立大の大河原すみれさん(4年)は、同大初の女性主務としての仕事をやり終えた。4年間のマネジャー業務は「かけがえのない財…

 立大の大河原すみれさん(4年)は、同大初の女性主務としての仕事をやり終えた。4年間のマネジャー業務は「かけがえのない財産です」と清々しい笑顔。伝統ある東京六大学リーグに、新たな歴史を作った。

 父が高校の教師で野球部の顧問を務めていたこともあり、生後間もないころからスタンドに連れられて応援。小中高一貫の女子校だったため、部活動などで野球に接することはできなかったが、その分、大学で野球部のマネジャーをやりたいという思いは強かった。

 責任感が強く、高校時代は学級委員や、演劇部の部長を務めていた。任された仕事はもちろん、プラスアルファで相手のために何かできないかと目を配る。まじめな仕事ぶりは、溝口智成監督の目にも留まった。

 1年冬には部内のコロナ対策の責任者を任され、上級生問わず指示を出す役割に。早朝、深夜に体調を崩す部員が出ると、隔離の対応や保健所への連絡など、対応に追われた。さらなるコロナ流行により、部員が帰省を許可された時期も自ら寮に残って仕事をこなしていた。

 2年夏、溝口監督に「主務をやってみないか?」と声をかけられた。東京六大学では2018年に慶大の小林由佳さんが同リーグ初の女性主務となったが、立大では初になる。戸惑いはあったが、「男女関係なく仕事を認めてもらえたというのが嬉しかったですし、できるんだったら挑戦したい」と受諾し、それからは2年ながらA戦に帯同するなど、“英才教育”が始まった。

大河原主務と溝口智成監督(右)【写真:小林靖】

 主務になるきっかけをくれた溝口監督には、頭が上がらない。「お前は周りを見れていない」「他の人の10倍気を回せ」。2年夏に主務をやると決まってからはより一層、裏方のいろはを叩き込まれた。「言われたことがいつも的確すぎて、反論もできません。そうだなっと思えるようなご指摘ばかりでした」。

 日々の業務で溜まった悩みを軽くしてくれたのも、監督だった。春季リーグ戦を終えたある日、監督から言われた。「もっと周りに頼ってもいんじゃないか?」。真面目な性格から、これまで同期にも弱い自分を見せることはなかった。いつもとは一変、監督の優しい言葉に溜め込んでいたものが思わずあふれ、涙を流したこともあった。

「監督がいなかったら主務にもなれなかったですし。私自身もとても成長できました。監督には『お前たちの代で、一番大河原を怒ったな』と言われましたね(笑)」

ベンチでは道具の整頓などプレーしやすいベンチづくりに励んだ【写真:本人提供】

 2022年度は、法大の宮本ことみマネジャーも同大初の女性主務に就任。宮本主務とは、何かあれば電話やLINEで相談する仲だ。

 試合の際は、ベンチでスコアを記録するのが主な役割。チームには、高校からトップクラスのレベルでプレーしてきた選手ばかりだ。「野球をやったことがない私たちでいいのかな……」「ベンチでどうやって声をかければいいんだろう」と不安もあったが、それは宮本主務も同じだった。

「初の女性主務誕生」の反響は大きかった一方、ネガティブな声もあった。ネットのコメントを見ると「ヒールでグラウンドに入るのはどうなんだ」「女性主務になったから弱くなった」とのコメントを目にしたことも。「やっぱりそういう悩みって、ことみじゃないと分からないので、何かあれば頼っていました」。同じ女性主務として、悩みや抱えている思いを打ち明けられる仲間の存在は心強かった。

卒業後はNPBに就職し、これからも野球に携わっていく【写真:本人提供】

 2人の女性主務の誕生は、伝統ある東京六大学リーグにとっても大きな前進となった。神宮球場の正面入口にある連盟室は、役員やマネジャーたちが出入りする部屋だが、どうしても女性マネジャーが出入りしづらかった。下級生のためにも、雰囲気づくりには気を配った。「すみれとことみがいるから、連盟室が明るくなったし、(女性マネ)を入れやすくなったと言われるようになりました」。一方で、まだまだ男性との“壁”を感じることも。「男性だから、女性だからじゃなく、個人の能力に応じて仕事を与えるようになっていかないと。まだ周りの理解が必要な部分もあります」。

 主務として駆け抜けた最後の1年は、またとない経験をくれた。「普通のマネジャーでも外部の方と接する機会はあるんですけど、主務となるとそれが一気に広がります。この4年間で経験した事って絶対自分のなかで大きなものだし、普通の学生なら経験できないことだと思います」。

 卒業後は日本野球機構(NPB)に就職し、これからも野球に携わっていく。父と同じ教員になることも選択肢にあったが「教員かNPBかって考えた時に、NPB行きたいという気持ちのほうが強かったんです」とうなずく。決断の裏には、4年間でのマネジャー生活が大きく影響している。

「今までは結構、(決断するときは)安全をとってきた性格だったんですけど、マネジャーになって、自分が後悔しないような選択をしようって思うようになったんです。リスクはあっても挑戦して、失敗したとしても、やってよかったとか、それだけ成長できたと考えた方がいいなって」

 それも、東京六大学という伝統あるリーグで優勝を目指し、毎日夜遅くまで練習に取り組む選手たちの姿をそばで見てきたからだった。

「NPBでは女性の方も活躍されていますが、まだまだ男性社会の部分もあると聞いています。女性だからってできない仕事はないと思います。人によって得意不得意があるのと同じで、最初から女性だからできないという感じで諦めるんじゃなくて、できる方法を考えて色々挑戦していけたらなと思います」

 自分自身を大きく成長させてくれた野球部での4年間。神宮になびいた“すみれ色”の校旗には別れを告げ、次のステージでも新たな道を切り拓いていく。

 

(Full-Count 上野明洸)