サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト・大住良之による、重箱の隅をつつくような、「超…
サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト・大住良之による、重箱の隅をつつくような、「超マニアックコラム」。今回は、世にも珍しいサッカー独自のボールの投げ方。
■NHKの番組に驚かされる
「チコちゃんが遠くに投げたいものって、何かな?」
丸く切り抜かれた画面のなかで、偽善に満ちた笑顔を浮かべ、左右の眉を動かしながら、ひっくり返った声で後藤健生さんがこう言ったときには、ぶっ飛んでしまった。
私の年齢になると、楽しみに見るテレビ番組は限られてくる。その数少ないもののなかのチャンピオンが、ともにNHKの『ブラタモリ』であり、『チコちゃんに叱られる』である。前者は番組が始まったときから毎回録画してDVDに残しているという熱の入れよう。そして『チコちゃん~』は、取材も女子サッカーの練習もない金曜夜の楽しみとしている。
とは言っても、私自身は、地球科学についてはタモリさん程度の知識しかなく、『チコちゃん~』に至っては、毎回「つまんねーやつだな」と、ピンクのワンピースを着た5歳児に叱られているのだが…。
さて先週金曜日、夕食をとりながら『チコちゃん~』を見ていると、「サッカーのスローインはなぜ両手で?」という問題が出て、思わず前のめりになり、番組録画のスイッチを押してしまった。というのは、今回のこの記事のテーマを、先々週から「スローイン」と決め、さまざまな資料を集め、時間を見つけては読んできていたからだ。そして「解説は誰だろう」と注視していると、出てきたのが後藤さんだったというわけである。
番組の内容は、さすがに後藤さんのアドバイスに従ったのか、非常にきちんとしたものだった。サッカー関係の番組を見ていて「それは違うだろう!」とテレビに向かって叫んでしまうことが多い私だが、『チコちゃん~』のスローイン解説はしっかりしたものだった。
正直に告白するが、冒頭で後藤さんを力いっぱい悪しざまに書いてしまったのは、大好きなチコちゃんを生で見る機会を得た後藤さんがうらやましくて仕方がなかったからなのだ。実は後藤さんも『チコちゃん~』の大ファンで、そのため、このサイトで不定期に実施している後藤さんとの対談は、「金曜の8時から9時までは避ける」という黙約までできているのである。私だって、偽善に満ちた笑顔で、ひっくり返った声で、チコちゃんに聞いてみたかった!
■酒井宏樹に染みついた「世界基準」
さて、スローインは、サッカーという競技において、反則をしても最も寛容に扱われているプレーではないだろうか。両手投げのように見えても、実際には片手投げをしている例など日常茶飯事。海外のサッカーを見ていると、片足が上がっていてもまずおとがめなしだ。選手だけでなくレフェリーも世界のトップが集うワールドカップでさえ「ファウルスロー」が横行するが、反則を取られる(相手チームのスローインになる)ことは非常に希だ。
いまカタールあるいはドバイでワールドカップに向けた準備をしている酒井宏樹選手のスローインを思い起こしてほしい。言うまでもないが、酒井選手は右のサイドバックで、スローインの機会は多い。昨年、日本に戻って浦和レッズでプレーを始めたころ、彼は平気で片足を上げたスローインをしていたが、当初はまったくおとがめなしだった。
Jリーグのレフェリーたちが神経質になったのは、酒井選手が投げる構えをしながら本来のポイントから5メートルも、ときに10メートルも前進してしまうことだったようで、それは笛を吹いて下がらせていたが、前方に大きく投げた後に右足が高く上がってしまうことには、しばらく気がつかなかった。酒井選手のスローインは、欧州でプレーした9シーズンで、すっかり「世界基準」になってしまっていたのだ。
■サッカー界に広がっていた風潮
『チコちゃん~』でも紹介されたように、スローインに関して、現行のルールでは簡単に書くと3つの決まりがある。
<決まり1> ピッチに面して立つ。(後ろ向きに投げてはいけない)
<決まり2> 両足は、一部でも、タッチラインの上、あるいはタッチラインの外のグラウンドについていなければならない。(かかとでラインを踏んだまま投げ始めてもいいが、投げ終わる瞬間にそのかかとが浮き、ラインから離れてしまったら、反則になる)
<決まり3> ボールが出た地点から、両手で、ボールを頭の後方から頭上を通して投げる。(頭の真上にボールを持ち、そこから投げるのは反則)
サッカーの常識として、ボールが出た地点から2、3メートルの前進は許容範囲ではないかと思われる(すべてはレフェリーの判断に任されているので、断言はできない)が、酒井選手のように5メートル、10メートルと違ってしまったら、誰もがおかしいと思うはずだ。
こんなにシンプルな決まりなのに、違反が見逃されているのは、スローインから直接は得点できず、また、両手投げのために距離が制限されて、スローインが得点に直結する可能性も低かったために違いない。「まあ、大目に見ても大勢に影響はないだろう」というような風潮に違いない。
■新たな攻撃手段「ロングスロー」
ただ、近年、トップクラスのサッカーで「ロングスロー」を重要な攻撃手段として使うチームが増え、こうしたケースではしっかりルールを守らせることの重要性が説かれるようになった。
といっても、「ロングスロー」は近年に始まったことではない。イングランドで最も有名なロングスローは、1970年のFAカップ決勝戦、チェルシー対リーズで生まれた。ウェンブリー・スタジアムで2-2の引き分けに終わった18日後、マンチェスターのオールド・トラフォード・スタジアムで再試合が行われたのだが、この試合も90分間を終わって1-1。その延長戦の前半14分に、チェルシーが驚くべき決勝点を挙げたのだ。
左サイド、コーナーから20メートルほどハーフラインに寄った地点からのスローイン。投げるのは、チェルシーの長身FWイアン・ハッチンソンである。彼はヘディングシュートの名手として知られていたが、同時にロングスローも得意としていた。チェルシーのデイブ・セクストン監督は、2人のハッチンソンがほしかったことだろう。
だがこのとき、ハッチンソンはボールのすぐ近くにいたため、自ら投げることを選んだ。ボールは高く上がり、リーズのゴールエリアまで飛んだ。高くジャンプして頭で触れたのはリーズのDFジャッキー・チャールトン。だがクリアしきれず、ボールはファーポスト前へ。そこに飛び込んできたのが青いユニホームのチェルシーのDFデービッド・ウェッブだった。リーズの2人の選手ともつれ合うようにヘディング。ボールはゴールネットに突き刺さった。ハッチンソンのスローインが飛んだ距離は34メートルだった。