スペイン代表・強さの秘密(4)連載(1)「スペイン代表は欧州の強豪ではなかった。弱いうえにつまらなかった暗黒時代」はこち…
スペイン代表・強さの秘密(4)
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スペインと日本。五輪チームは過去3度対戦がある。2012年ロンドン五輪と2021年の東京五輪。それに東京五輪の直前に神戸で行われた親善試合である。
ロンドン五輪では、グラスゴーのハムデンパークで行なわれた試合で、日本が1-0でまさかの勝利を飾った。2012年7月といえば、ユーロ2012で、スペインがユーロ2008、2010年W杯に続き、世界主要大会3連覇を果たした直後で、スペインが史上最強を誇っていた時である。ロンドン五輪でもスペインは優勝候補に挙げられていた。
ユーロに出場したA代表メンバーから五輪チームに加わったのはハビ・マルティネス、ジョルディ・アルバ、フアン・マタの3人。その他にもダビド・デ・ヘア、アントニオ・ロペス、アンデル・エレーラ、イスコ、コケなど、有名どころを揃えていた。そのスペインと初戦で対戦することになった日本に、勝ち目はないかと思われた。
ところがスペインは、前半34分、扇原貴宏のCKから大津祐樹に先制点を許すと、その10分後にはレッドカードで退場者を出して10人での戦いとなり、そのまま0-1で敗れた。
スペインは次戦で小国ホンジュラスにも敗れ、グループリーグで敗退する。一方日本は、1968年メキシコ五輪以来となるベスト4に進出。銅メダルをかけた3位決定戦で、韓国にあえなく0-2で敗れたため、スペインに勝利した喜びを失うことになったが、日本代表にとって、ロンドン五輪は世界の強豪との距離が着実に詰まっていることを実感する機会となった。
ちなみに、当時のメンバーのなかで現在のA代表に生き残っているのは権田修一、酒井宏樹、吉田麻也の3人である。そしてそのうち酒井、吉田の2人は、その9年後に開かれた東京五輪にもオーバーエイジとして出場。準決勝のスペイン戦にも先発出場を果たしている。わずか1年前の話なので、ご記憶の方も多いだろう。延長に及んだ日本対スペインの一戦は、その後半10分、マルコ・アセンシオが決勝ゴールを決め、0-1でスペインに軍配が上がった。
トルシエが採った「フラット5」
この時のスペインには、その直前に行なわれたユーロ2020でベスト4入りしたA代表のメンバーが6人(ウナイ・シモン、パウ・トーレス、ダニ・オルモ、エリック・ガルシア、ペドリ、ミケル・オヤルサバル)含まれていた。
スペインがA代表×30~40%という感じだったのに対し、日本は準代表というべきA代表×70~80%の陣容で、ホームであったことを考えると、両国の間にはまだ少なからぬ差があると見るのが妥当と考える。

スペイン対日本戦で、中田英寿のタックルをかわすペドロ・ムニティス
そしてA代表同士が対戦した唯一の試合は22年前。2001年4月25日、スペイン・コルドバのエル・アルカンヘルで行なわれた一戦だ。
スペイン代表は以下のとおり、ベストメンバーに近い編成で臨んできた。
GKサンティアゴ・カニサレス、DFマヌエル・パブロ、ミゲル・アンヘル・ナダル、パコ、セルジ・バルフアン、MFイバン・エルゲラ、ジョゼップ・グアルディオラ、ガイスカ・メンディエタ、ラウル・ゴンサレス、ペドロ・ムニティス、FWサルバ・バジェスタ。
対する日本は以下のような顔ぶれだった。
GK川口能活、DF服部年宏、中田浩二、森岡隆三、上村健一、波戸康広、MF稲本潤一、名波浩、伊東輝悦、中田英寿、FW高原直泰。
