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激闘来たる! カタールW杯特集

注目チーム紹介/ナショナルチームの伝統と革新 
第5回:イングランド

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プレミア下位クラブのようなプレースタイル

 UEFAネーションズリーグのグループリーグ、イングランド代表は0勝3分3敗でグループ3の最下位となった。イタリアが首位でベスト4進出、波乱の主役となったハンガリーが2位、ドイツが3位。



イングランドはネーションズリーグ最終節のドイツ戦で3-3の引き分け

 イングランドはイタリアに1分1敗、ドイツには2引き分けだったが、ハンガリーに2敗したのが響いた。とくにホームでの0-4は衝撃的な大敗と言える。

 最終節のドイツ戦は3-3で何とか面目は保ったが、カタールW杯に不安を抱かせる内容だった。5-4-1で「バスを置く」守備のイングランドに対して、ドイツは崩しの手がかりを見いだせず。イングランドは時折効果的なカウンターを仕掛けている。

 後半にドイツが2ゴール、しかしイングランドは3点を返して一時は逆転、最後にドイツがゴールしてドローというスリリングな展開ではあった。

 個々の能力は高い。カウンターも鋭い。守備は手堅い。ただ、それ以上のものはなかった。ドイツがボールを支配して攻め込んでくるので噛み合った展開になったが、イングランドはビルドアップができず、ほとんど主導権を握られどおしだったのだ。

 プレミアリーグではマンチェスター・シティやリバプールといった世界的な強豪クラブがあり、戦術的にも高度なサッカーをしている。ところが、そうしたクラブから選抜された選手たちの代表は、なぜかプレミア下位クラブのようなプレースタイルになってしまっている。

 ただ、実はそれも今に始まったことではない。

 イングランドはサッカーの「母国」と呼ばれる。ルールを制定し、世界に先駆けてプロリーグを発足させ、ヨーロッパ大陸や南米にサッカーを広め、世界中で英国人コーチたちが普及とレベルアップに貢献した。

 サッカー先進国として1920年代には国際試合で絶対的な強さを誇った。徐々に他国との差は縮まっていったが、1940年代までは他国が仰ぎ見るような存在ではあった。

 怪しくなったのは1950年代だ。第二次世界大戦後に再開された1950年ブラジルW杯では、セミプロの米国に敗れる史上最大の番狂わせが起きている。さらに決定的だったのが1953年に「世紀の一戦」と盛り上がったハンガリー戦でのトラウマ的敗戦だ。

 試合自体は親善試合にすぎないが、イングランドがホームで英国以外のチームに初めて敗れたという事実以上に、内容的に大差をつけられたことがショッキングだった。スコアは3-6。当時「マジック・マジャール」と呼ばれて破竹の勢いにあったハンガリーは、圧倒的な個人技と緻密なパスワークで、完膚なきまでに「母国」を叩きのめしている。

長い年月を要した伝統の否定

 振り返ってみると、この時に誤りに気づいていればその後の迷走はなかったかもしれない。ハンガリーが史上最強クラスだったのは確かだが、イングランドは他国とは異質なサッカーをしていて、技術と戦術で後れを取り始めていることを、このタイミングで認めるべきだったのだ。

 しかし、そうはならなかった。ハンガリーに敗れたのはベテラン選手が多かったためと結論づけ、ブダペストのリターンマッチには若手を送り込んだ。体力面で挽回を図った結果は1-7という惨憺たるものだった。一部には目を覚ました人々もいた。しかし、大方はなかったことのようにやり過ごした。

 1966年に自国で開催されたW杯で初優勝すると、イングランドは伝統的なプレースタイルへの自信を回復する。育成でも「ダイレクト・プレー」(手数をかけずシンプルにゴールへ向かうプレー)の推奨など、他国とは異なる独自路線の追求に拍車がかかった。その結果、1974、78年のW杯予選敗退という暗黒時代に突入してしまう。そこでようやく何かが間違っていたことに気づいた。

 そこからは「伝統」との戦いになった。他国並みの「普通のサッカー」ができるようになったのがようやく1980年代の後半だった。1990年イタリアW杯ではベスト4、その後多少の揺り戻しも経験しながら、2018年ロシアW杯でもベスト4進出を果たした。

