初の日本一。引退の意思はシリーズ前に固めていたそうだ。高代氏はこう明かす。「ある日、彼から電話があった。『コーチにならんかって言われました』と言うので『誰に』って聞いたら『原監督です』って」。その後の会話は以下の通りだ。
原監督からコーチ就任を打診された木村さんに“助言”
「決めるのはお前だけど、どうなん?」
「あと1、2年やりたいんです」
「人間ってタイミングあるから、そう言ってもらえるんだったら、そのタイミングでコーチを受けるのもクレバーな考え方だと思うよ。あくまでも言うけど、決めるのはお前やぞ、俺は言えん」
木村さんは「また電話します」と言って、電話を切った。すると5分後にまたかかってきた。「コーチ、やります」と。高代氏は「『ところで、どこにいる』と聞いたら『今、原監督と飯食っています』と言うから『先、言えよ、よろしく言っといて』って。そう言うやりとりがあったんで……」と表情を曇らせた。
2010年4月2日、巨人の1軍内野守備走塁コーチだった木村さんは、マツダスタジアムでの広島戦前のシートノック中に突如、倒れた。クモ膜下出血と診断され、緊急入院となったが4月7日、帰らぬ人となった。当時、高代氏はハンファ・イーグルスの総合コーチを務めており、韓国にいた。「ショックだった」。まさか、なぜ、どうして……。広島選手時代の木村さんのことが思い出された。ひたむきに練習を繰り返した日々のことが……。
2009年11月に恩人の三村さんが亡くなり、翌2010年4月に今度は教え子の木村さんが、この世を去った。わずかな期間に高代氏にとってつらすぎる出来事が続いた。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)