大阪桐蔭・西谷浩一監督のマジック(後編) センバツを制した直後の勝利監督インタビューで、大阪桐蔭の西谷浩一監督は「明…

大阪桐蔭・西谷浩一監督のマジック(後編)

 センバツを制した直後の勝利監督インタビューで、大阪桐蔭の西谷浩一監督は「明日からまた夏の山に登りたいと思います」と力を込めた。それから約2カ月、チームの現状について聞いてみた。

(前編はこちら>>)



この夏、自身2度目の春夏連覇に挑む大阪桐蔭・西谷監督「なにより大事なことは、まったく違う山に登るということを自分たちが知っておくことです。ここをわかっていないと本当に痛い目にあう。春の山というのは、(前年の)8月に新チームになって、秋の大会を戦い、センバツ出場の可能性があれば冬を越え、3月に備えるわけです。つまり、8月から3月まで同じ山に登るわけなんです。でも夏の山は、今年のウチで言えば、4月2日にセンバツの決勝を戦い、その直後から登り始めるわけなんです。まったく別のものなので、春の山を下りてからでないと夏の山には登れない。まず山を下りることからのスタートなんです」

 2年前、大阪桐蔭はセンバツで敦賀気比に準決勝で敗れた。0対11という屈辱的なスコアで敗れた直後、西谷監督は選手たちに今の思いを野球ノートに書かせた。すると、選手たちは揃ってこう書いてきたという。

「夏までにあと2つ勝てる力をつける」

 要するに、センバツではベスト4まで来ることができたが、最後は体力も技術も足りずに敗れた。夏へ向けて、ここから足りなかったものを身につけ、頂点を目指す、と。しかし、これを見た西谷監督は「そうじゃない」と選手たちを集め、懇々(こんこん)と諭(さと)したという。

「選手たちは、まさに春の山を登ってきた先に夏の山があると考えていたんです。でも、実際にはそうではなくて、まったく別の山なんだと言い聞かせました。今年の場合、ほかのチームは秋が終わった時点で夏の山を登り始めているのに、ウチと履正社だけはついこの間まで春の山を登り続けていたわけです。だから急いで山を下りて、ほかのチームよりも険しい道を登っていかないとダメなんです」

 ちなみに2年前のチームは、夏の大阪大会準々決勝で大阪偕星学園に1点差で敗れ、甲子園出場を逃した。スタート時点の認識のズレが影響したのかどうかはわからない。ただ、今回もまず春の山を下りるという意識づけを選手に徹底させた。センバツ優勝翌日には、宿舎から寮に戻り、早速トレーニングで汗を流した。1日休養という選択肢もあったが、体を動かした。

「『今日は休んでもいいけど、どうする? オレは夏の山に登りに行くけど』と言うと、選手たちは『やります』と。『ノー』とは言えなかったんでしょうけど(笑)。そこで『ウエイトを2時間だけやろう』と軽く汗を流しただけでしたけど、今から夏の山を登るという切り替えの練習でした」

 センバツ優勝から夏を目指す流れは、西谷監督にとっては2度目となる。前回は、藤浪晋太郎(阪神)と森友哉(西武)のバッテリーを擁した2012年。このときは、センバツに続き夏の甲子園でも全国の頂点に立った。西谷監督が当時を振り返る。

「あのチームがすごかったのは、センバツが終わって夏の大会に向かうまで、1分1秒たりとも油断や慢心を感じさせなかったことです。藤浪も、野手に助けてもらったという思いが強く、野手陣もこのままではやられてしまうという意識がありました。センバツを終えた夜に、今の思いを野球ノートに書かせると、全員が『このままじゃ夏は勝てない』と書いてきた。それを見て、僕はこのチームはまだまだ伸びると思いました」

 今回のセンバツも、耐えて、粘って、なんとか勝ち抜いた印象が強い。

「たしかに、ほかを圧倒しての優勝ではなかったですからね。粘って、粘って……気づいたら最後に生き残っていたという感覚です。だから選手たちは、まだまだと思っているはずです」

