時代は変わった。かつての冷戦は雪解けしたが、ソビエト連邦からロシアとなった国は、再び対立の構図を自らつくり出している。…

 時代は変わった。かつての冷戦は雪解けしたが、ソビエト連邦からロシアとなった国は、再び対立の構図を自らつくり出している。今よりも国境を越えるのが難しかった1974年、蹴球放浪家・後藤健生はワールドカップ観戦のため、共産圏をまたにかける冒険に出かけた。

■ベルリンを壁が分断していた時代

 前回の『蹴球放浪記』ではベルリンのヘルタプラッツのことに触れました。東西ベルリンを隔てる「壁」のすぐ西側にあったスタジアムです。

 その「ベルリンの壁」が撤去されてからもう30年以上が経過したので、若い方はそれがどんなものだかご存じないかもしれません。そこで、今回は僕が東ドイツと東ベルリンを訪れて、「壁」を越えた時のお話です。

 第2次世界大戦後、アメリカとソ連は激しく対立して両国は互いに数千発もの核ミサイルを突きつけ合っていたのです。これが「冷戦」です。ヨーロッパも東西に分断されていました。

 第2次世界大戦に敗れたドイツはアメリカ、イギリス、フランス、ソ連によって分割占領されました。西側3か国の占領地域には1949年に「ドイツ連邦共和国(略称:DBR)」が成立し、ソ連占領地域は「ドイツ民主共和国(DDR)」となりました。

 ドイツの首都ベルリンはソ連占領地域の中にあったのですが、ベルリン市自体も4か国が分割占領していました。ベルリンのソ連地区(東ベルリン)は東ドイツの首都になりましたが、西ベルリンは東ドイツの中に浮かぶ孤島のような状態になってしまったのです。

 その後、東ドイツに不満を持つ人たちが西ベルリン経由で西側に脱出し始めると、東ドイツやソ連は東西ベルリンの間にコンクリート製の「壁」を建設。ベルリン市は東西に分断されてしまいました。

■安くドイツに行く方法

 西側の一員だった日本人にとって、ソ連や東ドイツを旅行するのは難しいことでした。今で言ったら「北朝鮮を旅行するようなもの」だったのです。それでも、ソ連とは1956年に国交回復。東ドイツとも1973年に国交が樹立され、旅行も可能になっていたのです。

 僕は、1974年にワールドカップ西ドイツ大会を見に行きました。フランツ・ベッケンバウアーの西ドイツとヨハン・クライフのオランダが戦った大会です。

 さて、どうやって安上がりに西ドイツに行くか……。

 僕は「ソ連経由」のツアーを選びました。

「日ソツーリストビューロー」(現「ユーラスツアーズ」)というソ連東欧専門の旅行会社があって、ソ連経由で西ヨーロッパまで行くツアーを販売していたのです。横浜から船でソ連極東地区のナホトカ港に到着。夜行列車でハバロフスクまで行って、ハバロフスクからモスクワまでは飛行機で移動。モスクワで3泊した後、希望の都市まで列車で移動できるのです。安く海外に行きたい若者たちが参加するツアーでした。

■モスクワを出発

 さて、僕はモスクワから列車でポーランドの首都ワルシャワに向かいました。ワルシャワで3泊してから再び列車で東ベルリンに向かいます。

 モスクワまでは団体旅行でしたが、その後は一人旅。僕はまだ気弱な22歳の大学生で海外旅行にも慣れていませんでしたし、まして共産圏を横断するわけですから、かなり緊張していました。

 6月9日の夜、ワルシャワ中央駅から東ベルリン行きの列車に乗り込みました。

 ソ連からポーランドに入る時にはかなり厳しいチェックがあったのですが、東ドイツ入国は簡単でした。列車内で2ドル(米ドル)を払うとトランジット・ビザをもらえたのです。

いま一番読まれている記事を読む