) 昨年3月から本サイトで短期集中連載した『最強レスラー数珠つなぎ・女子レスラー編』。「強さとはなにか?」をテーマに白川未奈からスタートし、中野たむ、岩谷麻優、林下詩美、そしてジュリアと、スターダムの選手たちに話を聞いていった。プロレスに出…

 昨年3月から本サイトで短期集中連載した『最強レスラー数珠つなぎ・女子レスラー編』。「強さとはなにか?」をテーマに白川未奈からスタートし、中野たむ、岩谷麻優、林下詩美、そしてジュリアと、スターダムの選手たちに話を聞いていった。



プロレスに出会うまでの経緯を語った、ワールド・オブ・スターダム王者の朱里

 そこで連載は終了したが、わたしはその後もインタビューを続け、計10人の女子レスラーとの対話が書籍『女の答えはリングにある 女子プロレスラー10人に話を聞きに行って考えた「強さ」のこと』(イースト・プレス/4月14発売)にまとめられる。

 連載が終わり、真っ先に話を聞きに行ったのは朱里だった。キックボクシングでチャンピオンになり、総合格闘技でもチャンピオンになり、世界最高峰のUFCと契約した。しかし誰よりも強くなったはずなのに、プロレスではトップになれない......。本書では、半年前の彼女の葛藤を収めた。

 その後、彼女はワールド・オブ・スターダム王座(通称"赤いベルト")の王者になり、3月10日には初の自伝『朱里。 プロレス、キック、総合格闘技の頂点を見た者』(徳間書店)を上梓する。本記事では、葛藤を抱えていた彼女のインタビューより、プロレスと出会うまでの孤独な日々、リングに上がって光が見えた瞬間などを紹介する。

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 2021年8月某日、うだるような暑さのなか、東京・錦糸町にあるスターダム道場を訪れた。待ち合わせ時間に5分遅れてきた朱里は、こちらが恐縮するほど「ごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返し頭を下げる。想像したよりも小柄で、腰が低く、あのUFCで活躍した女性とは到底思えない。

 しかし「練習風景を見せてほしい」と言うと、目つきが変わった。プッシュアップ、スクワット、走り込み、蹴り――。真剣な眼差しは、世界で闘ってきた女のそれに違いなかった。

 インタビューはリングの上で行なうことになった。ロープをくぐることすらままならないわたしに、そっと手を差し伸べてくれる。ああ、とても優しい人なんだなと安堵した。

父から「俺の子じゃない」

 朱里は1989年、神奈川県海老名市に生まれた。日本人の父とフィリピン出身の母を持つ。3つ上の兄がいるが、小学校6年生の時に両親が離婚し、兄は父に、朱里は母についていったため、大人になるまで会うことはなかった。

 父はスポーツが好きで、休みの日には朱里を連れてよく走りに行った。仲がいい父と娘だった。しかし両親が離婚する時、彼女は聞いてしまった。父が母に「俺の子じゃない」と言うのを......。そう話しながら「涙もろくて」と言い、ボロボロと涙を流す。

「今になってみれば父の気持ちもわからなくもないんです。離婚の話を進めていくのも相当なストレスだし、イライラしてパッと出ちゃった言葉だと思う。本当は思ってもいないことを言ってしまうことってあるじゃないですか。父がわたしのことを愛してくれていたのは間違いない。けど子供だったからすごく傷ついて、大嫌いになってしまった。そこから大人になるまで、10年くらい連絡を取りませんでした」

 高校生の時、女優になるという夢ができた。しかし女手ひとつで育ててくれた母のために、公務員になって生活をラクにしてあげたい気持ちがあった。そんななか、朱里は若気の至りで高校卒業後に家出をしてしまう。

 漫画喫茶で寝泊まりし、バイトを4つ掛け持ちしたこともあるが、なんとか芸能事務所に入り、舞台やモデルの仕事をするようになった。女優になりたいと思ったきっかけは、大竹しのぶの舞台。狂気的な役演じる大竹を見て、「自分もやりたい」と思った。

 役者のトレーニング中、ひとり芝居をするレッスンがあった。朱里が演じたのは、大好きな男性を刺し殺す女性。「自分を解放しておかしい人になりたいというか、そんな気持ちがあったんです」という。

「両親が離婚して、学校では理由はわからないけど無視されたこともありました。ママは夜働いていたのでわたしはひとりでご飯を食べていたのですが、寂しかったですね。そういう時期にかわいそうな自分に酔うみたいなところがあって、家の机をナイフでガンガン刺したりしてたんです。ダークな部分があったんですよね。それをお芝居で表現したいと思ったのか......。そういうものを演じてみたかったんです」

 女優としてはまったく芽が出なかった。事務所の社長に「お前は鼻がダメだ」と言われ、整形したいとまで思ったが行動できなかった。芸能関係者と知り合い、「枕営業をしたら仕事をやる」と言われた時もあったが、応じられなかった。いじめに遭い、舞台の練習中に過呼吸で倒れたこともある。どうやったら売れるのかわからなかった。

「光が見えなかったし、お金も漫画喫茶暮らしで使い果たして全然なかったです。いろいろありましたね」

 そういった時期は、いつまで続いたのか。

「ハッスルと出会うまで」

リング上で輝くことが自分にとって宝物

 さまざまなオーディションを受けるなか、知人にハッスルのオーディションを薦められた。ハッスルのことは知らなかったし、プロレスだと言われても「プロレスってなんだろう?」と思った。しかし「とにかくなんでも一生懸命やるしかない」と思い、なにもわからずオーディションを受けに行った。

