メンタルの強さ 「いろいろな壁を経験して、ものすごくメンタルが鍛えられた」 持ち前のリーダーシップとディフェンス力でチー…

メンタルの強さ

 「いろいろな壁を経験して、ものすごくメンタルが鍛えられた」

 持ち前のリーダーシップとディフェンス力でチームを率いた永橋優太朗(スポ=千葉・市川)。何度も壁に直面したからこそ、多少のことでは動じない「強いメンタル」を手にした。中学・高校のハードな練習、二度の大ケガ、主将としての役割。様々な壁と向き合った永橋の競技生活を振り返る。

 永橋がハンドボールに出会ったのは、中学1年生のとき。友達に誘われ、ハンドボール部の見学に行った。「1回行ったら、先輩が毎日教室に迎えに来て(笑)」。元々興味があったサッカー部の見学には行けないまま、ハンドボール部に入部した。成り行きで競技を始めた永橋だったが、中学生時には関東大会で優勝し、高校生時には全国ベスト16を経験。厳しい練習を乗り越えて実績を残し、「ハンドボールは高校で終わり」と考えていた。しかし、早大への進学を知った先生から、「早稲田の監督さんには連絡しておいたから」と告げられる。「あれ、もう(ハンドボール部に)入るの確定だな」。思いも寄らないかたちで、大学でも競技を続けることになった。


4年秋の筑波大戦でゴールを狙う永橋

 永橋にとって、早大の練習は新鮮だった。指導者に従うのではなく、学生が主体となって戦術やメニューを考える。「日本一を目指すチームでも、指導者に頼らず自分たちでやっていくのか」と大学のレベルの高さを感じつつも、徐々に早大になじんでいった。しかし、「これからフィジカルも鍛えて頑張っていこう」と意気込んだ矢先、大ケガに見舞われる。1年生の夏に左膝の前十字靭帯を断裂。さらに、1年間のリハビリを経て復帰した2年生の夏、今度は右膝の前十字靭帯を断裂した。「病院の先生も、ケガ自体よりもメンタル面のケアという感じで」。復帰直後に再び大ケガを負った永橋を、周囲は当然心配した。

 しかし、永橋自身は、ケガをしたという事実をフラットに受け止めていた。「時間ができた分、本を読めたり、外からハンドボールを見られたり。人からは『辛かったでしょ?』と聞かれるけど、単に『辛かった』と言うと嘘になる。『この試合出たかったな』という悔しさも、『入院中暇だから何しようかな』という気持ちも、全部本心。重い意味ではなく、(ケガは)いろいろなことを考えさせてくれるきっかけになった」。プレーができない事実とまっすぐに向き合い、さまざまなことを考えた2年間は、永橋をより一層強くした。


3年秋の筑波大戦でディフェンスをする永橋

 3年生の関東学生秋季リーグ(秋季リーグ)でようやく公式戦に復帰。復帰直後にも関わらず、3枚目としてコンスタントに出場し、早大ディフェンスの中核を担った。永橋は、「僕を使ってくれた先輩に感謝」と振り返る。ケガもなくシーズンを終え、自らが最高学年となる次年度を見据えた。

 迎えたラストイヤー。リーダーシップを買われ、主将を任された。永橋の役割は、「チームの流れをつくること。練習の雰囲気をつくったり、話し合いを促したり」。必要な筋道を立て、各選手に任せるべきことは任せる。それが永橋の主将像だった。プレーヤーとしても、攻守でチームに貢献。守備の要を担いながら、得点も重ねた。チームの成績は、関東学生春季リーグ、秋季リーグともに5位、全日本学生選手権は初戦敗退と、満足のいくものではなかったかもしれない。それでも、「早稲田らしい戦い方は体現できた。実力差のある相手とも、分析とハードワークで対等に渡り合って、必ず接戦に持ち込めた。他のチームから見たときの面倒くささが、僕たちの代の『早稲田らしさ』だったと思う」と充実感をにじませた。


早慶戦でガッツポーズをする永橋

 「ハンドボールを続ける中で、いろいろな壁を乗り越えてきました。逆に、『この壁は迂回してもいいかな』と判断することもありました。それも僕の『メンタルの強さ』だと思うので」

 競技生活から得たさまざまな経験と強いメンタル。それらは、今後の永橋を支えるものになるだろう。最後に、永橋が感じるハンドボールの面白さについて尋ねると、「成長を体感できるところ。だから正直、ハンドボールじゃなくてもいいんです」と笑いながら答えてくれた。「大きく言うと全国優勝、小さく言うと1試合の勝利、さらに小さく言うと一対一での勝利。そういう一つ一つの目標に向けて、試行錯誤して成長していく過程が面白いんだと思います。だから、ハンドボールじゃなくても…」。そうは言いつつ、卒業後も社会人の強豪チームでハンドボールを続けるという。これまで多くの経験を与えてくれたハンドボールと共に、これからの人生も歩んでいくつもりだ。

(記事 澤崎円佳、写真 澤崎円佳、齋藤汰朗)