ともに全国高校駅伝への出場経験を持ち、東京箱根間往復大学駅伝(箱根)での活躍を夢見て入学した半澤黎斗(スポ4=福島・学…
ともに全国高校駅伝への出場経験を持ち、東京箱根間往復大学駅伝(箱根)での活躍を夢見て入学した半澤黎斗(スポ4=福島・学法石川)と向井悠介(スポ4=香川・小豆島中央)。 しかし、半澤は2年時に6区に出走するも区間19位と苦い経験に。向井はメンバー入りは2度するも出走はならなかった。苦しいことが多い4年間だったが同期の存在が支えになった、と話す2人に4年間の競技生活、そしてサポートに回った最後の箱根を振り返っていただいた。
※この取材は2月10日に行われたものです。

――お互いの紹介をお願いします
向井 半澤は部内でもかなり仲のいい部員の一人でいつも仲良くさせてもらっているのですが、チームの中のムードメーカーで、常にチームを引っ張って行くような存在です。競技に関しても、トラックと駅伝両方目指していて、一緒に頑張っていこうと切磋琢磨する存在です。
半澤 向井は愛されキャラです(笑)。同期と先輩はもちろんのこと後輩からもいい意味で愛されていて、悩みとか相談はしやすい性格だと思います。競技に関してもイメージ通り真面目で何に対しても真剣に取り組むのはもちろんなのですが、最後の学年は最上級生としての自覚がすごい出ていたと感じています。Bチームの後輩はもちろん、同期のみんなもしっかり引っ張って行く存在になってくれたと思っていて、僕らの学年では欠かせない存在だったなと思います。
――箱根のあとはどのように過ごしていましたか
半澤 1月4日には寮を出て実家に戻っています。何度か東京にも行ったのですが、結局会うのは同期ばかりです。高校や中学の友達とも会うかなとも思っていたのですが、結局何か予定をたてるときは大学の同期とばかりになってしまって引退しても同じ人たちと遊んでいるという感じです。陸上は引退すると決めていたので、この3カ月は走らないつもりだったのですが、なんだかんだ地元の駅伝チームやイベントに呼んでもらって走っているので体重は意外と増えてないです。
――Twitterで、引退したのにポイント練習をしているというお話がありましたが
半澤 小学校の同級生が市民ランナーで、その練習を手伝って、って呼ばれて行ったら自分が思っていたよりもちゃんと走っちゃったって感じです(笑)。
――向井さんはいかがですか
向井 半澤とは違って、引退しても走りたいと思っていたので、出来る範囲でファンランしています。今は2日か3日に一回走ってる感じです。引退してからはジョグメインなので、競技やっていたころと比べるとペース上げるのが苦しくなってきていて、だんだんと遅くなっていくのが怖いと感じています。大阪マラソンに出る予定なので、そこでは最後まで走りきるのを目指している感じです(※2月27日大阪マラソン2時間25分59秒でフィニッシュ)。私生活は同期に会うのがメインで、人間関係は部活をやっていたころとあまり変わっていないです。それ以外では暇な時間は自炊するなど生活スキルをあげるのに挑戦しています。
――お2人は大学で競技を引退するということでお間違いないですか。また今後は走ることとどう関わっていきたいと考えていますか
向井 競技はアスリートとしては引退します。ただ走ることとは付き合っていきたいと思っていて試合とかにでたり、機会があればクラブチームに入るなどして駅伝とかも出られたらいいなと思っています。
半澤 僕は完璧にやめたいと思っています。ただ年に1回福島の市町村駅伝があってそこは地元の街に貢献できる機会なのでそこは出ようと持っています。出るからには遅いと嫌なので走れるようにはしておこうかなと思っています。あと、サッカーをしたいです。
4年生として

11月の早大競技会で集団を引っ張る半澤
――4年目を振り返っていただきたいと思います。まず、4年時の関東学生対校選手権(関カレ)は向井さんにとって最初で最後のエンジとなりましたが、お二人にとってどういった大会だったでしょうか
向井 やはりチームに貢献できなかったのでエンジを着たことよりも悔しくて申し訳ないという気持ちの方が強くありました。エンジを着ることの誇らしさを感じるとともに責任を感じたレースでもありました。終わってからは駅伝シーズンでリベンジする気持ちが湧きました。
