【短期連載】令和の投手育成論 第9回第8回はこちら>> 巨人に入団して10年目の今季、32歳の菅野智之は球団史上最多の開…
【短期連載】令和の投手育成論 第9回
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巨人に入団して10年目の今季、32歳の菅野智之は球団史上最多の開幕戦5勝目を挙げた。広く知られるように、菅野は祖父にアマチュア球界の名将・原貢、伯父に巨人監督の原辰徳を持つ"サラブレッド"だ。甲子園出場経験こそないが、東海大学時代から注目を集めてプロ入りし、沢村賞を2度獲得、ワールド・ベースボール・クラシックには日の丸を背負って2回出場した。
プロ野球には菅野のようにアマチュア時代からエリート街道を歩む選手がいる。"令和の怪物"佐々木朗希もそうしたひとりで、大船渡高校時代から先を見ながら大切に育てられた。そして今年、誰もマネできないような投球を披露している。
だが、こうした道を歩む投手はほんのひと握りだ。プロの世界にたどり着くには、どこかで自分の限界を超えて成長し、秘めた可能性をスカウトにアピールしなければならない。

昨年秋のドラフトでヤクルトから3位指名を受けた柴田大地
リスクは自らの決心
元中日で、2015年から母校の日本体育大学で投手コーチを務める辻孟彦は大学時代、同じ首都大学リーグに所属する同級生の菅野を追いかけることで投手人生を切り拓いた。
「菅野という明確なライバルがいて、勝たないと全国大会に出られません。大学3年秋、僕はリーグ戦で0勝3敗。『プロになりたい』と言っていたけど、4年生で余程の結果を残さないといけない。リーグ戦で最低5勝以上、目指すは7、8勝。そうすれば神宮に行ける可能性が高くなり、プロへの道も拓けます。
チーム事情を考えると、僕が毎試合投げないと勝てないのではと思いました。指導者が使ってくれるかわからないけど、『自分はここまでできる』というのを見せようと、開幕前から準備しましたね」
辻は春季キャンプで1日150球の投げ込みを10日間連続で行なった。誰に命じられたわけではなく、自分で考えて始めたことだった。
150球を投げるには、今までよりも肩の力を抜かないといけない。メリハリをつけることを考え、100球までは8割くらいの力で投げて、到達後はギアを上げて10球投げてみる。さらには、真っすぐを100球投げて投球フォームの再現性を意識するなど、自ら工夫を凝らした。
毎日150球を投げ続けるのは苦しく、「今日はやめておこうか」と頭のなかをよぎったこともある。だが「自分で決めたことだから」と、自然とブルペンに足が向いた。
「3年秋で0勝のヤツがプロを目指すなんか、はっきり言って無理というか。もしかしたら、ケガしていたかもしれない。でも、そこを乗り越えないと、プロに行けてないだろうという自分もいたんです。このあたりがすごく難しいところですが、リスクをわかってやるのは、自分の決心だと思うんです」
迎えた春のリーグ戦では14試合のうち13試合に登板して10勝、5完封を記録。リーグ優勝に導いてMVPに輝き、全日本大学野球選手権でも好投して、秋に中日から4位指名された。
選手の伸びる時期を想像する
プロ野球人生は3年間で終わったが、指導者に転身した今、かけがえのない財産になっている。プロを目指して入学してくる有望株から、球速100キロしか出ないなかで努力する教員志望者まで、未来ある若者たちと一緒に歩むうえで自身の経験は何ものにも代え難いものだ。
誤解なきように記しておくと、辻は投げ込みを推奨しているわけではない。むしろ自著『エース育成の新常識』の帯には、「その投げ込み、ホントに必要!?」と書かれている。
辻は自身の経験や大学院で学んだコーチング、トレーニングなどをうまく落とし込みながら、DeNAの大貫晋一や西武の松本航、ロッテの東妻勇輔、ヤクルトの吉田大喜、中日の森博人をプロに送り出した。そうして日体大は「投手王国」と言われるようになるなか、昨年、新たに巣立ったのが、ヤクルトに3位指名された柴田大地だった。
「柴田には『大学で活躍しよう』と一度も言っていないです。大学の指導者なのに変な話ですね(笑)。でもプロに行けると信じていましたし、それを伝え続けたつもりではあります」
大学時代に右ヒジの痛みを抱え、公式戦で一度も投げていない柴田は日本通運経由でなぜプロに進めたのか。その裏には、辻が指導者として大切にしていることがある。それが「見極め」だ。
