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【短期連載】令和の投手育成論 第12回
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プロ野球ではトミー・ジョン手術を受ける投手があとを絶たず、今年は中日の梅津晃大、阪神の髙橋遥人がメスを入れた。20代中盤のふたりは球界トップレベルのポテンシャルを秘める速球派だが、たび重なる肩・ヒジの故障に悩まされている。それだけ出力が高いことの裏返しだろう。
ヒジの上腕骨と尺骨を主につなげる内側側副靭帯が負荷に耐えられなくなってピッチングに支障をきたすと、投手たちは腱を移植する再建術を受ける。復帰には約1年を要するが、経験者の吉見一起(元中日)によると、患部が自分の感覚にフィットしてくるまでには約2年かかるという。
予防策を講じようという声がプロ野球OBや医療関係者、メディアなどから挙がる一方、効果的な対策はなかなか見つかっていない。厄介なことに、靭帯は鍛えようがないのだ。
トミー・ジョン手術経験者の話を聞くたび、肩・ヒジの故障予防をしつつ、パフォーマンスアップを目指すという"二律背反"の難しさを感じさせられる。とりわけ今年のドラフト候補に挙がる逸材がトミー・ジョン手術に至るまでの過程は、投手育成の大変さを突きつけられる話だった。

1年春からリーグ戦のマウンドに上がる亜細亜大・松本晴
阪神・髙橋遥人を超える逸材
「松本晴は髙橋遥人よりいいボールを放ります。間違いないです。だけど、ケガが多いんです」
亜細亜大学の生田勉監督は阪神に進んだ教え子を引き合いに出し、松本(4年)についてそう話した。樟南高校(鹿児島)時代から最速145キロを計測したこの左腕投手は、亜細亜大では1年春から8試合に登板。秋には5試合に投げた。
だが、2年春のリーグ戦がコロナ禍で中止になると、3年秋まで一度もマウンドに立てなかった。
松本は1年春から先発を任された一方、腰を痛めた。そして2年春には雨中のランニング中に転倒して左足首を複雑骨折する。復帰までに1年を要した。
ようやく投げられるようになった頃、トレーニングで有名な施設に2週間ほど行きたいと生田監督に希望を伝えてきた。よく相談したうえで許可すると、帰ってきた時には投球フォームに変化が見られ、球速もアップしていた。だが、生田監督は嫌な予感を抱く。ヒジに負担のかかりそうな投げ方だったからだ。
それでも、指摘することは控えた。
「僕が言うと、否定することになるじゃないですか。松本は親と話して自分のお金で施設に行って、僕も行かせた。行かせたということは、『勉強してこい』ということです。松本は学んだことを信じて帰ってきた」
生田監督はリーグ戦の開幕に向け、松本に調整登板の日を決めさせた。同時にヒジのストレスを測るため、「パルススローを早く持ってきてください」と代理店に頼んだ。
だが、先にきたのは登板日のほうだった。試合序盤は好投していたものの、数イニング後、投球がいきなり山なりに変わる。明らかに異変が起こっており、交代を告げて聞くと「ちょっとプチっといきました」と。病院で検査を受けると、トミー・ジョン手術が必要と診断された。
「パルスが届いたのはその3日後です。松本に言っておけばよかったなって思いました......」
生田監督が悔やんだのは、松本がそのフォームで投げるために必要な体づくりを欠いていたことだ。
「松本のように前にバーンって伸びて投げたいなら、もっと股関節から前足にグッとブレーキがかかるくらいでないといけない。そのためには後ろ足より前足のほうが強くないとダメ。そういうトレーニングをやっていたかと確認したら、『やらずにフォームだけを変えていました』と。どれだけの筋力があるかもわからないのに。で、帰ってきたらブチっていきました。だけど、否定はできないです。僕も行かせたわけだから......」
出力が上がったゆえのケガ
松本は投げすぎで故障したわけではない。出力が上がり、その負荷がヒジにのしかかって靭帯が悲鳴を上げたのだ。
動作解析担当のマネジャーの大出彩斗(2年)が、当時を振り返る。