半澤 自分の走り自体はよくはなかったです。それよりも、チームとして長距離全種目入賞することが出来てよかったです。自分の走ったセンゴ(1500メートル)も菖蒲(敦司、スポ2=山口・西京)、石塚(陽士、教1=東京・早実)が頑張ってくれたし、ほかの種目も後輩中心にがんばってくれて。千明(龍之佑駅伝主将、スポ4=群馬・東農大二)もしっかり結果を残してくれてチームとしてはいい大会でした。自分としては準備不足もあり悔しかったです。
――半澤さんは副将という立場でもありましたが副将になってからチームの向き合い方はどう変わりましたか
半澤 なるべく全体を見ることは心掛けていました。実際に合宿でBチームに入って感じたのは、Aチームとの乖離(かいり)がすごくあるということでした。Aチームから見てBチームって、練習量は多いけど中身が伴っていないとかそういう見方をされてしまうことが多くて、入らないとわからないことも多かったのですが、実際行って見たらそんなことは無くて、一人一人しっかり考えを持ってやっていました。そういったBチームの現状を周りの選手に伝える機会がなかったのだなと思ったので、ミーティングでもっと話し合おうよ、って言ったりしたら、みんな積極的に参加してくれたので、合宿終わってからはAチームとBチームの認識の差を埋められたかなと思います。お互いAチームもBチームも勘違いしていた部分が多かったのかなと思いました。
――向井さんの夏以降の調子はどうでしたか
向井 夏合宿は脛骨の疲労骨折で全く走れませんでした。長期離脱は今までなかったので、補強とかの重要性を、実際にやってより感じました。ただ2カ月の長期離脱が響いて、秋以降は結果が出せませんでした。最後の箱根で後がないので10月以降は故障してもいいという気持ちで20キロに絞って走ったのですが12月にアキレス腱を痛めてしまい、痛み止めを打ってポイント練習しかできなかったので終わり方はよくなかったです。
――出雲全日本大学選抜駅伝(出雲)と全日本大学駅伝対校選手権(全日本)の結果やその後の雰囲気をどうご覧になっていましたか
半澤 千明の離脱以降チームの歯車が狂ったというか、今振り返ると駅伝直前の雰囲気ではなかったです。千明が離脱したことに落ち込んだ状態で臨んでしまったと思います。千明の離脱後の雰囲気を変えられなかったのは4年の力不足だと思います。表面上はやるぞとは言っていたのですが、あまり浸透せず、不安なままレースに臨んでいたのかなと思います。
向井 チームの言葉と実際の雰囲気が違うというのが印象で、三大駅伝どれも不安材料が多かったのかなと思います。個人としてもケガで発言力がない中で声が届かないというか、対話を意識していましたがなかなか浸透させられなかったです。4年生として責任を持ってやっていくというところと発言力の無さというところとのギャップに苦しんでしまいました。
競技者として熱意を注いでいたものを、全部チームに預ける(向井)

大晦日の早大競技会(漢祭り)を走る向井
――箱根に向けてはどう切り替えていきましたか
向井 三冠を目指す中で、出雲、全日本と結果は出ませんでしたが、箱根に向けてチームとしては切り替えてやっていこうとなっていました。ただ、ケガ人や調子悪い人が多かったことと、それに代わる人が出てこなかったというのがあり、層の薄い中でやっていく難しさを感じました。自分もチームの主力になれないことにもどかしい思いをしました。
半澤 個人としては全日本終わった段階で箱根しかなかったのでそこに向けて出来ること全力やろうということで、本来であれば自分が走るためにできることを全部やろうと思いたかったのですが、千明の離脱や、中谷(雄飛、スポ4=長野・佐久長聖)や太田(直希、スポ4=静岡・浜松日体)も調子が上がってこない中で4年生が全体的に悩んでいたので、自分のことだけやっているわけにもいかない感じでした。チームのケアというか、チームを立て直すためにどうしたらいいかというのを話し合いながらやっていたので、チームも個人もどちらも100パーセントでできればよかったのですが、両方中途半端になっていたのかなと今は思います。チームとしてはやることと切り捨てることを判断してすっきりした状態で臨むべきだったのですが、みんな悩んだ状態で進んでいった気がします。
――その後メンバー発表があり、向井選手はメンバーに入れなかったかたちになりますが、その時のお気持ちやその後への気持ちの切り替えはどのようにしたかをお聞かせいただけますか