 ましてセンバツのチームは、レギュラーの約半数が新2年生の若いチーム。「もっと上を目指したい」「まだまだ成長したい」と思う気持ちは、より強いように感じる。

「たとえば、藤原(恭大)や根尾(昂)は素材的にいいものを持っています。ただ、相手にマークされたときにはね返せる力が、まだセンバツの時点ではありませんでした。だから、彼らがなかなか結果を出せなかった姿は、ある意味、思った通りでした。最後に藤原がホームランを打ったり、根尾が投手として締めたり、いい感じで終われたと思いますが、大会を通じて、下級生たちは『まだまだ力が足りない』と感じたはずです。その思いを、夏の成長にどこまでつなげてくれるかですね」

 その一方で、エースの徳山壮磨や主将の福井章吾ら、3年生の活躍が目立った。

「上級生にすれば下級生の存在が刺激になり、普段から負けられないという思いは当然持っているはずです。ただ、私自身は下級生中心のチームとは思っていません。春季大会前に3年生と2年生の紅白戦をやったのですが、3年生の圧勝。素材的に見て、5年後、10年後、野球界に残っているのは今の下級生の方が多いかもしれませんが、高校時代の1年の差は大きい。根尾と3年の泉口(友汰)のショートの守りを比べたら、現状では明らかに泉口が上。そこはやっぱり3年生なんです」

 春季大会では、野手陣に故障者が出た影響で競争の激しさはいっそう増した印象が残った。厳しいポジション争いを経て、夏には2012年以来となる春夏連覇の期待がかかる。

「ただ僕らは、連覇というより、毎年、日本一を獲りにいく姿勢でやっています。藤浪や森がいたから狙うというのではなく、常に日本一を狙う。そういう学校でありたいと思ってやってきました」

 春夏連覇はもちろん、3連覇、4連覇を期待する声もある。西谷監督も「そういった期待をしてもらえるチームでありたいですし、挑戦できるものならしたいという気持ちはもちろんあります」と意欲を隠さない。

 さらに、来年の夏の甲子園は記念すべき100回大会を迎える。指導者である一方で熱烈な高校野球ファンでもある西谷監督は、記念大会への高ぶりを口にする。

「90回大会のときに初めて監督として優勝を経験させてもらいました。その10年前の80回大会では、松坂大輔投手を擁する横浜高校が春夏連覇。やはり記念大会は特別な思いがあります。100という数字を聞くだけでワクワクします。どれだけの盛り上がりになるのか……。その輪の中に入って最後まで戦いたい。単純にそういう思いはあります」

 ちなみに、今年のセンバツ決勝で挙げた白星は、大阪桐蔭にとって甲子園通算50勝目となった。

「私がまだ大学生だった1991年のセンバツで仙台育英相手にノーヒット・ノーランでの1勝が甲子園初勝利。長澤(和雄)監督の時代からつながってきた歴史を感じますし、大阪桐蔭として区切りの50勝目を優勝で飾れたことは嬉しく思っています」

 創部4年目にセンバツ初出場を果たし、その年の夏には全国制覇。衝撃の甲子園デビューから四半世紀が過ぎ、今や全国の球児が目標とする強豪校になった。西谷監督にあらためて「大阪桐蔭の野球とは?」という質問をすると、こんな答えが返ってきた。

「春に1年生が入り、部員数は43人から63人になりましたが、いかに全員で一体感を持って戦えるか。ここが大阪桐蔭野球部の一番の芯の部分だと思っています。それは毎日のグラウンド、寮生活のなかでつくっていくもので、みんなで一緒に生活しているからこそ生まれる一体感。お互いを知り尽くしているからこそ、いざ戦いというときには塊となって向かっていける。そこは常にこだわってきた部分です」

 しばらくすれば、連覇に向けた戦いが本格的に始まる。

「夏は2年連続して負けていますから(一昨年は準々決勝で大阪偕星学園、昨年は3回戦で関大北陽に敗れている)。なんとしてもこの夏は、まずは甲子園出場です。大阪の戦いは、とても通過点とは言えない厳しいものですが、大阪を勝ち上がったときに初めて、春夏連覇の挑戦権が得られると思っています」

 春の山を下り、夏の山を登り続けている大阪桐蔭の歩みは、はたしてどこへつながっているのだろうか。