 結果は見事、合格。同期は7人いたが、練習生の間に朱里以外、全員やめた。

「このオーディションはタレント枠のオーディションだったんです。合格したあと、練習もきつかったし、『芸能活動をやりたいのに何をやってるんだろう』と思った子もいたと思います。芸能の仕事があれば練習よりそっちを優先すると思う。わたしは芸能の仕事もなにもなかったし、ここで頑張るって決めていたので」

 入門から3か月後の2008年10月26日、ハッスル栃木大会でデビュー。リングネームはKG(カラテガール)だ。大会前半のストロング・ハッスルと称される路線の一角を担うことになった。

 デビューしたものの、試合以外では雑用に追われた。ハッスルには大御所しかいなかったため、一番下の朱里が、10数人いた先輩のガウン、コスチューム、靴下、サポーターなど、ありとあらゆるものを準備しなければならない。試合前は道場のリングを解体し、トラックに乗せ、そのトラックで会場に行き、リングを降ろして設営する。試合が終わったらリングを解体し、またトラックに積むという作業を繰り返した。

「ハッスルは経営が苦しかったので、お給料が出たのは最初の2か月だけ。その後はずっと未払いでした。なんでこんなことしてるんだろう......。そう思ったことは何度もあります。だけど、リングに上がると応援してくれる人がいる。『KG頑張れ!』という言葉がすごく嬉しかったし、パワーになりました。やっと自分にとって光が見えた瞬間でもありました。リングという輝ける場所を見つけたんです」

 女優を目指していた時は、出演できても小劇場だったが、プロレスデビューしてからは、両国国技館やさいたまスーパーアリーナといった大舞台で試合をした。たくさんの人の前で輝く場所がある。そして応援してくれるファンの存在が、朱里にとっては大きかった。

 日々の練習は、師匠・TAJIRIにプロレスの技術を教わったあと、格闘技の師匠・小路晃の練習が始まる。腕立て伏せを500回、そして小路をおんぶして坂を上った。当時の朱里は55kg、小路は100kgを超えていた。腰が壊れるかと思った。アルバイトもしていたため、寝る暇もなかった。本当に死んでしまうんじゃないかと思ったが、自らキックボクシングのジムにも通い始める。もっともっと練習しなければ、強くならなければという思いがあった。

「プロレスラーが勝てるわけない」という声を見返してやる

 2009年12月、ハッスル活動休止後、TAJIRIらとともに朱里は新団体「SMASH」を旗揚げ。朱里という名前にしたのもこの時だ。「SMASHでの経験は宝箱」だという。

「ひと言で言えば、人間ドラマ。自分は華名さん(現・WWEのASUKA)とライバル関係でしたが、華名さんとだからいい試合ができたし、2人の世界を創りあげることができたんだと思います。他の人だったらああはならないし、華名さんがいてくれたから、SMASHがあったからいまの自分がある。いつかまた華名さんと試合したいです。華名さんに負けないように、自分ももっと輝いていきたい」

 2012年1月、Krushでキックボクシングに初参戦する。シュートボクシングの試合には2回出場して勝っていたが、格闘技とプロレスを両立するのは難しいと感じた。プロレスもまだ自信を持って見せられていないのに、格闘技をやることはできないと思った。TAJIRIにも「プロレスに集中してほしい」と言われた。

 しかしSMASHが盛り上がりを見せるなか、「自信をもってプロレスができる」と感じるようになり、また格闘技をやりたいと思った。再びキックボクシングのジムに通い始め、Krushに出場した。そもそも、なぜ格闘技をやろうと思ったのか。

「格闘技の経験をプロレスに生かすことで、自分だけの強みを身につけたいと思ったんです。練習をやっているうちに、格闘技の世界でも結果を出したいと考えるようになりました。でも、当初は『プロレスラーが勝てるわけねーだろ』と言われたり......。そんなこと言われるんだったら、めちゃくちゃ練習して結果を出せばいいんだろと。

 自分はプロレスと格闘技はまったく別物だと思っているし、真逆だとも思ってます。『どっちも真剣にめちゃくちゃ練習してんだよ。見返してやる』っていう精神でやってましたね」

(中編:UFCから復帰後、「人生を賭けてプロレスをやる」と誓った瞬間>>)

【プロフィール】
■朱里(しゅり)
1989年2月8日、神奈川県海老名市生まれ。164cm、58kg。日本人の父とフィリピン人の母を持つ。2008年10月26日、ハッスル栃木大会でプロレスデビュー。翌年12月、SMASH旗揚げに参加。2012年1月、Krush.15でキックボクシング初参戦。2014年3月、初代Krush女子王座チャンピオンに輝く。2016年1月、パンクラスと複数試合契約を結び、翌年5月、ストロー級クィーン・オブ・パンクラス王座を獲得。7月、UFCとの契約を発表。2019年1月、MAKAIにてプロレス復帰。2020年11月、スターダム所属となる。2021年12月29日、林下詩美の持つワールド・オブ・スターダム王座に挑戦し、第14代王者となった。Twitter:@syuri_wv3s