連載「斎藤佑樹、野球の旅〜ハンカチ王子の告白」第12回 斎藤佑樹、高3の夏──西東京大会の初戦で都昭和に思わぬ苦戦を強い…
連載「斎藤佑樹、野球の旅〜ハンカチ王子の告白」第12回
斎藤佑樹、高3の夏──西東京大会の初戦で都昭和に思わぬ苦戦を強いられた早実は、都小川、都府中西を一蹴して準々決勝へ勝ち上がった。相手は早実とともにその年の春のセンバツに出場していた東海大菅生。ここから甲子園への戦いが本格化する。

高校3年夏、西東京大会決勝に勝ち上がった早実・斎藤佑樹
日鶴相手に3度目の正直
あの頃、西東京を勝ち抜くのは本当に大変でした。菅生とウチは春、甲子園へ行きましたが、おそらく日鶴(日大鶴ヶ丘)でも三高(日大三)でも甲子園で優勝を狙えるチームだったと思います。そのくらい、どこもレベルの高いチームでした。
ただ、準々決勝で当たった時の菅生はチームの状態としてはちょっと下り坂だったと思います。2年秋の東京都大会決勝で戦った(4−3で早実が勝利)時の手応えは感じませんでした。夏の初戦で都昭和に苦戦したあと、チームの空気があまりに緩んでいてみんなにキツく当たりましたが、この頃からはかなり声も出ていてウチのほうに完璧なスイッチが入っていたから、そう感じたのかもしれません。
1回に早実がいきなり2点を先制し、同点に追いつかれてしまいましたが、またすぐに突き放します。みんなが打って、走って、つなぎました。守りでもいいプレーがたくさん出て、点差(7−3)以上に菅生を圧倒することができた試合でした。秋に戦った時と比べて僕らが成長できていたからこそ、これほどまでに菅生との違いを感じることができたんだと思います。
これでベスト4です。準決勝の相手は日鶴......センバツが終わった直後の春の都大会で負けた相手でした。勝負事には相性というものがありますが、ウチはなぜか日鶴を苦手にしていました。日鶴のエース、仁平(昌人/のちに立大)くんには1年の秋に負けてセンバツへの可能性を断たれ、3年の春も負けていてこれが3度目の対決です。3度も続けて負けるわけにはいきません。
第1試合で日大三が勝って、決勝進出を決めていました。第2試合、僕らは後攻めです。1回、立ち上がりが苦手な僕はいきなり1番の左バッター(森圭太)を相手にボール球を3つ続けました。そして4球目、またも高めに浮いたボール気味の真っすぐを弾き返されて、レフトオーバーにスリーベースヒットを打たれます。続く2番バッター(山岡哲也)のセカンドゴロの間に1点を先制されてしまいました。
早実は5回、檜垣(皓次朗)の2点タイムリーで逆転に成功します。ところがその直後、僕のけん制ミスもあって招いたワンアウト2、3塁のピンチで真っすぐを指に引っかけてしまい、これがワイルドピッチとなって2−2の同点。さらにバッター(6番の辻浩樹)にライト前へタイムリーを打たれて、逆転されてしまいます。
そんな一進一退の試合は、早実が川西(啓介)のタイムリーなどで4−3と逆転。1点リードしたまま9回を迎えます。ワンアウト2、3塁から3番の右バッター(牧山智嗣)をインコース胸元のまっすぐで見逃し三振。
ツーアウトとなってあとひとりというところで迎えた4番の右バッター(内山誠)にもインコースのギリギリを攻めます。ところがこのインコースをえぐるはずのボールが相手の背中ギリギリのところへ抜けて、これがまたもワイルドピッチになってしまいます。早実は土壇場で4−4の同点に追いつかれてしまいました。
9回裏、試合を決めたのは1年生の佐々木(孝樹/のちに早大で主将、JR東日本)でした。あの試合はたしか途中出場だったと思いますが、ツーアウト満塁で佐々木に打順が回ってきます。佐々木はもともと足が速くて、のちのち夏の甲子園でメンバー入りする選手でした。
その佐々木が痛烈な当たりで1、2塁間を破ります。僕は延長に備えて準備をしていたのでそのヒットは見ていなかったのですが、キンッという打球音だけは覚えています。この一打で早実がサヨナラ勝ち、日鶴をようやく振り切って決勝に勝ち進むことができました。甲子園まで、いよいよあと1つです。
西東京大会は通過点
