『4軍くん(仮)』コミックス第1巻発売記念SPECIAL!大学野球を10倍楽しく見よう!特集〜第3回 東京大OB・遠藤良…

『4軍くん(仮)』コミックス第1巻発売記念SPECIAL!
大学野球を10倍楽しく見よう!特集〜第3回 東京大OB・遠藤良平氏

『ヤングジャンプ』で連載中の『4軍くん(仮)』のコミックス第1巻発売を記念して、「大学野球を10倍楽しく見よう!」特集がスタート。今回は東京六大学野球部OBの6人にご登場いただき、母校について熱く語ってもらった。第3回は東大のエースとして、東京六大学通算8勝を挙げ、日本ハムでもプレーした遠藤良平氏だ。



東大のエースとして六大学通算8勝を挙げ、日本ハムでもプレーした遠藤良平氏

【神宮でプレーするための東大受験】

── 東大野球部で歴代5位タイ、左ピッチャーとしては最多の通算8勝を挙げてプロ野球でもプレーした遠藤さんは、東大野球部をどんな存在だとお考えですか。

遠藤 東大のなかでは珍しく、勉強以外の目的を持って入学してくる人が集まったのが野球部です。僕自身がそうでした。東京六大学で野球をやりたくて、でも早稲田や慶應では試合に出られないと思ったんです。どうせ野球をやるならグラウンド上で勝負したいという気持ちがありました。それこそ4軍じゃ、おもしろくない(笑)。でも東大ならレギュラーになれるかもしれないと思い、東大入試という勉強のハードルを越えようと頑張れました。東大入学は目的ではなく、神宮球場に立つための手段だと思っているのが東大野球部員の特徴だと思います。

── たしかに東京六大学で野球をやりたいから入学したと話す東大の野球部員は少なくない印象はあります。ただ東大に入学するのは至難の業です。東大ならレギュラーになれるから入りました、というのは出来過ぎた話だという気もするのですが......。

遠藤 東大に合格したから大学でも野球を続けることにしたという人もいたと思います。でも僕のように、まず先に東京六大学野球への憧れがあり、野球の実力がないことをしっかり自覚したうえで東大野球部を目指してきた人もそれなりにいました。だから東大のなかではかなり特殊な集団だと思います。もし僕が早稲田や慶應に入学したとして、早慶戦に出られたかと言われれば、それは難しかったと思います。

── いやいや、弱い東大で8勝してプロ野球選手にもなったんですから、早慶でも投げていたんじゃないかと思いますが......。

遠藤 東大で下級生のうちからたくさん試合で投げさせてもらったおかげで成長できたのだと思います。早慶で白い練習用のユニフォームを着てチーム内でガチンコ勝負していたら、神宮のマウンドにはたどり着けていなかったでしょう。高校時代、野球での実績や実力がなかったのに、東京六大学で野球をやりたいと思ったからこそ、難関の東大入試というハードルを超えるために頑張れました。勉強で高いレベルを求めることが目的ではなく、神宮に立つ切符を手にするための手段として頑張った、というところはありました。

【東大のエースになれた瞬間】

── 遠藤さんは一浪して東大へ入学した後、1年秋に先発として神宮のマウンドに立っています。そのシーズン、立教から勝ち点をとって東大を5位に導きましたね。

遠藤 導いたなんて言ったら、チームメイトに怒られてしまいます。1年生当時は導かれていたほうです。1年春の最終カードで2イニングを投げさせてもらって、緊張する間もなく抑えちゃいました。で、1年の秋からは先発投手として使ってもらいました。最初は自分でも不思議でしたよ。高校時代には強くない都立高校にもメッタ打ちを喰らっていたのに、なぜなのかなって......。でもそんな心配はいつの間にかクリアされていて、わりと早い段階でレベルの高いバッターをどう抑えるか、みたいなことを考えていましたね。

── 3年秋には早稲田からも勝ち点をとっています。

遠藤 あの早稲田戦は僕が1回戦と3回戦に先発して、両方とも完投で勝ったんです。僕は、1戦目と3戦目を完投でとるピッチャーが東京六大学のエースだと思っていました。2戦目でほかのピッチャーが負けても、3戦目に出ていって完投で勝つ。だから早稲田から勝ち点をとった時に初めて、東大のエースになれたかな、と思えました。法政にも、当時100近く連敗していた明治にもなんとかひとつ勝つことができました。ただ、慶應にだけは最後まで勝てませんでした。

