全日本プロレス50周年実況アナウンサー・倉持隆夫が語る記憶に残る名勝負(2)(第1回:ブッチャーがテリーの右腕をフォークで「えぐり抜きます!」。名実況アナが振り返るまさかの瞬間>>) ジャイアント馬場が1972年10月22日、東京・両国の日…

全日本プロレス50周年
実況アナウンサー・倉持隆夫が語る記憶に残る名勝負(2)

(第1回:ブッチャーがテリーの右腕をフォークで「えぐり抜きます!」。名実況アナが振り返るまさかの瞬間>>)

 ジャイアント馬場が1972年10月22日、東京・両国の日大講堂で旗揚げした全日本プロレスが50周年を迎える。さまざまな激闘を放送した「全日本プロレス中継」で、長らく実況を務めた倉持隆夫アナウンサーが語る記憶に残る名勝負。その2試合目として挙げたのは、1981年12月13日に蔵前国技館で行なわれた、「世界最強タッグ決定リーグ戦」最終戦のブルーザー・ブロディ、ジミー・スヌーカ組vsザ・ファンクスだ。



全日本のリングに乱入したハンセン(中央)を迎撃する、ジャイアント馬場(右)やジャンボ鶴田(左)

 この試合では、ブロディ、スヌーカ組のセコンドに、新日本プロレスのトップ外国人選手だったスタン・ハンセンが登場するという「事件」が起こった。背景にあったのは、同年5月の新日本によるアブドーラ・ザ・ブッチャーの引き抜き。それに対する全日本の報復だった。

 ハンセンはその3日前まで、新日本のMSGシリーズに参加していたこともあり、ライバル団体のトップレスラーが現れるビッグサプライズはプロレスファンに大きな衝撃を与えた。その驚きは、実況した倉持もまったく同じだった。

「ハンセンが登場するなんてまったく知りませんでした。そもそも我々アナウンサーは、試合はもちろん、リング上で何が起きるかを事前に知ることはありませんでしたから。この時もまさしくそうです。ですから、ファンのみなさんとまったく同じ驚きを感じながら実況したんです」

 ハンセンはブロディとスヌーカのセコンドとして、白のテンガロンハットに白シャツ、ジーンズ姿で登場した。日本テレビのカメラが、ブロディ、スヌーカに続いて控室を出たハンセンの姿を捉えた瞬間、倉持はこう実況した。

「ブルーザー・ブロディとそれからジミー・スヌーカが今やってきますが......おっと、その後ろに、これは誰でしょうか? ウエスタンハットをかぶった大型の男。何やら、どういう選手なのか......」

「知っていて嘘をつく」

 ここまで伝えた時に、画面には花道を入場するハンセンが映し出された。瞬間、倉持は絶叫した。

「あっ! スタン・ハンセンだ! スタン・ハンセンがセコンドですね」

 解説を務めた東京スポーツの山田隆も「ハンセンですよ!」と声を上ずらせた。さらに倉持はこう続ける。

「スタン・ハンセンがセコンド。これは大ハプニングが起こりました、蔵前国技館!」

 ハンセン登場に倉持と山田は興奮していた。あれから41年を経て倉持は、この「あっ! スタン・ハンセンだ」の実況を、プロレスアナウンサー時代で「最高のフレーズでした」と振り返った。

「『知っていて嘘をつく』ということがあるんですが、この時のハンセン乱入もそうです。モニターを見ていて、控室から出てくる男が見えた時に、私はすぐに『スタン・ハンセンだ』とわかりました。ですが、彼はその直前まで、新日本プロレスのテレビ朝日に出ていたわけです。だから『全日本の選手じゃないから、ハンセンって言っちゃまずいんじゃないか』と思って『ウエスタンハットをかぶった大男』と、デタラメなことをしゃべったんですよ。

 その後、正面に姿が映りましたから、これは言うしかないと思って『スタン・ハンセンだ!』と。知っていて嘘をつくというのは、そういう意味なんです。自慢げに話させていただけるなら、我ながらいい実況だったと思っています。うろたえながらしゃべったんですが、見事にその状況を描写できたんじゃないかと」

 試合は16分過ぎ、ブロディが場外に転落したテリー・ファンクをハンセン目がけて振り、左腕を上げた"不沈艦"がウエスタンラリアットを見舞う展開となった。倉持は「おっと外ではウエスタンラリアート! ウエスタンラリアートが見えました。スタン・ハンセンはとうとう手を出しました」と、全日本のマットで初めて披露されたハンセンの必殺技を実況した。

「ハンセンの試合はテレビ朝日で見ていましたから、ウエスタンラリアートが必殺技だということは知っていました。それをそのまま描写したということです」

 そして21分41秒、ブロディがキングコングニードロップでドリーをフォールし、世界最強タッグ初優勝を果たした。試合後、ハンセンがグロッキーのドリーを攻撃すると、そこに馬場やジャンボ鶴田がリングイン。馬場とハンセンが激しくやりあって遺恨が生まれた。

「ハンセンが乱入して馬場さんとやりあってね。一気に急な展開が生まれましたから、本当に衝撃的な事件でした。今でもあの日の放送は忘れることができません。全日本プロレス中継を担当した中で最大のサプライズでした」