「大学から社会人野球に進むのが厳しい選手の場合、だからこそ大学でできるだけ多くを吸収してほしい。そう考えて実戦に多く投げさせようとか、もっとこういう指導をしてあげようと考えています。
一方でポテンシャルが高く、野球を長くできそうな選手もいますよね。そうやって選手が一番伸びる時期を想像してあげないと、なかなか指導できないと思います。それが柴田の場合、『大学ではない』と2年生くらいで判断しました。一番伸びるのは、プロのステージで投げている時だと。そのためには途中で社会人に行かなければいけない」
故障中の選手こそ成長を見つける
柴田は高校時代から腰に不安を抱え、日体大に入学して早々に右ヒジをケガした。それほど量を投げてきたわけではないが、可動域が大きすぎて、ヒジが曲がりすぎるために過度な負荷がかかるのだ。プロになった現在は181センチ、92キロと恵まれた体格を誇るが、大学時代は「肩が強いのに、細身でくねくねだった」と辻は回顧する。
柴田の"選ばれし者"にしかない才能を辻は見抜き、時間をかけて前に進んだ。故障で投げられないなか、投球フォームでヒジが下がりすぎるクセをシャドーピッチングやトレーニングで修正していく。ビデオで撮り、しっかり確認しながら地道に一歩ずつ前へ向かった。
「こういう使い方が前よりよくなったとか、映像で見せながらやっていました。投げていないので、そうやって評価してあげないとモチベーションが下がるんですよね。選手はケガすると孤独になるし、自分は成長していないのでは......と思ってしまう。だから、こっちが成長を見つけてあげないといけない」
柴田は右ヒジを故障する前、最速143キロだった。入学早々のケガが治らずにボールを数年間投げられなかったが、黙々とトレーニングを続けた。ピッチングこそできなかったものの、投手として成長している感触は確実にあった。
「いま投げたら、147キロは絶対に出るな」
辻が言うと、柴田も同意した。
「ケガをする前の球速が143キロなので、下がっている可能性もあるんですよ。ただ、ふたりとも確信があったんですよね。トレーニングで体つきもよくなっているし、投げ方も前より絶対いい。何もかもついてきているぞって。それで故障明けに投げてみたら、最初に149キロが出たんですよ。143キロから急に上がっている。
でも、実際は"急"じゃないんですよね。取り組んできたものがあって、成長してきたものがあった。彼もそう感じてくれていたはずです。それは指導者にとって結構大事なところだと思うんですよね」
選手と指導者が同じ目標を持つ
柴田が在籍していた日体大荏原は決してネームバリューのある高校ではない。大学では公式戦で一度も投げることができなかったが、辻には確信があった。「見せれば、誰かが認めてくれるはず」と。
そして4年になって進路を決める頃、日本通運の練習に参加する機会があり、即採用が決まった。在学中にトミー・ジョン手術を受け、社会人2年目の昨年、ヤクルトに指名を受ける。その頃、ストレートは最速156キロを計測するまでになっていた。
大学時代に投げられない柴田を辻は支え続けた一方、教えられたことがたくさんあると言う。
「柴田は体もあれば、歯を食いしばれるとか、人間的な部分も全部持っていました。もう少しサボりたいという気持ちになるのではと思っていたら、僕が想像していたよりはるかにすごかったですね。ひたむきに練習できるし。それは評価というか、リスペクト的な感じを受けていました」
辻は初めてドラフト1位で送り出した松本や、同級生として切磋琢磨した東妻、高校時代の指名漏れから4年間で成長した吉田、高校時代は無名だったところから2位で中日入りした森、大学時代のトミー・ジョン手術を乗り越えて社会人経由でプロに羽ばたいた大貫や柴田らとの年月を通じ、コーチとして学んだことがある。
「選手と指導者が会話を大事にしながら、同じ方向を向く。同じ目標設定で練習する。いつ活躍するか、という時期も含めてですね。どのくらいの頻度で投げるか、お互いにどこまで一致しているかがすごく大事だと思います。『君は1週間に1度投げればいい』とか、『3日間、おまえを先発で行きたい』とか一緒に決めていく。高校の場合はどうしても連戦になりますからね。お互いの一致があれば、周りは外から評価する人たちなので別に関係ないと思うんです。この子たちの人生なので。それと立場上、指導者があらゆる観点から責任を持って決断することですね」
なぜ、日体大から次々と優秀な投手たちが台頭してくるのか──。その理由は、選手と指導者が同じ目線で「今と先」を見ていることにある。
第10回につづく
(一部敬称略)