2点リードの9回表、一死二、三塁。この場面をどう守るべきだろうか? 野球にはさまざまな「セオリー」がある。不確定要素の多い野球というスポーツで勝つためには、先人たちが残してきたセオリーがひとつの道しるべになる。 冒頭の状況のセオリーは「内…

 2点リードの9回表、一死二、三塁。この場面をどう守るべきだろうか?

 野球にはさまざまな「セオリー」がある。不確定要素の多い野球というスポーツで勝つためには、先人たちが残してきたセオリーがひとつの道しるべになる。

 冒頭の状況のセオリーは「内野は定位置を守る」になるだろう。三塁ランナーをホームに還しても、まだ1点リードしている。二塁ランナーを還さないことを最優先に考えるべきだと。



サヨナラで優勝候補の一角である京都国際を破った一関学院ナイン

守備への絶対的な自信

 だが、8月6日の甲子園第3試合に登場した一関学院(岩手)は、この状況で前進守備を敷いている。その直後、皮肉にも前を守る二塁手のわずか左を抜ける同点タイムリーヒットが生まれた。

 ドラフト候補左腕の森下瑠大(3年)ら多くのタレントを揃えた京都国際を相手に、一関学院は序盤から試合を優位に進めていた。とくにアンダースロー右腕の小野涼介(2年)は110キロ台中盤のクセ球と巧みに緩急を使い、京都国際打線にまともにフルスイングをさせなかった。

 京都国際の先発マウンドに立った森下は本調子にはほど遠く、3回までに4失点で降板。7回終了時点で一関学院は5対1とリードし、勝負は決したかに見えた。

 だが、ここから京都国際が粘りを見せる。8回表には辻井心(3年)の犠牲フライや金沢玲哉(2年)のタイムリーヒットが飛び出し、2点差に迫った。

 9回表、マウンドに立った小野は球場の異様な雰囲気に戸惑いを隠せなかった。ボールカウントがかさむたび、スタンドからは拍手が起きる。焦れば焦るほど、コントロールは乱れた。小野がその状況を振り返る。

「自分がフォアボールを出して、京都国際さんのほうに流れがいきそうだという焦りはありました。でも、なかなかすぐに修正できませんでした」

 先頭打者から2者連続四球を与え、マウンドを背番号1の寺尾皇汰(2年)に譲る。送りバントを挟み、一死二、三塁の状況を迎えた。

 ここで一関学院ベンチから指示はなく、選手たちは前進守備を選択した。二塁を守る小杉晟(3年)はその意図を説明する。

「終盤になれば必ずキツい場面はくるとベンチで話していました。ピンチでも点数をやらないとチームとして徹底事にしていたので、前進守備をとりました」

 だが、打球は小杉の差し出したグラブをかすめてセンターへと抜けていった。意地悪な質問と思いつつも、小杉に聞かずにはいられなかった。

「『定位置を守っていれば捕れたのに......』とは思いませんでしたか?」

 小杉は申し訳なさそうな表情でこう答えた。

「あそこを抜かれて2点をとられた責任を感じました。『定位置を守っていれば』とも思ったんですけど、自分が捕っていればもっといい展開になったと思うので。『次は絶対に捕ってやる』と思いました」

 小杉に「攻撃的に守りたい意図があったという解釈でいいですか?」と確認すると、「はい、大丈夫です」と力強い返事があった。一関学院は伝統的に守備を売りにするチームである。守備への絶対的な自信から、前進守備を選んだということだろう。

 ただし、指揮官の高橋滋監督に話を振ると、高橋監督はまるで「敗軍の将」のような沈んだトーンでこう答えた。

「結果論ですけども、1点はいいから(内野を)うしろに下げておくべきだったなぁ......と、そのあとはすごく後悔しました」

勝ちに不思議の勝ちあり

 その場に立ってみないとわからないことがある。燃え盛る炎を遠くから眺めれば美しいかもしれないが、灼熱の炎を間近に見れば生死にかかわるため悠長なことは言っていられない。これまでも多くの高校球児たちが、炎に包まれたような熱狂の甲子園で戦ってきた。そこはすべてがセオリーどおりに事が運ぶ世界ではなかった。

「甲子園という舞台は、人間の冷静な判断を狂わせるような場所なのでしょうか?」。そう尋ねると、高橋監督はかみしめるようにこう答えた。

「私自身が初采配でしたので、最後の最後で的確な指示を出せなかったのは、まだまだ私の未熟なところだなぁと感じます」

 セオリーは崩れた。普通に考えれば、一関学院にとっては負け試合だったはずだ。だが、野球はそれでもわからない。延長11回裏、寺尾皇汰(2年)のサヨナラタイムリーヒットが飛び出し、一関学院は6対5で京都国際を破っている。

「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」とは、故・野村克也氏がよく好んで使った格言だ。一関学院はまさに「不思議の勝ち」を拾った。そこに不思議な力を感じずにはいられない。

 高橋監督はこうも語っている。

「京都国際さん相手にどういう試合をするんだろう、どういう気持ちで向かっていくんだろう......と選手たちを見ていたんですが、僕の想像以上に選手たちはしっかりしていました。『絶対に勝つんだ』という気持ちが、もしかしたら相手よりも少しだけ上回ったのかなと思います」

 怪物2年生スラッガー・佐々木麟太郎を擁する花巻東、最速152キロの速球派・齋藤響介(3年)を擁する盛岡中央、伝統的に強打線を誇る盛岡大付。そんな強豪がひしめく岩手を制し、12年ぶりに夏の甲子園に戻ってきた一関学院。優勝候補の一角を破り、攻守に力があることは存分に証明した。

 さらには「前進守備」の火中から九死に一生を得て、京都国際という大きな壁を乗り越えた。不思議な力を持つ一関学院は、甲子園に愛されたチームなのか。次戦は8月12日、明豊(大分)との2回戦を迎える。