決勝の相手は三高です。前年夏は準決勝で対戦して、メッタ打ちを喰らってコールド負け(1対8)。その年の秋には2−0の完封で三高に勝って僕らがセンバツへ出ましたが、文字どおり、三高とは1勝1敗で、これが3度目の対決です。
三高といえばバッティングは超高校級というイメージで、小倉(全由)監督はそこを大事にしていると聞いていました。秋に完封されて以来、三高は打倒早実、打倒斎藤の思いで冬の厳しい練習を乗り越えてきたと思います。実際、春の東京都大会では三高が優勝して、関東大会も優勝。すごく強い三高となっての、決勝での頂上対決です。周りは、三高と決着をつける日がついにやってきたと騒いでいました。
でも、正直に言えば僕のなかには少し違う感情がありました。三高には前の年の秋に勝って、もう決着をつけたという気持ちがあったんです。秋の三高戦は東京都大会の決勝でしたから、勝てばセンバツ出場がほぼ確実になります。あれが僕にとっては初めて決めた甲子園出場で、そのために夏に負けた三高を倒すことが大きな目標でした。
だから「三高を倒して」「初めての甲子園に出る」という2つの目標を同時に叶えて、秋は本当にうれしかった。2年の夏にコールド負けというとてつもなく大きなショックを与えられて、僕は三高戦のためだけに成長しようとしてきたんです。その気持ちは人一倍強かったと思いますし、だからこそ、秋の勝利は僕にとっては大きなものでした。
その後、センバツでベスト8まで勝ち進みましたから、3年の夏は全国制覇をすることが目標でした。西東京を勝ち抜いて甲子園に出ることはそのための通過点に過ぎなかったんです。
そのせいか、秋のような気負いはありませんでした。もちろん三高は強かったし、"夏の三高"と言われているほどですから、どれだけ力を蓄えてきたんだろうという不気味さはありました。
それでも、僕が見ているところは春に負けた横浜高校であり、秋の明治神宮大会で負けた駒大苫小牧でした。甲子園で優勝争いをするチームを見ているんであって、「おまえらじゃないんだぞ」と意地でも思いたかったんでしょうね。
2年の夏は100ある力のうち80は出せた、それでもあんなに打たれた......たぶん100を出せたとしても打たれていたと思います。だから僕の100自体を大きくしないといけないと思って工夫を重ねてきました。それが秋に大きくできて、センバツでもっと大きくなって、夏にはさらに大きくしたという自信がありました。だから試合前はすごく心が穏やかで、落ち着いている感じがありました。
決勝戦初回にいきなり2失点
そういえば三高との試合前日、国分寺の家の近くの公園で父とキャッチボールをした記憶があります。なぜそういう流れになったのかは覚えていないんですが、おそらく大会中、僕のボールがけっこう荒れていたのでそれを何とかしようということになったんだと思います。
それこそ日鶴との準決勝で2度もワイルドピッチをしたり、ボールが上ずっていたり、変化球でストライクがとれなかったり......それを三高との試合までにちゃんと整えておこうと父が言い出したんでしょうね。そう言われた時、『こっちは疲れてるんだけどな』という気持ちも、ちょっぴりありました(笑)。
三高との決勝、早実はまたも後攻めで、僕は1回表のマウンドに上がります。三高の1番は左バッターの荒木(郁也/のちに明大→阪神タイガース)くんでした。インハイを狙ったストレートが真ん中高めに入って、それを弾き返されました。セカンドの頭をライナーで超えた打球はあっという間に右中間を割って、いきなりのスリーベースヒットです。
一死後、3番の佐藤(健太/のちに立正大→BCリーグ石川、福井、福島)くんにもセンター前へ打たれて、まず1点。さらに4番の田中(洋平/のちに専大)くんにもセンターの右へ低い打球のスリーベースヒットを打たれて、またも苦手な立ち上がりに2点を失ってしまいます。
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強打の日大三が見せた先制パンチに、ベンチにいた早実の和泉実監督は「1年前のコールド負けがパッと頭をよぎった」と言った。しかし斎藤はその悪い流れを断ち切ることになる。分岐点となったのはその直後に投げたストレートだった。
(次回へ続く)