サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト・大住良之による、重箱の隅をつつくような、「超…
サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト・大住良之による、重箱の隅をつつくような、「超マニアックコラム」。今回は、白い魔物のお話。
■威信がかかるアーセナル
当時アーセナルのスタジアム「ハイベリ-」は北側のスタンドがドイツ軍の空爆で破壊されたままで使えず、試合はトットナム・ホットスパーの「ホワイト・ハート・レーン」で行われた。この試合が濃霧に見舞われたのである。
当時、ロンドンの霧は、工場から出る排煙や住民が暖房などで出す煙と混ざって黄色く濁り、ひどいときには年に数千人の死者を出すという「公害」だった。「煙(スモーク)」と「霧(フォッグ)」を合成した「スモッグ」という言葉が生まれたのは、この町である。
数メートル先も見えないという濃霧。しかし5万人を超す観客がつめかけ、試合を中止するわけにはいかなかった。主審はディナモが連れてきたソ連のニコライ・ラティシェフ。ふたりの「線審」はともに英国人だった。
ラティシェフは当時イングランド協会の事務総長になっていたスタンリー・ラウスが発明したと言われる「対角線審判法」を知らず、2人の線審に同じサイドを走らせ、自分は逆サイドを上下しながら走るという審判法を使った。ラティシェフは英語が話せず、2人の英国人副審は、もちろんロシア語などわからなかった。もっとも、どのような審判法であっても、この濃霧では何も見えなかっただろうが。
アーセナルは「サッカーの母国」の威信にかけても勝たなければならないと考え、ストーク・シティからFWスタンリー・マシューズ、ブラックプールからFWスタン・モーテンセン、フルハムからDFジョー・バクッツィといったイングランド代表選手を含む6人を補強した。
バクッツィはチェルシーにも加わってディナモ戦に出場している。「クラブではなくイングランド選抜ではないか」とディナモは抗議したが、ディナモもモスクワのライバルであるCDKA(現CSKA)からリーグ得点王のフセボロド・ボブロフを借り出してきていた。
■大いに荒れた試合
審判から何も見えず、観客も白いカーテンの向こうにいる選手がほとんど見えない状況のなか、試合は大荒れになった。互いに相手のラフプレーを非難した。ひどいファウルをした選手が処分を逃れるために霧のなかに消えてしまい、そのままになったこともあった。
親善試合のため、交代も頻繁に行われた。だが後半のある時点でアーセナルが「相手は12人いる」とアピールしたのは、前代未聞のことだった。選手を数えてみると、たしかに12人いた。退出するべき選手がピッチ外に出ないまま、新たな選手がはいっていたのだ。
ひとりを引っ込めて試合は再開されたが、アーセナルはそれで均衡を取り戻したわけではなかった。FWのジョージ・ドゥラリーが退場処分となり、再び「数的劣勢」を余儀なくされたのだ。
スコアも終盤まで3-3と大荒れだったが、最後に勝利を手中にしたのはディナモだった。ボブロフが抜け出し、4点目を決めたのだ。アーセナルの選手たちはボブロフが数メートルも前に出ていて完全にオフサイドだったと激しく抗議したが、主審はもちろん、線審も確認などしようがなかった。ディナモ・モスクワはこの後グラスゴーでレンジャーズと対戦、2-2で引き分けて無敗で帰国の途についた。
■霧の中で戦うコツ
「霧の都」と言えば、ロンドンとともに有名なのがアメリカのサンフランシスコである。ミルクのような濃霧に埋もれ、先端部だけ出したゴールデンゲート・ブリッジの写真を見た人も多いのではないか。この町で、1980年にその名もずばり「サンフランシスコ・フォッグ」というプロクラブが生まれた。といっても、「メジャー・インドア・サッカーリーグ(MISL)」というアイスホッケーのリンクを使った6人制サッカーのチームで、クラブわずか1年しか続かず、「雲散霧消」してしまったが…。
アメリカ人と思しき人が運営している「Boot Soccer」というサイトに、「霧のなかでサッカーをするヒントとコツ」という記事がある。それによると、ユニホームは明るく、コントラストの強いものにすること、プレーのスピードを落としてボールや他の選手が出す声や音などを聞くこと、チームメートとの距離を近くに保つこと、水分を多くとることなどが重要だという。
しかし視界が本当に悪いときには、思いがけない事故やケガにつながるのでサッカーはやめることとされている。何よりも奨めたいのは、室内でサッカーができる施設を探すこと―。それができれば、苦労はしないのだが…。
そういえば、日本代表が昨年9月にアメリカ、エクアドルと対戦したデュッセルドルフの「エスプリ・アレーナ」は開閉式の屋根をもっていた。雨や雪への対策かと思ったが、ライン川から数百メートルしか離れていないスタジアムであるため、川霧対策の意味もあるのだろうか。もし2020年のメキシコ戦がデュッセルドルフで行われていたら、あの「霧害」はなかったかもしれない。そして日本代表の集中力も切れず、違った結果になっていたかも…。