1981年に中日に入団し、82年にはセ・リーグの捕手として初のMVPに輝いた中尾孝義氏。その後、巨人、西武でもプレーす…

 1981年に中日に入団し、82年にはセ・リーグの捕手として初のMVPに輝いた中尾孝義氏。その後、巨人、西武でもプレーするなど、13年の現役生活を送った。その間、多くのピッチャーのボールを受け、数々の好投手と対戦してきた。そんな中尾氏に「衝撃を受けた投手5人」を挙げてもらった。



「昭和の怪物」と称された江川卓

ダントツでナンバーワン

江川卓(元巨人)

 文句なしのナンバーワンです。江川と最初に対戦したのは高校の時だったのですが、こんなボールを投げるピッチャーがいるのかと。ただただ驚きでしたね。真っすぐとわかっていてもバットに当たらないんですから。私自身、未熟というのもありましたけど、ベルト付近だと思って振ったのが胸の高さのボールだったり......本当にホップしているような、そんな軌道のストレートでした。

 大学でも、プロでも対戦しましたし、実際に何度かボールを受けたこともありますが、高校時代の江川のボールが飛び抜けて速かったし、衝撃的でした。もし高校を卒業してすぐにプロに入っていたら、200勝はもちろん、300勝の可能性もあったんじゃないかなと思いますね。それほど力は突出していました。

 ただプロ入り後は、相手を見ながら投げていたというか、手を抜くところがありました(笑)。ただ、そんな江川のすごさをあらためて見せつけられたのが、1984年のオールスター。パ・リーグの猛者相手に8連続三振を奪うのですが、あの試合、マスクを被っていたのが私だったんです。あの日の江川のストレートはキレ、伸びとも抜群で、バッターはまったくタイミングが合わず、みんなボールの下を振っていました。やっぱり江川はとんでもない投手なんだと、再認識させられました。



32歳の若さでこの世を去った津田恒実

ベース付近で加速する速球

津田恒実(元広島)

 ストレートなら、津田も忘れられないひとりです。先発で投げている時はそこまで印象に残っていないのですが、抑えになってからの津田はすごかった。とにかくボールが速く、勢いがあった。ストレートは江川と同じホップしてくる軌道で、バットに当てるのが困難な投手でした。

 ベースに近づくにつれて加速してくるイメージで、捉えたと思ってもボールの力に負けてファウルになったり、凡フライになったり......球速表示以上に速さを感じました。

 変化球はそこまですごいというわけではなかったので、ストレート一本に絞って待っているんですが、それでもまともに当たらない。ピッチングフォームもダイナミックで、本当に迫力がありました。

斎藤雅樹(元巨人)

 あとストレートでどうしても外せないのが斎藤です。僕が中日から巨人に移籍した時に、当時の藤田元司監督、中村稔コーチから言われたのが「斎藤雅樹を一人前にしてくれ」でした。斎藤とは中日時代に何度か対戦したことがあったのですが、とにかくストレートが強い。だから、なぜこれだけのボールを投げられるのに勝てないのか、不思議でなりませんでした。

 斎藤とバッテリーを組んで、まず言ったのは「アバウトに投げろ」ということ。それまでの斎藤はいいところに投げようとしすぎて、思いきり腕を振れていなかった。とにかくストライクゾーンにさえくれば、彼のストレートは生きると。

 その読みどおり、斎藤は見事に化けたわけですが、自信を持ってからのピッチングが圧巻でした。ストレートはもちろんですが、スライダーも大きな武器になって、まさに「球界のエース」へと上り詰めていきました。テンポもいいし、斎藤が投げる日は試合時間が短かった。みんな早く飲みに行けるって喜んでいました。

これぞピッチング

大野豊(元広島)

 大野豊はダイナミックなフォームで、ストレートも速かったのですが、印象に残っているのは変化球です。大野の変化球の何がすごいかと言ったら、ベース近くになって急に変化してくるんです。「ストレートと思って振ったら、スライダーだった......」「ストレートと思ったらフォークだった......」。そんなことはしょっちゅうありました。「こんなボール、どうやって打てばいいんだ」と、僕にとってはまさしく"魔球"でしたね。

 ボールの出どころもわかりづらかったし、何を待ったらいいのか、狙い球を絞りきれなかった思い出があります。当時の広島には川口和久というサウスポーがいて、彼もすばらしい投手でしたが、コントロールは大野のほうが上でした。その分、攻略するのが難しかったですね。

 左投手はそこまで苦手意識がなかったのですが、大野は別格。まったく打てなかったですね。怖いというよりは手強さを感じる投手でした。

都裕次郎(元中日)

 リードしていて一番楽しかった投手が都裕次郎さんです。サインを出したら「うん」とうなずいて、すぐに投げてくる。とにかくテンポがすばらしく、野手は守りやすかったと思います。

 左右高低を自在に操り、面白いようにバッターを打ちとることができる。キャッチャーとして「こうやってこの打者を打ちとりたい」というのを完璧に遂行してくれる投手でした。

 ストレートは最速でも135キロ程度でしたが、ストライクからボールになるスライダーが絶品。リーグ優勝した1982年に都さんは16勝をマークするのですが、あの年は「テンポよし」「コントロールよし」「変化球よし」と、まさに無双状態でした。「ピッチングとはこういうものだ」というのを教えていただいた投手でしたね。