2021年は若手の活躍が目立つ1年だった。だが、目を見張るような快挙を見せた勢いを次の年にうまく持ち越せず、失速してしま…
2021年は若手の活躍が目立つ1年だった。だが、目を見張るような快挙を見せた勢いを次の年にうまく持ち越せず、失速してしまった選手も過去に数多くいる。2年目に待っている落とし穴とは何か。英Express紙が伝えている。【関連記事】ジョコビッチ「僕が若い頃持っていた自信や情熱をシナーやアルカラスらは持っている」
「全米オープン」女子シングルス決勝で劇的な10代対決を演じたエマ・ラドゥカヌ(イギリス)とレイラ・フェルナンデス(カナダ)や、ツアー大会初優勝を飾ったカルロス・アルカラス(スペイン)、今年4大会で優勝しトップ10入りを果たしたヤニク・シナー(イタリア)など、男女ともに20歳以下の選手がテニス界に新しい風を吹かせている。
特にラドゥカヌは今年ツアーデビューしたばかりの新人だ。9月の「全米オープン」では予選と本戦を1セットも落とさず勝ち抜き優勝を飾って世界中を驚かせ、わずか数ヶ月でランキングを300位台から19位まで急上昇させた。そんなラドゥカヌは、来る2022年には初めて1年を通してプロテニスツアーに参戦することになる。それまで無名だった若い選手が、”倒すべき相手”として注目されるようになるのだ。
しかし、ラドゥカヌのように華々しい結果を残しながらも、次の年に失速してしまう選手がいることを知る必要があるだろう。テニス界では、ブレイクの次の年は呪われた年になることがある。前年に活躍していた若手選手が、結果を残せなくなるのだ。Express Sportが過去に2年目以降に苦しんだ選手を何人かピックアップし紹介している。今年ツアーで活躍した若手選手には、彼らの経験から教訓を得て、次のシーズンに備えてほしい。
■ダニエラ・ハンチュコバ(スロバキア)
ハンチュコバがブレイクしたのは2002年。ジュスティーヌ・エナン(ベルギー)やマルチナ・ヒンギス(スイス)などを下し、インディアンウェルズで自身初のツアー大会優勝を飾った。ハンチュコバは同大会歴代優勝者の中で最もランキングの低い選手となった。
同年の「フェドカップ」では自国スロバキアの優勝に貢献。そして2003年は初戦から3大会連続でベスト8入りした上に、4大会目では準決勝に進出を果たし、自己最高の世界ランキング5位を達成した。
しかし、その後ハンチュコバはスランプに陥る。「全仏オープン」の2回戦でアシュレイ・ハークルロード(アメリカ)にその年2度目の敗北を喫した。最終セットのスコアは7-9と最後までしのぎを削る展開になったが、ハンチュコバはその試合で101回もアンフォーストエラーを記録した。
当時のコーチのナイジェル・シアーズ氏は公にハンチュコバを批判。その後出場した「ウィンブルドン」でも2回戦で日本の浅越しのぶに敗れたが、試合途中でコーチが会場を後にし、ハンチュコバも終盤にコート上で泣き出すなど、散々だった。その時点でメディアの中には、細身のハンチュコバの能力を疑問視する声もあった。前年の勢いは影を潜めてランキングは下降、トップ10に返り咲くことができたのは2007年になってからだった。
■カロリーヌ・ガルシア(フランス)
ガルシアはそれまでダブルスで好成績を残していたが、2017年にシングルスの舞台で躍進を遂げた。「全仏オープン」で自身初のグランドスラムベスト8入りを果たし、続いて「ウィンブルドン」でも自身初の4回戦進出を達成。そしてシーズン後半に圧倒的な強さを見せる。「WTA1000 武漢」と「WTA1000 北京」で連続優勝を果たした初めての選手となり、その年の「WTAファイナルズ」への出場権を獲得し、準決勝に進出した。
続く2018年シーズンも出だしは好調だった。「WTA500 ドバイ」と「WTA1000 ローマ」でベスト8、「WTA1000 マドリード」でベスト4、そして「全豪オープン」と「全仏オープン」で2週目まで勝ち進み、ランキングを自己最高の世界4位に上昇させた。
しかし、シーズン後半になると安定した成績を残せなくなる。「WTA1000 モントリオール」で準々決勝に進出したことを除いては、「ウィンブルドン」初戦敗退、「全米オープン」3回戦敗退、そして他のWTA1000大会でも3回戦以降に勝ち進めず、ファンの期待に応えられなかった。
■ジェニファー・カプリアティ(アメリカ)
1990年に13歳11ヶ月でプロになったカプリアティも、いきなり飛躍を遂げた選手だ。彼女の場合はその後の数年間トップ選手として活躍し、突然に凋落してしまった。プロデビューした年には様々な偉業を“最年少”で達成。1990年から1993年まで、4年連続で年末ランキングを10位以内で終えたカプリアティは、グランドスラムの準決勝に何度も進出した。
世界中がカプリアティに注目し、彼女の選手としての能力にますます期待が寄せられていた最中、カプリアティは急にツアーを離脱、万引きとマリファナ所持で逮捕、起訴された。リハビリ施設に24日間入所するなど、1994年と1995年は大会に全く出場せずキャリアが中断、ランキングも失ってしまった。
だがその後、カプリアティは1996年にツアーに復帰。1999年にやっと復帰後初の大会優勝を飾る。そして2001年と2002年の「全豪オープン」、2001年の「全仏オープン」で優勝し、2001年には世界女王の座も手に入れている。
(テニスデイリー編集部)
※写真は「全米オープン」でのラドゥカヌ
(Photo by Matthew Stockman/Getty Images)