向井 メンバー発表は、けがをする直前くらいだったのですが、正直厳しいというのは分かっていたので、集中練習の時から、駒野コーチ(亮太長距離コーチ、平20教卒=東京・早実)にも「お前は集中練習にいれるけど、一番下だから、そこでどうやっていくかを考えろ」と言われていたので、そこで僕自身考えた結果、絶対何がなんでも集中練習を完遂する、食らいついていくというところは第一にありました。その考えというのが、箱根のメンバー発表後も変わらないと思っていたので、そのまま集中練習に残って食らいついていくところと、その後の漢祭り(大晦日の早稲田大学競技会)では必ず漢を獲って、チームに貢献するという2点を考えていました。
――漢祭りが終わった後から箱根へのサポート面への切り替えはどうでしたか。また、箱根のレースはどのようにご覧になっていましたか
向井 漢祭りが終わった段階で、僕はもう選手としてやれることは出し切ったと思ったので、あとはもう走る選手が少しでも1秒でも上に上がれるように、というところを考えていました。競技者としてはやることはやったのですが、そこで引退したわけではなく、チームとして熱意が落ちることは無いと考えていたので、競技者として熱意を注いでいたものを、全部チームに預けるという感覚で、年末から箱根まで過ごしていました。
箱根駅伝に関しては、1区から想定外のことが多く、今あまり思い返したくも無いくらい悔しいのですが、みんなが頑張ってくれていたという思いはあるのですが、それよりも自分のチームに対しての貢献度が低かったのかなという、自責の念というか、もっとやれることが合ったのでは無いかなという思いの方が箱根の2日間通して強くありました。

漢祭りのレースを終えた向井とそれを労う半澤
――半澤さんはメンバーに入り、6区の候補でもあったと伺っています。その中で往路の日の夕方に6区が栁本匡哉選手(スポ2=愛知・豊川)に決定したと聞いています。その時の心境をお聞かせください
半澤 集中練習中から(6区は)栁本と僕どちらかで行くとずっと言われていて、本当ギリギリまで考えさせてほしい、というのは29日のエントリーの時点で相楽さん(豊駅伝監督、平15人卒=福島・安積)と駒野さんからも言われていました。実際に言われたのが往路が終わった日の夕方、芦ノ湖についてからで、一人ずつ相楽さんの部屋に呼ばれて、そこで明日変更無しで栁本で行くというのを伝えられました。もちろん絶対走るという気ではいたのですが、6区の当日変更は早稲田はあまりこれまでやっていなかったので、1番手はやっぱり栁本なのかなというのは29日の時点では自分の中で少し思っていて。ただ、自分が走った方が絶対に速く走れるという思いだけは、ずっと持っていましたし、往路見ている時も、往路ゴールの後も、どういうレースプランで6区走り切るかということを移動中に考えていました。そういった思いは持ちつつも、次の日のサポートだったりとか、実際走らなかった方が7区の給水をやるのが決まっていたので、給水のスケジュールとか、どういう動きをするのかというのを確認しつつという感じで。言われた時は意外と冷静だったというか、準備できていたので。もちろん悔しかったですが、チームがシード圏外だったのでまずはシード、それ以上行くためにはどうするべきか、ということを考えていました。
――栁本選手の様子はどのようにご覧になっていましたか。何か声はかけましたか
半澤 (栁本選手は)言われた瞬間からめちゃくちゃ緊張していたので、緊張するのは仕方ないから緊張も楽しむくらいで行こうというのと、あと数秒差に東海大の選手がいて、その選手が前回の箱根で結構良い成績の選手だったので、上手く使って、もし一緒に行けるんだったら一緒に力使わずに行くのもアリだからそこまで緊張しなくても良いんじゃ無いかというのを言いました。あと、僕が走っても栁本が走ってもそこまで期待されていなかったので、そんなみんな期待してないよ、ということも言いました。箱根の前の練習中から2人で「俺らは走ったらめちゃくちゃ褒められるけどダメでもそんなに怒られないから」というのをずっと言っていたので(笑)。緊張をほぐすという意味でも、そういうポジティブなことだったり、なるべく緊張が解れるような言葉を選んで喋っていました。すごく無口になってしまっていたので、こっちが一方的にすごく喋っていました。