4-2-3-1のスペインに対し、日本は中田英を1トップ下に据えた5-3-1-1で臨んだ。3バックではなく5バック。トルシエ監督の3バックはフラット3と呼ばれたが、それにちなみこの5バックはフラット5と呼ばれた。トルシエは実際、練習の段階から5人をフラットに並べていた。なぜ3バックではなく5バックだったのか。その理由は1カ月前(3月24日)、パリのスタッド・ドゥ・フランスで行なわれた親善試合に起因する。
0-5。日本はそこでフランス代表に大敗を喫していた。3-5-1-1で臨んだ日本に対し、フランスが狙いをつけたのは、左ウイングバックに起用された中村俊輔の背後で、いわゆる3バックの泣きどころを容赦なく突いてきた。
後半23分。ダビド・トレゼゲが5点目のゴールを奪うと、フランスは攻撃を止めた。親善試合に5点差以上の勝利を飾っては礼を失するとばかり、明らかに手を抜いてきた。日本にチャンスを与えたわけだが、スコアはそれでも動かなかった。
窮地を脱したトルシエ
単なる大敗ではないことをトルシエも自覚していたものと思われる。次戦のスペイン戦に、もし同様なスコアで大敗すれば、解任騒動に発展する。そう読んだトルシエは恥も外聞もなく、守り倒すプランを考案した。フラット5はその産物に他ならなかった。
民族対立が激しいスペインは、代表サッカーへの関心が低い国として知られる。20年前は現在より、その傾向がいっそう強かった。日本戦が観衆を1万5000人程度しか収容できないコルドバの小さなスタジアムで行なわれた理由でもある。
スタンドを8割方埋めた地元ファンは、ナショナリズムを高揚させ、スペインの勝利だけを願い、スタジアムに集まってきたわけではない。面白い試合を見たいとの欲求があったはずである。試合後、知人記者を含むスペイン人は実際、筆者にこう皮肉をぶちまけてきた。
「日本は守りの練習をするために、はるばるスペインまで高い旅費と時間をかけてやってきたのか。ご苦労様」
彼らは一様に呆れかえっていた。
試合は本当につまらなかった。当時のノートに筆者もこう憤りをぶちまけている。「眠くなるほど退屈」「こんな試合を毎日見ていたら病気になる」「サッカーが嫌いになりそうな試合」「日本はロープ際でひたすらガードを固め、クリンチで逃げ続けるボクサーのよう」「これは事件」「日本サッカー史に残る汚点」「世の中にはやっていいことと悪いことがある」「もしサッカーファンで、この日本のサッカーが好きだという人がいたら、お目にかかりたい」「有罪か無罪かと言われたら無罪だろうが、世界のサッカー界から永遠に叱られ続けることになるサッカー」......。
スペインが決勝ゴールを挙げたのは後半44分。ムニティスのスルーパスを途中出場したルーベン・バラハが流し込んだゴールだった。筆者にはその瞬間、胸をホッとなで下ろした記憶がある。
試合後、トルシエはこう言った。「守備はオッケーだった。あとはもう少し、攻撃的精神も持って臨めば......」。日本のメディアも酷かった。その言葉をそのまま見出しに使ったのである。まだ、サッカーを守備と攻撃に分けて考えがちだった当時の日本人につけ込むような言い回しで、トルシエは窮地を逃れることに成功した。
善戦。当時の日本はこの0-1をそう捉えた。すっかりだまされてしまった。トルシエは続投に成功。スペイン戦と言われた時、筆者が想起するのは、このコルドバの現場になる。何と言っても、日本とスペインとのA代表同士の対戦は、サッカー史において、いまだにこの1度しか行なわれていないのである。まさに貴重な国際親善の場であったにもかかわらず、トルシエはそれを冒涜するかのような、常軌を逸した超守備的な作戦を立て自己保身に走った。
スペインA代表と2度目の対戦となるカタールW杯が、世界のサッカーファンを湧かせるような好勝負になることを祈らずにはいられない。