「ウマ娘 プリティーダービー」において、登場するウマ娘たちが集うトレセン学園。そのなかで、生徒会長であり一目置かれた存在…
「ウマ娘 プリティーダービー」において、登場するウマ娘たちが集うトレセン学園。そのなかで、生徒会長であり一目置かれた存在として描かれているのがシンボリルドルフだ。
史実においてのシンボリルドルフは、1984年に日本競馬史上初の無敗のクラシック三冠を達成。その金看板を携えて、ジャパンカップへと駒を進める。ここでは前年の三冠馬で、前走の天皇賞・秋を勝利したミスターシービーとの新旧三冠馬対決が注目された。しかし、当時の菊花賞は現在と異なり11月2週目の開催で、ジャパンCまでは中1週。3000mを走ったあととしては苛酷とも言えるローテーションだった。さらに伏兵視されていたカツラギエースの大逃げに翻弄されたこともあって、シンボリルドルフは3着に敗れ、初の黒星を喫してしまう。

1984年の有馬記念で、カツラギエースに2馬身差をつけて勝ったシンボリルドルフ
その1カ月後に迎えたのが、4歳(旧表記、現3歳)最後の出走となる有馬記念だった。
史実においては、「皇帝」とも称されていたシンボリルドルフ。実は、ゲーム版「ウマ娘 プリティーダービー」においては、彼女だけが獲得することができる「皇帝」という二つ名がある。この「皇帝」を獲得する条件のひとつが、この有馬記念を連覇するというもの。これこそ、史実に基づいた獲得条件なのである。
有馬記念は、ジャパンカップに出走したカツラギエース、シンボリルドルフ、ミスターシービーが再度顔を揃えた。二世代の三冠馬に、日本調教馬初のジャパンカップウィナーという夢のような豪華なマッチアップ。ジャパンCで、単勝55倍のカツラギエースの前に枕を並べて討ち取られたシンボリルドルフとミスターシービーの2頭の三冠馬にとっては、ここは雪辱の一戦。ましてや、シンボリルドルフにとっては、今回は中3週でライバル古馬2頭とは同じ条件だ。
そのジャパンCでは伏兵扱いだったカツラギエースにとっても、その年の大阪杯、宝塚記念を制している実力馬だけに、前走の勝利が決してフロックでないことを証明したい。これに対し、ファンは1番人気シンボリルドルフ2.3倍、2番人気ミスターシービー4.0倍、3番人気カツラギエース9.5倍というオッズで支持。この3頭以外の8頭は全て単勝25倍以上と、完全に3強ムードとなっていた。
事実、レースはこの3頭による1~3着独占で終わる。しかし、レースの主役は完全にシンボリルドルフであった。
この日もカツラギエースの逃げでレースは幕を明けた。前走の再現を狙うべく、じわじわと後続との距離を取っていく。5馬身ほどのリード取って1周目のゴール前を通過していくが、ここで場内からどっと歓声が上がった。なんと、普段なら中団でレースを進めるシンボリルドルフが2番手に陣取ったのだ。後方には追い込み勝負のミスターシービーも控えているが、そんなことはお構いなし。ただ、前走と同じ轍は踏まないとばかりに、カツラギエースだけに照準を定めた。
向こう正面に入ると、いつの間にか2頭の差は3馬身ほどに縮まっていた。そして3コーナーを迎えるころには1馬身半差。そして4コーナーでは半馬身差に差を詰める。鞍上の岡部幸雄騎手の手はまだ大きく動いていない。だが、"獲物"を仕留めにいく圧倒的強者のオーラがビンビンに伝わってくる。残り200mを過ぎてシンボリルドルフが先頭に立つと、あとは独壇場。馬群を捌いてミスターシービーも追い込んでくるが、時すでに遅し。1馬身、2馬身とシンボリルドルフはカツラギエースを置き去りにしていく。3強対決は接戦にすらならず、シンボリルドルフの圧勝で幕を閉じた。
そのあと、カツラギエースはこのレースを最後に引退、ミスターシービーも翌年の天皇賞・春で再度シンボリルドルフに敗れたのを最後にターフを去った。
そしてシンボリルドルフは翌年の有馬記念でも「皇帝」たる走りを見せる。その話はまた別の機会に譲りたい。
今年の有馬記念は三冠馬こそいないものの、GI3勝馬2頭に、天皇賞・秋の勝ち馬、そしてジャパンC馬も出走する。どの馬が圧倒的な力で制圧するのか、それとも混戦となるのか。グランプリまで1週間を切った。