サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。重箱の隅をつつくような、サッカージャーナリスト大住良之の「超マニアッ…

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。重箱の隅をつつくような、サッカージャーナリスト大住良之の「超マニアックコラム」。今回は、「トータルフットボールの父」について。

■緊迫するウクライナでの思い出

 ウクライナ情勢が、なんだか、とても怪しい。欧米系のニュースチャンネルを見ていると、いますぐにでも「第三次世界大戦」が始まりそうな気配だ。

 ウクライナにはいちどだけ行ったことがある。2005年の10月にジーコ監督率いる日本代表が東欧遠征を行い、ラトビア、ウクライナと、2つの親善試合を行ったときだ。10月12日、日本代表はキエフに乗り込み、この国のナショナルスタジアムである「オリンピスキ」でウクライナ代表と対戦した。

 冷たい雨がふりしきるなかでの一戦。しかも時差7時間の日本でのテレビ中継に合わせて、水曜日でありながら17時(日本時間24時)キックオフにしたため、ほとんど「無観客」といっていい試合。ぬかるんだグラウンドに日本は得意のパスワークを発揮することができず、足腰の強い中田英寿が孤軍奮闘という試合になって、終盤のPKで0-1の敗戦を喫した。

■歴史を感じさせたウクライナの街並み

 この年の6月にすでに翌年のワールドカップ出場を決めていた日本は、信じ難いことかもしれないが、FIFAランキング16位。当時ACミランのエースだったアンドリー・シェフチェンコ(この試合には出場しなかった)を擁するウクライナは39位だった。日本国内では、「格下相手に敗戦」のような扱いをされたに違いない。

 4日前のラトビア戦を取材した翌日にラトビアの首都リガからキエフに移り、足かけ5日間滞在し、有名なディナモ・キエフのスタジアムなども訪ねた。しかし歴史の重みを感じるハンザ同盟都市のリガが、天候も良く、暖かで明るい印象だったのと比較し、キエフは秋の色が濃く、寒さが身にしみた。滞在したホテルは「オリンピスキ・スタジアム」のすぐ近くだったが、試合日には、短時間の歩行でもびっしょり濡れてしまった。

 そんな記憶しかないウクライナ。しかしそこにいまにもロシア軍が侵攻するのではないかと、欧米のニュースは緊迫感をもった報道を展開している。大国が小国に脅しをかけたり、その脅しを大国同士の覇権争いに利用したり…。人類の愚かさは、種が絶滅するまで治らないものなのだろうか。

■ブラジル人も憧れたトータルフットボール

 余計な話が長くなりすぎた。唐突だが、今回の話題は「トータルフットボール」である。1974年ワールドカップで世界にセンセーションを巻き起こしたオランダ代表。そのサッカーを表現するために使われたのが、この名称だった。ウクライナ情勢のニュースを見ながら、遠くかけ離れた「トータルフットボール」が思い起こされた理由は、追い追いわかるだろう。

 天才ヨハン・クライフを中心にチーム全員がローテーションするように動き、ポジションに関係なく全員が攻撃も守備もこなすサッカー。相手ボールになったときの猛烈なプレッシングと、互いにポジションチェンジしながらそのときそのときの状況に応じた攻撃を繰り広げるサッカーは、このワールドカップで優勝できなかったにもかかわらず、その後数十年間も世界のサッカー人を魅了し、「あんなサッカーがしてみたい」と夢見させた。

 たとえば1982年ワールドカップでブラジル代表を率い、「ジョゴ・ボニート(美しいゲーム)」としてブラジル国民が熱愛する1970年のワールドカップ優勝チーム以上にブラジル国民と世界のサッカーファンの心をわしづかみにした監督テレ・サンターナも、そのひとりだった。ジーコ、ソクラテス、ファルカン、トニーニョセレーゾという「黄金の4人」を中盤に並べ、めくるめく攻撃サッカーを展開したこのときのブラジル代表があこがれたのは、何よりも「1974年のオランダのようにプレーすること」だった。

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