巨人の捕手として20年の現役生活を送り、何度もチームを優勝に導いた村田真一氏。その長い現役生活のなかで、「これぞエース…
巨人の捕手として20年の現役生活を送り、何度もチームを優勝に導いた村田真一氏。その長い現役生活のなかで、「これぞエース」と思ったピッチャーは誰なのか。しのぎを削ったライバルのなかから珠玉の5人を挙げてもらった。

92年に15勝をマークした岡林洋一
岡林洋一(元ヤクルト)
90年代は巨人とヤクルトがほぼ交互に優勝するなど、しのぎを削った時代でした。ヤクルトには川崎憲次郎投手、伊藤智仁投手、荒木大輔投手、石井一久投手、伊東昭光投手など、好投手がいっぱいいましたが、そのなかでも私がエースとして挙げたいのが岡林洋一投手です。
ダイナミックなフォームから、ストレートはもちろんですが、スライダー、カーブ、フォークといった変化球の精度も高く、とらえるのが難しい投手でした。
岡林投手はルーキーイヤーの1991年、45試合に登板し、リリーフ投手ながら106イニングを投げて12勝12セーブ。翌92年は先発、リリーフにフル回転し、34試合(23先発/12完投)で15勝を挙げ、197イニングを投げました。6時間26分の日本プロ野球最長試合となった阪神戦では、7回からリリーフして延長15回までの9イニングを投げるという、今では考えられないことをやってのけました。
さらに西武との日本シリーズでは、第1戦、第4戦、第7戦に先発し、驚異の3試合完投。その後、肩を痛めて通算53勝と短命ではありましたが、太く短い野球人生は、強烈なオーラを放っていました。
山本昌(元中日)
私は捕手出身で、現役引退後はヘッドコーチを務めたせいか、「エースの条件」として、まずイニング数を重視します。私の現役時代は130試合制で、25試合に先発、7イニング投げたとして175イニング。それを上回るイニング数を投げたピッチャーがエースと考えます。
私の現役時代、中日は山本昌投手と今中慎二投手の、左腕ダブルエースでした。「10・8決戦」を戦った1994年、山本昌投手は19勝を挙げて最多勝を獲得しました。
山本昌投手の球は、球速表示はそこまで出ていないのですが、体全体を使って投げてくるためボールに力がありました。そして山本昌投手と言えばスクリューボール。いくら頭のなかでインプットしていても、いざ投げられると仕留められない。まさに「伝家の宝刀」でした。
スクリューボール以外の球も絶品で、打席のなかで常に「次は何がくるのだろう......」と考えさせられる投手でした。
最多勝には3度輝いており、通算219勝は伝説の大投手・杉下茂さんを抜いて中日歴代トップです。そしてなによりすごいのが50歳まで投げ続けたこと。中日だけでなく、球界を代表するエースでした。
川口和久(元広島ほか)
私が現役の頃の広島は、「投手王国」と言われるほど好投手が揃っていました。北別府学さん、大野豊さん、佐々岡真司さん......なかでも川口和久さんが苦手でした。
川口さんは1986年から6年連続2ケタ勝利を挙げ、最多奪三振のタイトルも3度獲得していますが、リーグ最多与四球も6度あるなど"荒れ球"が持ち味の投手でした。打者というのは、コントロールのいいピッチャーだと安心して踏み込んでいけるのですが、川口さんは「どこに投げてくるのかわからない」という怖さがありました。
ストレートも速かったですし、ボールに勢いがあった。本当に嫌なピッチャーでした。僕のほかにも、川口さんを苦手にしていたバッターは多かったと思います。「巨人キラー」と呼ばれて、巨人戦の通算成績は33勝31敗。巨人戦で30勝以上挙げ、勝ち越している投手は平松政次さん(大洋/51勝47敗)、星野仙一さん(中日/35勝31敗)、石川雅規(ヤクルト/33勝30敗)、そして川口さんの4人だけだそうです。
※2022年7月14日現在
その後、川口さんは広島初のFA権を行使して巨人に移籍することになり、バッテリーを組みました。高めのストレートが得意球で、変化球はカーブとフォーク。高低と緩急で勝負する投手でした。
思い出すのが1996年、広島に最大11.5ゲーム差をつけられてから大逆転した「メイクドラマ」。セ・リーグ優勝を決めた時の胴上げ投手は川口さんで、キャッチャーは私。最高の瞬間を味わうことができました。
遠藤一彦(元大洋)
江川卓さん(巨人)が1980年、81年と2年連続で最多勝のタイトルを獲得したあと、82年は北別府学さん(広島)、83年、84年は遠藤一彦さん(大洋/現・DeNA)がタイトルを獲りました。
遠藤さんもすごいと思う投手のひとりで、とくに印象に残っているのがシーズン37先発した1984年です。17勝17敗と、最多勝とともに最多敗戦を記録し、投球回276、被安打255、奪三振208はすべてリーグ最多。この年、大洋はシーズン46勝、勝率.374とダントツの最下位で、そんなチーム状況のなか、遠藤さんは来る日も来る日も投げ続けていました。体の頑丈さはもちろんですが、精神力の強さも一級品でしたね。
遠藤さんの代名詞はフォークで、落差が大きく、来るとわかっていても打てませんでした。さすが最多奪三振のタイトルを3度獲得している投手です。
あと遠藤さんと言えば、巨人のウォーレン・クロマティ選手との"かけ合い"は有名でした。クロマティ選手がいい場面でヒットを放った時、塁上で自分の頭を指差し「頭いいだろう」のパフォーマンス。逆に、遠藤さんがクロマティ選手から三振を奪った時は、同じポーズを返していました。エースと強打者の対決は、ファンを沸かせたものです。
藪恵壹(元阪神ほか)
阪神は1985年に優勝したあと、86年に3位、92年に2位がありましたが、それ以外は2003年に優勝するまですべてBクラスという時代が続きました。そんななか、藪恵壹投手は巨人サイドからすると、「阪神戦はいつも藪」というイメージがありました。
藪投手も遠藤(一彦)さん同様、チームの状況が厳しいなかでもマウンドに立ち続けた「エースのプライド」を感じるピッチャーでした。ルーキーイヤーの1994年、阪神の日本人投手として初の「巨人戦初登板初完封勝利」をマークするなど、シーズン9勝を挙げて新人王を獲得。94年から4年連続180イニング以上を投げるなど、阪神投手陣の屋台骨を支えました。
シュートとスライダーのコンビネーションで勝負するスタイルで、右打者にとってはシュートが厄介なボールでした。1997年に巨人に移籍してきた清原和博選手とは「内角攻め」でにらみ合っていたのが、今となっては懐かしい思い出です。