元ボクサーの父へ引退報告思い出し涙「野球選手は一度終えます」 日本ハムの杉谷拳士内野手が28日、札幌市の球団事務所で今季…

元ボクサーの父へ引退報告思い出し涙…「野球選手は一度終えます」

 日本ハムの杉谷拳士内野手が28日、札幌市の球団事務所で今季限りでの現役引退を表明した。自ら引退会見ではなく“前進会見”と名づけ、笑いも絶えない明るいスタイルはイメージのまま。ただその中で父・満さんと、昨季まで10年間苦楽を共にした栗山英樹・前監督に話が及ぶと言葉を詰まらせ、目元には光るものが浮かんだ。“2人の父”なくして、テスト生から1軍通算777試合出場まではい上がることはできなかった。

 杉谷が「拳士」というインパクト十分な名前なのには理由がある。父・満さんは北海道南部の南茅部町出身で、かつて日本フェザー級王者まで上り詰めたプロボクサーだった。引退後もトレーナーを務め、少年時代の杉谷は、ボクサーの卵たちと同様に「走らされまくってましたね……」という。

 2009年に、杉谷は入団テストを受け日本ハムに入団。念願のプロ野球選手となった。2軍時代、鎌ケ谷スタジアムのスタンドにはよく、杉谷に顔のよく似た満さんの姿があった。種目は違っても、プロとしての生き様を参考にしてきた。引退を父に報告した時に話が及ぶと「やっぱり、気になりますか?」と言葉を詰まらせた。上を見上げて、涙をこらえた。

「父親はボクシングをやっていてすごく厳しい方でしたし、まずひと言目に父に『野球選手は一度終えます。これから未来に向かって前進します』とお話をしたときに、普段は口数が少ないんですけど『よく頑張った。お疲れ様』という言葉をいただきました」

 さらに、母・真寿美さんも杉谷の何よりの理解者だった。「母親は帝京高校時代から朝4時に起きて、ご飯を1升炊いてお弁当を毎日毎日作ってくれましたし、ありがとうという言葉は伝えました」。杉谷の兄・翔貴さんは帝京高野球部で、1学年上。きっと毎朝、戦場のような忙しさだっただろう。家族の支えなくして、甲子園でのプレーも、プロ入りもなかった。

テスト生出身という同じ境遇、栗山前監督も「父親のような存在」

 さらに、杉谷の涙が止まらなくなったのは、会見の最後に昨季まで10年間、苦楽を共にした栗山英樹・前監督が花束を持って現れた時だ。「やり残したことはないですか?」という問いに「ないです。これから前進しようと思っています」とキッパリ言い切った杉谷は、おえつをもらした。「泣くな拳士、泣くな」と繰り返す栗山前監督と抱き合った。

 2019年に、国内FA権を取得した時から「ファイターズのユニホームで終わりたい」と考えていた。そしてこのオフはより具体的に、栗山前監督にも進退を相談していたのだという。

「栗山監督はずっと僕を見てくれていた、父親のような存在でしたし、今回こういう決断になりますと報告した際も『拳士らしいね。拳士は拳士らしく、これからできることをサポートしますよ』という話をしていただいて……。電話越しだったんですけど、電話を切った後に涙が止まらなかった」

 栗山監督が就任1年目の2012年、キャンプではまず、選手を見ることに徹していた。中盤を迎えようというころ、初めての“直接指導”に及んだのが杉谷だった。打撃練習のボールを上げる指揮官は「俺たちみたいな選手はな……」という言葉を繰り返していた。

 テストを受けてプロ入りという境遇が同じだったのだ。栗山前監督も、国立の東京学芸大からプロ野球を志し、ドラフト外でヤクルト入りした。だから杉谷には目をかけ、人一倍厳しくもした。バント失敗で即2軍落ちさせたこともあった。ただ「俺は信じているからな」と声をかけることも忘れなかった。2軍施設の屋内練習場で練習を繰り返す杉谷には、どれだけ支えとなったことだろう。

「本当に栗山さんには迷惑かけてばっかりで、ずっと今まで支えてもらっていたなと改めて感じました」

 杉谷は会見の最中、何度も「引退って言ってませんでした?」と報道陣に問いかけ、決して後ろ向きな言葉を使うまいとしていた。日本ハムを「世界一愛される球団」にしたいと、フロント業にも関心を見せた思考回路には、プロだけでなく球界全体の発展に尽くそうとする栗山前監督の影響が間違いなくある。これからも“2人の父”を追って、前に進み続ける。(羽鳥慶太 / Keita Hatori)