── 高校時代は都立高校にもメッタ打ちを喰らったというのに、なぜ東京六大学のレベルで渡り合うことができたんですか。

遠藤 僕も不思議でした。きっと球が遅すぎたんでしょう。今、プロ野球界でもアナリストの分析でよく言われているのが、平均値から遠いのはプラスだということ。東大以外のピッチャーのスタンダードが140キロだったとすれば、僕の投げる130キロは平均から外れていたので打ちにくかったのかもしれません。じつは僕、学年を経るごとに球はどんどん速くなったのに防御率はどんどん悪くなっていったんです。一生懸命に腕を振って130キロだったのに、成長を求めて頑張って球が速くなったら、4年の秋には東京六大学のスタンダードに近づいて打ちやすくなっちゃったんでしょうね。相手校のバッターにも『遠藤は球が速くなって打ちやすくなった』と言われましたからね。

── 遠藤さんの神宮でのマックスは何キロでしたか?

遠藤 えっ、僕のマックス? いや、よくそういう意地悪な質問ができますね(笑)。そこはぼかしておいて下さいよ。

【東大野球部の胃袋を支えた店】

── 東大野球部は過去、リーグ戦の優勝経験はなく、上位に食い込んだのは1946年の2位が唯一です。勝てないのが当たり前、最下位が定位置になっているイメージがありますが、リーグ戦へはどんなモチベーションで向かっているんですか。

遠藤 目の前の試合に勝つことが、唯一で最大のモチベーションです。僕は、各対戦校から勝ち点をとれると本気で思っていました。ただその一方で、勝ち点をシーズンで4つも5つも積み重ねるのは難しいとも思っていました。だから勝ち点をとるところまでは考えていても、現実的には優勝というところにつながらない。

「優勝」と言ってしまうと、シーズン序盤で可能性が消えてしまうので、モチベーションの維持が難しくなりますしね。でも、結局は優勝って1勝、1つの勝ち点の積み重ねがもたらすものなんですよね。だから1つの勝ち点をとれるなら4つとるのは無理だとは言いきれないはずなのに、優勝となるとまったく現実味がなくなってしまうんですよね。

── "東大野球部あるある"を挙げていただくとしたら何でしょう。

遠藤 東大の選手は野球で生きていくつもりもないし、野球部卒が箔になるとも思っていない。だから野球そのものに興味がなくなったら、さわやかに辞めていくんです。下級生で神宮でプレーした選手が、上級生になる前に平気で辞めていく。なぜなのか聞いてみると、この先の2年を野球に費やすのはもったいないと......。辛いからとか下手だから辞めるわけではないんです。憧れた神宮の舞台に立ってみたら、こんなもんかと満たされてしまったからと辞めていく。いかにも東大生っぽい理由ですよね(苦笑)。

── 東大野球部にはみんなが集まる行きつけの店はあったんですか。

遠藤 まず思い浮かぶのは、日暮里の谷中銀座にあるもんじゃ焼き屋の『よし川』かな。ご夫婦の人のよさが売りのお店で、東大野球部の歴代の寄せ書きとか、僕のファイターズ時代のユニフォームを飾ってくれています。大学時代はいつも「1000円だけ置いてって」と言われて、何を食っても何を飲んでも1000円でした。東大野球部員のいいところは、いただいた恩は大人になってからしっかり返すこと(笑)。みんな働き始めてからは多めに払っていると思います。もし『よし川』がなくなったら、どこに集まればいいのというくらい大事なお店です。

遠藤良平(えんどう・りょうへい)/1976年6月28日生まれ、埼玉県出身。筑波大附属高から一浪して東京大に進み、1年春から神宮のマウンドを経験。東京六大学通算8勝を挙げ、99年ドラフト7位で日本ハムに入団。01年にプロ初登板を果たすも、同年限りで現役を引退。引退後は日本ハムのフロントに入り、現在はGM補佐としてチームを支えている。