――箱根前から下りの練習を一緒にされていたのですか
半澤 そうですね。栁本が日体大記録会に出て、その後から合流して、調整までずっと一緒にやっていたという感じです。
――7区の鈴木創士選手(スポ3=静岡・浜松日体)への給水ではどのような声がけをしましたか
半澤 まず監督から言われた戦術的なレースの指示を伝えて、最初の5キロを速めに入っていたので、前との差は詰まってるから落ち着いて行こうというのを伝えました。あとは見た瞬間にめちゃくちゃキツそうだったので、ちょっとやばいなと思って、ちょっと元気の出るようなことを言おうと思ったのですが、特に思い浮かばずにそのまま給水のところに来てしまったので、「俺の分まで頼むぞ」と言って、そうしたらすごい大きい声で「ウォー」って言いながら走って行ったので、大丈夫だなと思ってそのまま見届けました。水はあまり飲んでなかったです(笑)。
――その後10区の出迎えもされましたが、どのような気持ちで山口賢助選手(文4=鹿児島・鶴丸)を迎えましたか
半澤 僕もどんな顔して迎えれば良いか分からなかったのですが、正直まさかシード落ちするとは本当に思っていなかったので、かける言葉もなかなか見つからなくてただ迎えたという感じでした。山口はずっとごめん、って言ってたのですが、山口が謝るのも違うなと思って、走った人だけじゃなくてこれはチームの力だから、という話はしたかなと思います。一瞬だったのであまり覚えていないのですが、結構みんな変な空気だったというか、みんな信じられないような感じで、あまり会話も無くという感じでした。

箱根10区で山口を出迎える半澤(右)(©︎KGRR/Getsuriku)
――向井選手も8区の給水をされましたが、どのようにして決まったのですか
向井 8区の給水はお願いされたかたちです。状況も追うしかない状況だったので、どれだけ千明が気持ち良く前向きに捉えられるかというところを意識して声かけをしました。千明も本当に苦しそうだったので、前後のタイム差とかの必要な情報は言った上で、本当に頑張れとしか声をかけられませんでした。もっと良いことを言ってあげられていたらなとは思ったのですが、千明自身からは一番良かった、頑張れたと言ってもらえたので、そこは良かったかなと思います。
――お二人は13位という結果についてレース直後はどのように感じましたか、また現在どのように感じていますか
半澤 その日はあまり実感が無かったというか、まさかシード落ちするとは正直本当に思っていなかったので、落ち込み切れないというか、言葉に表せないような変な感じでした。今振り返るとやっぱり悔しいなと思いますし、何が悔しいかってやっぱり自分が走っていなくて、チームに全く貢献できないまま引退してしまうというのが、本当に悔しいですし、早稲田という伝統のある強い大学に入って、強い同期にも恵まれた中で、最後思ったような結果を残せないまま不完全燃焼で終わってしまうのがすごく悔しくて、今はもう一回できるならやりたいなと思っています。
向井 終わった瞬間はまず最初に、「あ、これで4年間が終わったのか」ということを思いました。その後に僕自身エントリーメンバーにも入っていないですし走っていないので、後輩たちにごめんって言うのも走ったメンバーに失礼ですし、かと言って4年生として反省の気持ち謝罪の気持ちが無い訳でも無いですし、そう言った思いで、考えれば考えるほど、どう言葉をかければ良いのかというのが終わった当時はわからなくなりました。今振り返ってみると、やっぱり悔しくて思い返すのもきつい状況なのですが、自分にやれることは後輩を支えることだと思うので、これからも見守っていくとともに、できるだけ後輩が良い結果を出せるようにできることを考えてやって行こうかなと思っています。
「すごく距離の近い学年だった」(半澤)

2020年の箱根前の合同取材にて
――4年間全体やチームに関することをお聞きしていきます。まずお2人ともけがで走れない時期や結果が残せない時期があったかと思うのですが、そういった時期にモチベーションになったことや、救ってくれたのはどういったことですか
半澤 恥ずかしいですけど、同期かなと。同期は本当に強くて真面目な同期ばかりで、自分がダメな時も誰かしらチームを引っ張ってくれる選手がいて、練習以外のところでも特に直希は同じ部屋だったりとか、すごく距離が近い学年だったなと今でも思います。その分みんなにやっぱり走って恩返ししたかったなというのはあるのですが、本当にダメな時はすごく支えられたなと思います。
