リーグワン、プレーオフ決勝で活躍した山沢拓也(中央) ラグビーの新リーグ、リーグワンのプレーオフ決勝が行なわれ、埼玉パナソニックワイルドナイツ(埼玉=旧パナソニック)が東京サントリーサンゴリアス(東京SG=旧サントリー)を下し、初代王者に…
リーグワン、プレーオフ決勝で活躍した山沢拓也(中央)
ラグビーの新リーグ、リーグワンのプレーオフ決勝が行なわれ、埼玉パナソニックワイルドナイツ(埼玉=旧パナソニック)が東京サントリーサンゴリアス(東京SG=旧サントリー)を下し、初代王者に輝いた。とくに"ファンタジスタ"山沢拓也が成長をアピール。「すごく、ホッとしたという感じで......」。重圧から解放され、27歳のスタンドオフ(SO)は珍しく涙を流した。
真夏日の5月29日、東京・国立競技場。マスク姿の今季最多の3万3604人が詰めかけた。スタンドが大きくどよめいたのが、前半終了間際だった。ニュージーランド代表オールブラックスの40キャップ(国代表数)、東京SGのフルバック(FB)、ダミアン・マッケンジーが持ち前の鋭いランでゴールライン近くまで走り込んだ。
あわやトライかと思われた瞬間、山沢が懸命の戻りからマッケンジーの上体に両手を絡めた。左手でボールを持つ相手の左ひじあたりをつかみ、押し下げた。ノックオン。相手は転んだ。
値千金の「トライセーブ」だった。試合後、記者と交わるミックスゾーン。いつも物静かな山沢が白マスクの下の表情を少し崩しながら、「必死でした」と述懐した。でも、状況ははっきりと見えていたと言う。
「正直、トライされてしまうのかなというのはあったんですけど、まあ、(手が)届く範囲にボールは見えていたので、一応、そのボールのところに手を引っかけようと思っていて。ボールを持っている腕や肩のあたりを狙ったんです。ノックオンしてくれたらラッキーだと思って。はい、ラッキーでした」
山沢は、埼玉のホストエリアとなった埼玉県熊谷出身の天才プレーヤー。筑波大4年時にチームに加入して6年。創造性に富んだプレーから"ファンタジスタ"と形容されていたが、安定感、ディフェンスには不安があった。だが、年輪を重ね、堅実さが備わってきた。今季はリーグ最終節で負傷した司令塔・松田力也に代わり、プレーオフでは先発SOに入った。
山沢は本音を吐露する。
「絶対的な10番(松田)がプレーできなくなって、やはりプレッシャーみたいなものがありました。いつもは自分らしくプレーができればいいと思っているんですけど、どこかでプレッシャーがあって。最初から(10番で)出られて、勝てたというのはほんと、うれしいです」
鉄壁防御に貢献、値千金のジャッカル
埼玉の強みは鉄壁の防御である。相手にどうしても狙われるSOとて、埼玉の選手なら、からだを張らなければならない。ここで受けて立つと、相手を勢いづかせることになる。
試合は、キック主体のゲームマネジメントに徹した。エリアを意識しながら、チャンスと見れば、自在な長短のパスでボールをオープンに散らした。ビデオ判定で2本のトライが帳消しになったが、ふたつのトライを演出した。
山沢は、「(エリアマネジメントは)前半はできました。ただ後半は相手にうまく対応されたので、ちょっとうまくいかなかった」と振り返った。プレースキックの精度は不安定だったが、難しい左隅からのゴールキックは蹴り込んだ。ノーサイド寸前、埼玉はターンオーバー(攻守逆転)され、東京SGの猛攻を浴びた。
リードは6点。つまり、1トライ1ゴール(合わせて7点)で逆転される。我慢の時間が続く。耐える。ピンチでも、山沢の嗅覚はまだ、冴えていた。
東京SGが右オープンに展開し、ウイング(WTB)の尾崎晟也がライン際を走った。タックル。山沢がボールに絡んだ。ジャッカル(相手ボールの奪取)狙いだ。レフェリーの笛が鳴った。相手の「ノット・リリース・ザ・ボール」の反則。優勝が決まった。
山沢はよく、密集に飛び込むようになった。挑みかかる気概が伝わってくる。最後の場面を淡々と振り返る。
「最後の時間帯だったので、ペナルティーを犯すことも、ゲインを取られることも相手のチャンスにつながりますので。相手が(外に)振ってきてサポーターが遅れるようなシーンが見えたので、ジャッカルに行きました」
これまでジャッカル狙いのペナルティー奪取は?と聞かれると、白マスク下の顔をくしゃくしゃにした。「ほぼ、初めてかな」と漏らして、記者の笑いを誘った。
「最初は自分がペナルティーをとられたのかなとちょっと思って」
山沢のうれし涙とマッケンジーの悔し涙
試合終了、埼玉が18―12で勝った。山沢は泣いた。何度も手で目元をぬぐった。記者席から視線を移すと、あのマッケンジーも泣いていた。うれし涙と悔し涙のコントラスト。勝負はときに残酷な光景をつくる。
そういえば、この試合のスタッツを見ると、ポジションの違いはあるが、山沢のゲインメーター(ボールを持って走った距離)は「78メートル」で、マッケンジーの「43メートル」を上回っていた。
山沢は言葉に実感を込めた。
「苦しんでの勝利です。すごく大きな、いい経験になりました」
経験は宝である。苦しめば苦しむほど、選手はすごみを増していく。山沢は天才肌だが、実は努力も怠らない。練習では自分が納得するまで、黙々とやり続ける。プレースキックの居残り練習でもひたすら、蹴り続ける。
山沢は変わった。タフになった。たくましくなった。成長の実感は?
「これまでのシーズンと比べて、試合の入り方で、自分らしい入り方を少しずつ見つけられてきたのかなと思います」
ロビー・ディーンズヘッドコーチ(HC)は、「彼は一流選手です」と言いきる。
「今日のようなディフェンスができるスタンドオフは、世界中を探してもひとりもいない。スピードはあるし、勇気はあるし、ディフェンスのポジショニングもナチュラルです」
課題は、日本代表の本当の一員になること
山沢は、日本代表候補メンバーに入った。課題を聞けば、名将はこう、言った。
「一番大事なことは、彼が彼自身であり続けること。まずは、チームの本当の一員になることから始めないといけません」
すなわち、日本代表の戦術を理解し、周りとコミュニケーションをとって連係プレーを学び、仲間からの信頼を得ることである。日本代表は埼玉同様、ワンチームなのだ。
山沢はこれまで、自分に高い目標設定を置き、それにチャレンジしてきた。ただ、それを公言するタイプではない。来年のラグビーワールドカップ(W杯)フランス大会出場を狙っているのだろうが、その話題を振れば、顔をこわばらせて、こう漏らした。
「そんな先のことはまだ、考えていません。その時になったら、考えます」
一瞬一瞬、今を"自分らしく"生きる。自身の境遇に最善を尽くすラグビー人生。桜のジャージ(日本代表)の背番号10を着た山沢を見たくなる。