 2014年、イングランド協会は「イングランドDNA」という指針を打ち出している。各国にこうした流れはあり、日本サッカー協会も先ごろ「ジャパンズ・ウェイ」を詳細に説明する文書を発表した。

 うがった見方かもしれないが、イングランドがわざわざ「DNA」としているのは自分たちの原点を見失っているからではないか。自らの伝統、DNAを否定したことが、現在につながった。しかし一方で、自分たちが何者なのか問い直さなくてはならなくなっているのではないか。

 1872年にイングランドはスコットランドと初の公式国際試合を行なった。ここからの10年間に両者は11回対戦しているが、スコットランドが7勝2分2敗と圧倒。ショートパス戦法を確立したスコットランドに、イングランドのロングパス戦法は太刀打ちできなかった。

 その後、世界に普及していったのも主にスコットランド方式である。それでもイングランドはロングパス戦法を捨てなかった。ハンガリーに大敗したぐらいですぐに変わるはずがないのだ。

 ルールを制定し、協会を設立した時、納得できずに退会した勢力が後にラグビー協会を創る。意見が分かれたのは手を使えるかどうかではなく「ハッキング」を認めるかどうかだった。ハッキングとは攻撃側の選手の脛を蹴って撃退する行為で、サッカー協会はそれを認めず、それでは男らしさが減退すると反対した人々が退会した。

 つまり、それまでハッキングは行なわれていて、サッカーはそうした荒々しい競技だったわけだ。格闘技に近い、肉弾戦ありきのスポーツ。それが原点で、スコットランドに負けようがハンガリーに大敗しようが、そう簡単には変えられない。それが好きでやっているわけで、まさにDNAだった。

基盤がはっきりしないままカタールW杯へ

 1970年代からイングランド代表がすっかり勝てなくなったのは、各国のGK、DFが体格や技術面でイングランドのハイクロスやロングボールに対抗できるようになり、逆に技術の優位が顕在化したからだと言われている。イングランドは激しさやハードワークが空回りし、独自路線が通用しなくなった。

 プレースタイルは主に合理性と嗜好性から成立する。イングランドは「母国」であり、自らの正当性を疑っておらず、嗜好性があまりにも強すぎた。自分たちのプレースタイルに合理性がなくなっていることに気づきながら、あえて目を背けるほどに。

 すっかり勝つための合理性がなくなったことを悟り、ようやく改革を始めて低迷期を脱したわけだが、あれほど執着したスタイルを断念したあと、それに代わるものが何かがわからなくなっているように見える。

 イングランド代表が低迷していた1970~80年代、クラブチームは逆にヨーロッパを席巻していた。リバプール、ノッティンガム・フォレスト、アストンビラがチャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ)を独占。戦術的にはイングランド代表とほぼ同じ。違っていたのは選手の質である。

 この時期にリバプールを牽引したケニー・ダルグリッシュはスコットランド人だ。グレーム・スーネスもスコッランド、イラン・ラッシュはウェールズ、ジョン・オルドリッジはアイルランドと、イングランド以外の選手が含まれている。

 イングランド代表はイングランド協会籍の選手しかプレーできないが、クラブは英国選抜という違いがある。スコットランド色の強いリバプールには、伝統のショートパスとロングボールをミックスさせたバランスのよさがあった。



イングランド代表の主要メンバー

 現在のイングランドにはワールドクラスのストライカーであるハリー・ケイン(トッテナム)やマンチェスター・シティの新進気鋭フィル・フォーデン、快足のラヒーム・スターリング(チェルシー)など、強豪クラブの名手たちがいる。

 ただ、強豪クラブほど世界選抜化しているので、イングランド人ばかりで構成されているわけではない。クラブの戦法は転用できない。しかし、代表として集まった時、かつて強烈にあったDNAはすでに失われている。

 基盤がはっきりしないまま合理性に従ってみると、スウェーデンなど北欧諸国の戦いぶりに似てきている。これはイングランド人監督が1980年代に根づかせたものだから相似性はある。そこにDNAの名残もあるわけだ。

 前回4位、2021年のユーロ2020は準優勝。イングランドらしさがわからなくなりつつも、結果は出してきた。近年の集大成となるカタールW杯では、勝つための合理性以外にも何かを残したいところだろう。