向井 僕は同期と先輩に色々助けられたなと思っています。やっぱり先輩だったら伊澤さん(優人氏、令2社卒)、住吉さん(宙樹氏、令3政経卒)、宍倉さん(健浩、令3スポ卒=現JR東日本)あたりはすごく励ましてくれました。同期だったらスポ推やTA入試の中谷、千明、半澤、直希あたりにすごく助けられたかなと思います。あとは、個人的に野球とかそういう趣味で気持ちを切り替えたりとかしていました。
――お二人とも地元のためにというお話が聞かれることが多くありましたが、そういった地元からの応援も、4年間頑張る上で糧になりましたか
半澤 僕は震災の影響で、地元の復興に貢献したいという思いがすごく強かったので、そういったのもありました。辛い時、もうやめようかなと思った時も、頑張らなきゃいけないなと思うきっかけにもなりましたし、町のために頑張るというのはずっと思っていました。
向井 僕自身4年間一番頑張る根源となったのは地元のために頑張るというところだと思います。すごく応援してくださる方が多くて、高校の時も駅伝に出た時に大応援団で来て、それがラジオとかで言われるくらいすごく島の子供たちを大事にしてくれるような地域だったので、その方々に勇姿を見せたいという気持ちがすごく強くて、地元のために頑張りたいという気持ちは4年間一貫してありました。
――大学4年間の競技生活を振り返って、真っ先に浮かぶのはどういった感情ですか
半澤 辛かったなって思います。ほとんど辛かったなという感じで、高校時代は自分が思っていたよりも上手く行き過ぎていて、自分の理想がすごく高くなっていたなと思うのですが、それを見事に打ち砕かれたというか(笑)。本当に辛い4年間だったなと思うのですが、それでも最後までやり続けられたのは良かったなと思いますし、後輩には、成功した体験とか目標を達成した体験をしてほしいので、特に新4年生はあと1年しか無いので、そういった体験ができるように、悔いの無い行動とか選択をしてほしいなと思います。僕たちの代みたいに辛いまま終わってほしくないなと今は思います。
――競技生活に悔いはありますか
半澤 あー(笑)。はい、あります(笑)。ありますけど、どこの場面で区切っても悔い残って終わってしまうので、次の目標を早く見つけていきたいです。
――4月の部員日誌で「選択を正解にする」といった話がありましたが、これから正解にしていくかたちですか
そうですね(笑)。1個上の黒田さん(賢氏、令3スポ卒)が「俺の名言」みたいな感じでかっこよく言い残して行ったので、使わせてもらったのですが(笑)。でも将来子供とかができた時に、自慢気に話せるようになってるといいなと思います(笑)。
――向井さんは改めて4年間振り返っていかがですか
向井 苦しかったことと楽しかったことの量を割合にしたら8:2くらいで苦しいことの方が多かったのですが、やはり自己ベストを出したり、同期、先輩、後輩と一緒に陸上ができたこと、残りの2割のために8割の苦しいことを頑張れたというか、そういうところが大学で競技続けられたというか、苦しいながらも充実した4年間を過ごすことができたかなと考えています。ただしやはり結果を残せなかったというところは、悔いが残るところではあります。
――4年間で一番印象に残っていることや一番の思い出を教えてください
半澤 2、3カ月に1回くらい学年会をずっとやっていて、マリーナビレッジを借りて学年全員が集まってご飯食べていました。そういうことはマリーナビレッジ無かったらやってなかったので、マリーナビレッジを見つけられて良かったなと思います。週5とかで行ってたので、寮で話す時間よりそっちで話す時間の方が長くて、勝手に会話してるみたいな、そういうところで、めっちゃ話したなっていう思い出です。
――特に現4年生がマリーナビレッジに良く行くのですか
半澤 そうですね。先輩がめちゃくちゃ行っていて、先輩にくっついて行ってたんですけど、いつのまにか僕らの学年だけになっていて(笑)。マリーナビレッジの方も僕たちのことを気に入ってくれて、ご飯ご馳走するよとか言ってくれていたので、何かあったらマリーナビレッジ集合、みたいな感じで行っていました。
――向井さんは何か思い出ありますか
