サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。重箱の隅をつつくような、サッカージャーナリスト大住良之の「超マニアッ…

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。重箱の隅をつつくような、サッカージャーナリスト大住良之の「超マニアックコラム」。今回は、「トータルフットボールの父」について。

■南米の「ラ・マキナ」

 欧州だけではない。南米にも、ポジションを自在に変え、どんな試合でも相手の守備をズタズタに切り裂いてしまうチームがあった。アルゼンチンのリバープレート、1940年代のチームである。レナト・セサリーニ監督の下、フアン・カルロス・ムニョス、ホセ・マヌエル・モレノ、アドルフォ・ペデルネラ、アンヘル・ラブルーナ、フェリックス・ロウスタウといった選手たちが流れるようにポジションを入れ替えて破壊的な攻撃を見せた。この攻撃陣は、「ラ・マキナ(機械)」と呼ばれて恐れられた。

 1974年ワールドカップでオランダが世界に衝撃を与え、「トータルフットボール」の名が喧伝されたとき、世界中の指導者の多くがその「源流」を頭に描いた。だが戦前の「無敵のチーム」たちは攻撃面の奔放さはあったものの守備面で強烈なプレスがあったわけではなく、戦後各国で驚きを巻き起こしたチームの多くは強烈なプレッシングだけが売り物で、攻撃時の驚きが大きかったとは言えない。

■クライフだけが持っていたもの

 1974年のオランダ代表は、強烈なプレッシングとともに流れるようなポジションチェンジをともなった攻撃の両方をもち、そのすべてをヨハン・クライフの天才がコントロールしていた。厳しいトレーニングから生み出されたオランダのフィジカル能力と、どんなポジションのプレーでもできる個々の選手の能力を「トータルフットボール」として昇華させたのは、クライフだけがもつ「タイミング」の感覚だった。

 世界にセンセーションをもたらした1974年のワールドカップ西ドイツ大会から4年後、オランダは1978年アルゼンチン大会でふたたびワールドカップで決勝戦に進出した。しかし、世界のそのサッカーに対する反応は、4年前とは対照的だった。

 「7週間も家族を放りっぱなしにしなければならないワールドカップなんて、いちどでたくさん」

 前年、1977年の秋、熾烈を極めたワールドカップ予選でオランダに出場権をもたらした後、クライフはこう言ってワールドカップ出場辞退を明らかにし、同時に、オランダ代表からの引退を発表した。

 1978年のアルゼンチン大会、クライフを欠いたオランダだったが、前回の選手たちの多くが残り、強化されたポジションもあった。そして着実に勝ち上がっていった。しかしそのサッカーは無骨そのもの。強烈なプレッシングも、ポジションにとらわれない攻撃参加も迫力十分だったが、そこには流れるような美しさはなかった。クライフという「オーガナイザー」を欠いたオランダは、もはや世界が憧れる存在ではなくなっていた。

■人々が追う見果てぬ夢

 それから半世紀近くの時間が経ても、世界のサッカー人の多くが「トータルフットボール」にあこがれ、その再現を夢見ている。それはワールドカップで優勝を争うクラスだけでなく、日本代表の森保一監督も、Jリーグの監督たちも同じだ。それぞれのチームのなかでさまざまにチャレンジしている。

 1990年代のACミラン、2010年代はじめまでのFCバルセロナなど、限りなくその域に近づき、時代を席巻した例もある。しかし短いそのピークが過ぎると、人びとは再び「1974年のオランダ」を語り始める。

 才能ある選手たちを鍛え、戦術を理解させるだけでは足りないことはわかっている。ヨハン・クライフのような、すべての「時間」を支配できる天才なくては、「トータルフットボール」が実現しないことも、いまでは誰もが知っている。それでも人びとは「トータルフットボール」を夢見る。「見果てぬ夢Impossible Dream」を見続ける。

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