優勝が決定した瞬間、ファウルゾーンにカバーリングしていた聖光学院のエース・佐山未來(みらい)は、破顔一笑でマウンドに集まるチームメイトから少し遅れて歓喜の輪に加わった。真ん中で仲間たちにもみくちゃにされていると、フッと力が抜けたように倒れ…

 優勝が決定した瞬間、ファウルゾーンにカバーリングしていた聖光学院のエース・佐山未來(みらい)は、破顔一笑でマウンドに集まるチームメイトから少し遅れて歓喜の輪に加わった。真ん中で仲間たちにもみくちゃにされていると、フッと力が抜けたように倒れ込んだ。

「ずっと気を張っていたので、それが抜けてしまったからかなって」

 佐山が言うには、マウンドだけではなくベンチでも、雷雨により中断していた1時間54分の間もずっと気を張っていたという。

 無理もない。舞台は福島大会決勝戦。相手は昨夏に苦渋を味わわされた光南である。「完璧に抑えようとすると苦しくなるから、決定打だけは許さないように」と、粘りのピッチングで9回3失点。聖光学院3年ぶりの甲子園を実現させた。

 もしかしたらそれは、この試合に限ったことではないのかもしれない。佐山の歩みをたどれば、1年前からずっと気持ちを張り続けているようだった。



福島大会で自己最速の142キロをマークした聖光学院のエース・佐山未來

センバツ出場の原動力に

 この1年の間、佐山には3つの大きい山が訪れている。

 最初は昨年夏の敗戦だ。

 準々決勝で光南に敗れた聖光学院は、戦後最長記録を更新し続けていた夏の甲子園連続出場が13で途絶えた。下級生ながら正捕手の山浅龍之介とともに控えピッチャーとしてベンチ入りしていた佐山は、目の前で先輩たちの絶望に触れ、自分も殻に閉じこもった。

「夏に負けてから8月下旬くらいまで、ずっと気持ちを切り替えられなくて......。負けを引きずりながら過ごしていました」

 下を向いていた自分に気力を漲らせてくれたのが、仲間の存在だったと佐山は言う。

「悔しいのはおまえらだけじゃねぇ!」

 新キャプテン・赤堀颯の言葉に感情を揺さぶられ、秋季大会直前の紅白戦では「エースなんだと気づかせる」と意気込むレギュラーメンバー相手に7失点とメッタ打ちを食らった。そして、仲のいい同じ投手の小林剛介からは「おまえに託すから」と背中を押された。

 迎えた秋、佐山はマウンドに君臨した。最速140キロのストレートに縦と横のスライダー、カーブ、カットボール、ツーシーム、シンカー、フォーク、チェンジアップ......多彩な変化球と抜群の制球力を駆使した投球術が冴えわたった。

 まさに"絶対エース"と呼ぶにふさわしいパフォーマンスだった。福島大会から東北大会の準決勝までの9試合すべてに登板。63回を投げて防御率1.00と、チーム打率.267の打線をカバーする獅子奮迅の活躍で、聖光学院にとって6度目となるセンバツ出場の原動力となった。

センバツ敗戦で痛感した驕り

 しかし、チームが絶対不変の目標「日本一」を掲げた舞台で、佐山は山の険しさを痛感することとなった。

 大会前に習得した「力感なく投げる」ことを意識したピッチングで、前評判の高かった二松学舎大附(東京)をわずか93球で完封。ところが続く近江(滋賀)との試合は、公式戦で自己ワーストとなる7失点。佐山は自らの驕り、無力さに直面する。

「自分が投げた試合でついた初めての黒星で......今までは打たれて降板しても、試合は勝っていたので、心のどこかで『自分のせいじゃなかった』という気持ちがあったって気づきました。近江に負けたことで、自分が"井の中の蛙"だったと」

 センバツ後、佐山は勝手に自分の限界に見切りをつけようとしていた。

 甲子園で投げあった近江・山田陽翔の最速148キロをはじめ、全国には150キロ近いストレートを投げるピッチャーがゴロゴロいる。一方で佐山は、2年生の夏前に記録した140キロを超えられないままだった。現実を突きつけられたことで、目的意識を失いかけたという。