向井 振り返ったら1番と言ったらやっぱり半澤とちょっと似てるかもしれないんですけど、同期といろんな会をやったことですかね。最初の方は人数が多い分、会話も少なくて、お互いに幾つかのグループに分かれているような感じの学年だったのですが、学年を重ねるごとにすごくコミュニケーションが増えて、1番仲の良い学年って言われるようになったというところはすごく良かったです。特に僕は寮内で一回バーベキューやった時が一番楽しかったかなって思っています。ちょうどみんなで寮でワイワイやりながら楽しくできたというのが良い思い出でした。
「(後輩には)リベンジしてほしい」

2020年11月の早大競技会でともにPBを出した半澤(右)と小指卓也(スポ3=福島・学法石川)
――チームのこともお聞きしていきます。半澤さんは1年間副将を務めましたが、チームをまとめるのは大変でしたか
半澤 はい、大変でした(笑)。僕らの学年はあまり強く言える人がいなかったので、ビシッとまとまるタイミングがなかなか無かったのですが、そういうのももうちょっとできたらチームとしては良かったのかなと思っています。ただ、元気の良い後輩はすごく積極的にコミュニケーションをとってきてくれますし、そう言ったところではチームの雰囲気を盛り上げるというところではすごく助けられたなと思いつつも、それをコントロール仕切れなかったところもあったので、そのあたりは難しかったです。
――1年間の最初に思い描いていたチーム像と1年間終えてみて出来上がったチームの差異はどのように感じていますか
半澤 やっぱり結果が求められる世界なので、どれだけ良いチーム作っても結果がついてこなかったら意味が無いので、その結果を残せるような良い組織を作れなかったというのは、本当に最後の最後に結果で出てしまったので、そう言った部分は悔しいなと思います。また、来年度の新体制になって、今、創士が中心にやっていると思うのですが、新しい取り組みとかをやっているというのを聞いたりして、もっと僕らの代でもやってあげれば良かったなと思ったりとか、もっとやれることいっぱいあったのかなと思うと、申し訳ないというか、もっと考えてやれることがいっぱいあったのでは無いかなと思います。

昨年11月の早大競技会を走る向井(右)と菅野雄太(教1=埼玉・西武文理)
――これから後輩にはどんなことを期待しますか
半澤 持ち前の明るさと個性を潰さないようにまとめてほしいのと、新4年生は人数が少ないので、全員がしっかり意識を持ってやっていくことが必要になってくると思います。また強い早稲田を取り戻すために全員が意識を持ってやってもらえたらいいなと思います。
向井 リベンジしてほしいというのが第一です。大体半澤が言っていることと似通っているですが、個性が強いのは良いことでもあるので、そこをしっかりと生かしたチーム作りをしてほしいです。あとオンオフの切り替えというところをしっかりするとすごく良いチームになるのではないかなと思います。
――一推しの後輩や期待している後輩を教えてください
向井 2人いて、小指と菅野です。
半澤 あ、小指言われた(笑)。
向井 じゃあ僕は1人に絞って菅野にしておきます(笑)。彼はすごく練習からしっかり強いですし、結構物事を考えていて、ケガの時も論文とか見てどういうことをすれば故障が治りやすいか考えたりとか、すごく勉強熱心で。ロジック的に陸上を考えられているところが、すごく今後伸びる可能性を秘めていますし、実際PBを更新しているというところで、すごく期待しています。
――半澤さんのイチオシは小指選手で
半澤 そうですね。ちゃんと走れれば速いので。あとは、創士には、今年のチームは特にまとめるのが大変だと思うのですが、キャプテンとして今すごく責任持ってやってくれているので、1年間通して良いチームを作って行ってほしいなと思っています。
――ありがとうございました!
(取材・編集 及川知世、出口啓貴)

◆半澤黎斗(はんざわ・れいと)(※写真上)
1999(平11)年12月3日生まれ。165センチ。福島・学法石川高出身。スポーツ科学部4年。自己記録:5000メートル13分54秒57。1万メートル29分04秒24。
◆向井悠介(むかい・ゆうすけ)
1999(平11)年4月16日生まれ。170センチ。香川・小豆島中央高出身。スポーツ科学部4年。自己記録:5000メートル14分11秒48。1万メートル29分25秒34。