「トレーナーの方がおっしゃっていたのは、『自分は"これくらい"の感覚でやっていたのが、急に以前より動くようになったから頑張りすぎて(ヒジの靭帯が)ブチっていったんじゃないか』と。いい球がいきすぎて、でも体がついてきていなかった。その時にパルスで測っていたら、それなりの数字が出ていたと思います。ワークロード(負荷量)が徐々に積み上がっていくのではなく、いきなりポンって跳ね上がったのかなと。負荷量は段階的に上げていかないといけないですからね」
連載第10回で紹介した急性負荷と慢性負荷は近年、パルススローのようなテクノロジーで数値化できるようになった。負荷量を管理する「ワークロード」という概念は今後ますます注目されていくだろう。
一方、生田監督は以前から選手たちにコンディショニングノートを書かせ、経験則とともに指導してきた。自身は捕手出身で、「ピッチャーは素人だろ?」という声があるのは承知している。同時に数々の好投手を育ててきた目に自信を持ち、"新しいもの"は誰より取り入れてきた自負もある。
「僕らは選手たちのいろんな取り組みを見ながら、日々教えています。今はYouTubeから情報をたくさんとれる時代で、それはそれでいい。だからこそ、僕が言っていることと、大出がやっている動作解析にどれくらいギャップがあるかも教えてあげないといけない。松本の場合、トレーニングを受けに行ったことが悪かったという話では全然ないんです。
選手たちにはモータスやラプソードをリンクさせながら投げたり、投げさせなかったりするなかで、『トレーニングをどうしようか』とトレーニングコーチとも話しています。そういうこともやりながら、『投げたあとと投げる前はこれを必ずやってください』というメニューもあるわけです」
根性論とテクノロジーの融合
世間に「根性論」と言われる亜細亜大学で、生田監督がテクニカルピッチやラプソード、モータスを取り入れてきた話はあまり知られていないだろう。"投げ込み"や"300球"という文字のほうが目につきやすく、厳しいイメージとも重なるところだ。
「ウチは『投げさせすぎだ』『壊れる』と言われますけど、その分、ケアもしています。選手の意見も尊重して、記録でもちゃんと残している。プロテインもタダで提供しているし、治療代もそう。整体師やマッサージ、鍼の先生とかいろんな方が来てくれて、選手の健康管理をしてくれます。
選手は自分の疲労度が不安だから、機械で測れるようにしています。そういうことができる人材は、僕の考え方を理論づけてくれる方たちだからパートナーとして育成していく。それが男子でも女子でもいいと思うんですよ。だから、クラブハウスは全部透明のガラスづくりにしてくださいと頼みました」
リニューアルされた日の出寮で学生生活を始めた大出は今年、大学2年目を迎えた。亜細亜から山﨑康晃(DeNA)や東浜巨(ソフトバンク)、九里亜蓮、薮田和樹(ともに広島)、近年では平内龍太(巨人)や内間拓馬(楽天)、岡留英貴(阪神)ら好投手が次々と出る理由を肌で感じている。
「一番は練習をすごくしっかりやる。球数を投げられるピッチャーが多いですね。休むほうが怖いくらいの気持ちでいる選手が多いので。ちゃんと投げ込み期間があって、トレーニングもしっかりやる。それがピッチングにつながってくるのはあるのかなと感じています。同時に機材がなんでも揃っていて、ケアやダウンもしっかりしていますね」
トミー・ジョン手術から復帰した松本はこの春、リーグ戦でマウンドに帰ってきた。5月12日の青山学院大学戦では6回から登板し、2イニングを投げて勝利投手になった。
大出は上を目指す投手たちをサポートしながら、自身はアナリストとしてプロに進みたいと考えている。
「1試合ごとの投球数のベースラインを出せれば、画期的だなと思って試行錯誤しています。一人ひとり個性みたいなものがあるので、そういうのを大事にしたいですね。大学までくる選手はみんな上手ですし、亜細亜は毎年プロに行く選手が出ているのであと押しができたらいいなと思っています」
誰より練習し、トレーニングを重ね、ケアも入念に行ない、テクノロジーも活用していく。亜細亜大学が優秀な投手を育成する裏には、"合理的な根性論"がある。
投手の宿命で、ケガは隣り合わせだ。それでも一定以上の球数を投げ、予防にも最大限に気を遣う。結果、羽ばたいていく投手がいれば、故障に見舞われる者もいる。
投手育成論に正解はない。だからこそ亜細亜は試行錯誤し、新しいものを取り入れながら、よりよい方法を模索し続けている。
一部敬称略
第13回につづく