現在、ウクライナは世界の注目を集めている。ロシアが軍事侵攻し、緊迫感が高まっているのだ。蹴球放浪家・後藤健生の心の中に…

 現在、ウクライナは世界の注目を集めている。ロシアが軍事侵攻し、緊迫感が高まっているのだ。蹴球放浪家・後藤健生の心の中にも、この地は深く刻み込まれている。サッカーの世界においても重要な役割を果たした、首都キエフを思い出す。

日本代表が試合を行った地

 ウクライナの首都キエフ(ウクライナ語では「キーウ」)には2度行ったことがあります。人口250万人を超える大都市です。

 1回目は、ジーコ監督時代の日本代表の遠征の時でした。ドイツ・ワールドカップ前年、2005年10月12日に日本代表はキエフでウクライナ代表と対戦しました。

 試合はスコアレスのまま90分を迎えようとしていましたが、ラトビア人のレフェリーがウクライナ寄りの判定を繰り返していたので、記者席で隣に座っていた湯浅健二さんと「最後はPK取られちゃうかもね」とか言っていたら、本当にDF箕輪義信のハンドを取られてPKとなり、日本代表は0対1で敗れてしまいました。

 記者会見が終わってエレベーターに乗ったら、目の前にウクライナ代表監督だったオレグ・ブロヒン(元ウクライナ代表。1975年にバロンドール受賞)が立っていたので、思わずサインをもらってしまったというのが一番の記憶です。

■森の中に佇む美しいスタジアム

 10月のキエフは冷たい雨が降っていました。

 当時のスタディオンNSKオリンピスキーは屋根もないボウル状のスタジアムで雨に煙っていました。気温も17時の試合開始時に11度。何とも寒い一日でしたし、地下鉄でスリの被害に遭ったりしたので、この時はキエフに対してあまり好印象を持てませんでした。旅行の思い出というのは、その時の気候などにも大いに影響を受けるものです(「蹴球放浪記」第35回「バンコクで電話工事」の巻参照)。

 この時の良い思い出といえば、ブロヒンのサインとともに、ディナモ・キエフのホーム、スタディオン・ディナモ・ヴァレリー・ロバノフスキーを見学したことです。ロバノフスキーは元ソ連代表監督でディナモ・キエフ監督と兼任。ディナモ・キエフ主体のソ連代表を率いて1988年EUROで準優勝しています。

 スタジアムを含むディナモのスポーツ・コンプレックスの入口は閉まっていたのですが、門番に頼んだら簡単に入れてくれました。

 ディナモはビッグマッチでは7万人収容のオリンピスキーを使用しますが、本当のホームはこのロバノフスキー・スタジアム。収容1万7000という小さなスタジアムですが、森の中に佇むとても美しいスタジアムでした。

■ディナモの施設にある皮肉なモニュメント

 キエフの中心街はドニエプル川の南西に位置しています。

 ドニエプル川はロシア西部からベラルーシを南に横切って、ウクライナを北西から南東方向に流れて、最後はロシアが勝手に併合してしまったクリミア半島の西で黒海に注ぐ大河です。

 ロシアやウクライナの内陸部は海から遠いので、滔々と流れる大河が人や物を運ぶ交通手段となってきました。そして、大河沿いの丘などの要衝に都市が築かれるのです。

 キエフの街自体もいくつもの丘によって成り立っていますが、ドニエプル川の南岸にも川に沿った細長い丘が連なっているのが分かります。川が氾濫した時に土砂が堆積して作られる自然堤防なのでしょう。川に並行して北西から南東に向かっています。

 レバノフスキー・スタジアムがあるディナモのスポーツ施設もそんな自然堤防の森の中に点在しているのです。

 そのディナモの施設の入口付近には「民族友好記念アーチ」という巨大なモニュメントがそびえています。ソ連が存在した1980年代にロシアとウクライナの友好を記念して作られたという、今から思えば大変に皮肉なモニュメントですが、そのあたりはドニエプル川を見下ろす眺望が開けています。

いま一番読まれている記事を読む