「おまえはそんなに弱い男だったのか?」

 斎藤智也監督から尻を叩かれる。佐山自身も時計の針を巻き戻しながら、「高みを目指せていなかった」と未熟さを認めた。

 力感を抑えたピッチングから、出力を高めることに主眼を置き換える。踏み出す左足の歩幅を5.8足から6.3足に伸ばしたことで、バッター寄りの位置でリリースできるようになり、威力が増した。



聖光学院のエース・佐山未來(写真左)を陰で支えた小林剛介

 8種類の変化球を操り、ピッチングスタイルをすぐに修正できることからもわかるように、佐山は器用なピッチャーである。そのことが、時として代償を伴うこともあった。それが今年春の大会だった。

 県大会では3試合21イニングを投げて無失点と、新たな形で成果を収めたが、東北大会初登板となった準々決勝の秋田商戦で右足内転筋が悲鳴を上げた。準決勝、決勝はリリーフに回り無失点と結果は残したが、大会後からコンディション不良に悩まされ続けることになる。

投球スタイル変更の代償

 夏を投げ抜くにあたって、この山が最大の難所となった。

 患部は軽い炎症だったが、大会直前に痛みが再発するなど状態が上がらない佐山は焦燥感を抱いていた。不動のエース──夏のカギを握る選手であるがゆえに、チームメイトに心情を悟られまいと平静を装った。だが、行動をともにすることが多い小林は、佐山の機微を感じとっていた。

「佐山は絶対につらそうなそぶりを見せないし、試合でも調子がよくないながらもチームを背負って頑張るようなヤツなんで」

 その小林が夏前に一度だけ、佐山が漏らした本音を聞いたことがあった。

「オレで負けたらどうしよう......」

 小林は何も返せなかった。ただただ、「夏はコイツをひとりにさせない。限界まで投げさせない」と誓ったという。

 夏の大会が開幕しても、佐山のエンジンはかからない。初登板となった3回戦の小名浜海星戦は8回3失点とゲームはまとめたが、バッテリーを組む山浅は「球が荒れていました」と語り、指揮官からは「3失点は計算外」と厳しい評価を下された。

 佐山自身は「心と体が一致していなかった」と分析。その後は先発とリリーフを繰り返し、準々決勝まで16イニングを投げ自責点5と最低限の仕事は果たしてきた。そんな佐山に復調の兆しが見えたのが、準決勝前の2日間の調整だった。

自己最速の142キロをマーク

 本来なら、準決勝まで中1日のインターバルだったが、他会場の試合が雨天順延になったことで中2日に伸びた。これが佐山にとって転機となった。

 1日目をノースローに回し、2日目にブルペンに入った。その時点で、まだ違和感は拭えていなかった。

「本当にそれでいいんだな? おまえはそのボールで満足なんだな?」

 部長の横山博英に檄を飛ばされる。

「オメェ、どっかで怖がってねぇか。迷いなんか断ち切れ! 腕を振り抜け!」

 監督の斎藤からも喝を入れられる。

 春先のように思いきり左足を踏み込んだら、また内転筋を痛めてしまうのではないか。そうした恐怖心を見透かされていた。

 1球、1球投げ込むうちに、少しずつ迷いが薄れていく。「ウォラァ!」の雄叫びとともにボールが唸る。

 迎えた東日大昌平との準決勝。「いつも一緒にいて、信頼できるピッチャー」と語る左腕の小林が8回無失点と奮起し、最終回のマウンドを佐山が受け継いだ。

 一死後、ヤクルトジュニア時代のチームメイトで、今も交流のある3番・佐藤壱聖を迎えると、アドレナリンが放出される。6球目に自己最速となる141キロをマークすると、ファーストフライに打ちとった8球目は142キロ。1年以上も超えられなかった自己最速を、わずか8球のうちに2度も更新した。

「ビビっていたから殻を打ち破れていなかった。やっとリミッターを外せるようになったというか、悪かった自分から抜け出せたと思います」

 聖光学院の絶対エースは復活を遂げた。

 その姿に目を細めながらも、斎藤は「もう少しだな。あのボールの勢いでもっと低めに決まってくれればいいけどね」と注文をつける。克服すべき課題があればこそ、佐山というピッチャーはレベルアップを図れるのだ。

 雪辱を誓う真夏の大一番。福島を制したあと、「まだ折り返し地点だよね」と佐山に問うと、それまで笑みを浮かべていた表情が急に引き締まった。

 短く頷くその顔には、決意が宿っていた。

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