Jリーグ功労選手賞を受賞、地元・長崎で送る第二の人生とは サッカーJリーグは6日、2021シーズンの活躍を表彰する「Jリ…

Jリーグ功労選手賞を受賞、地元・長崎で送る第二の人生とは

 サッカーJリーグは6日、2021シーズンの活躍を表彰する「Jリーグアウォーズ」を開催し、7人の功労選手賞を発表した。その中の一人、18年に及ぶプロサッカー選手人生をFC東京とV・ファーレン長崎で送った元日本代表DF徳永悠平氏が「THE ANSWER」のインタビューに応じた。

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「本当に名誉ある賞といいますか、これだけ試合に出て、評価された結果の賞なので、本当にうれしく思っています」

 所属した2チームで、Jリーグ通算464試合に出場。J2への降格も、J1への昇格も、そしてJリーグナビスコカップ(現ルヴァンカップ)戴冠も経験した。唯一、届かなかったのが「取ってみたかった」と語るJ1のリーグタイトルだ。

「リーグタイトルというのは、そのシーズンで本当に一番強いチームだと思っていたので、そのタイトルが取れなかったのはすごく残念と言いますか、やっぱり取りたかったという思いはあります」

 しかし、後悔はないと言う。

「(引退してから)この1年を振り返ってみて、もっとサッカーがやりたくなるのかなとか、辞めたことを後悔するのかなと思ったんですけど、あまりそういう感情もなくて」

 その理由について徳永氏はこう口にした。

「本当にやり切ったというか、やり過ぎたというか、そういう感覚が自分の中にあって。それに現役の頃から、いろいろなことにチャレンジしたいという思いがあったんです。だからわりと今は自分で時間が作れて、好きなことにチャレンジできる時間と余裕があるので、そこに向かっていく楽しさを日々感じながら過ごせています。今はまた違うチャレンジというか、そういうのを楽しみながら、ワクワクしながらやれています」

 徳永氏が今充実していることは、その表情からも伝わってくる。現役の頃とは違う穏やかな表情について聞いてみると、「ヒゲをちゃんと剃っているからかな(笑)」とおちゃらけて見せたが、「確かに昔に比べたら、顔つきが優しくなったとか、よく言われるんです。厳しい環境というか、日々戦いのなかで生きていたので、そういう顔つきになっていたかもしれないですね」と現役時代のプレッシャーや葛藤を懐かしそうに振り返った。

FC東京で経験した悔しい体験と地元・長崎で感じたサッカーの熱狂

 18年間に渡ってJリーグでプレーした徳永氏。今も印象に残る試合について尋ねると、「一番に出るのはやっぱり自分がキャプテンをしていたシーズンで、初めてJ2に降格した試合です。この試合はやっぱり自分の中ですぐに出てきますね」とFC東京が初めてJ2に降格したシーズンを挙げた。

 2010年12月4日、京都サンガとのアウェイ最終戦。0-2で敗戦し、J2降格が決まった。試合後、ピッチに膝をつき涙を流していたシーンは記憶にある人も多いだろう。それまでの徳永氏と言えば九州男児を地で行くようなイメージで、感情を表に出すのは想像できなかった。

「初めてキャプテンをやらせていただいて、そのシーズンもいつも自分がやっているサイドバックだけじゃなくて、ボランチや中盤でプレーする時間があって。そういう環境の変化があった年でもあり、また責任も非常にあったシーズンで、1年間本当に苦しんだ中で、何とかJ1残留だけを目標に頑張っていたんですけど。東京がJ1に上がって、J2に落ちたのは初めてで、本当になんとも言えない感情だったんです。でも……」

 11年前の出来事を昨日のことのように語る言葉から、当事者しか分かり得ない降格の本当の重さがひしひしと伝わってきた。そして、こう続けた。

「本当にいろいろな厳しい経験をした中で、選手としても、人間としても、一回り成長できたと思いますし、その後のサッカー人生においてすごく良かったとは言えないですけど、とても大事な出来事だったのかなと。今振り返れば、そう思います」

 Jリーグでさまざまな経験を積んで成長した徳永氏が、現役最後のクラブとして選んだのが、地元・長崎のクラブだった。在籍3シーズンはJ1からスタートして、またしてもJ2降格を味わっている。「いい結果が出せたとは思っていない」と語る徳永氏だが、プロスポーツがなかなか根付かないと言われていた長崎で、間違いなくサッカーの“熱狂”を生み出し、継続させた功労者の一人である。

「想像以上に熱を感じました。ちょうど長崎スタジアムシティプロジェクトも動き始めようとしていた時期だったので、チームが変わっていく状況だったり、どんどん環境が良くなっていく様子だったりと、すごくいい経験をさせてもらいました。それに僕自身も、家族含めて、たくさんの友人・知人の前でプレーできたことがすごく楽しかったですし、見てもらえたこともそうだし、ファン・サポーターの方に『帰ってきてくれてありがとう』と言ってもらえたのもうれしかった。地元でとても幸せな時間を過ごせたといいますか、やりがいのある3年間だったなと思っています」

「農業×スポーツ」の実現を目指してチャレンジし続ける

 2020年12月18日、現役引退が発表された。あれから1年、徳永氏は次のチャレンジを既に実行していた。

「本業は家業の仕事です。そこでしっかりと生計を立てながら、もともと興味があった農業もそうだし、その農業をどうスポーツに絡めていくか、そういう取り組みを行っています。新しいことにチャレンジするというか、何かを作り出す喜びを今、この1年間やってきてすごくいい時間だなと思ったし、今後さらに加速させてきちんとビジネス化していきたい」

 農業に興味を持ったきっかけは、地元・長崎に帰ってきたことだった。

「同級生とか友人に農業をやっている人がたくさんいまして、彼らと話す機会が増えてきて、魅力的だなと思ったんです。でも、その分、課題も多かった。それを聞いて、そこに『自分もチャレンジしてみたい』という思いがだんだん湧いてきました」

 実際に徳永氏が最初に栽培したスイートコーンは出身地である雲仙市のふるさと納税に提供され、6月26日のV・ファーレン長崎のホームゲームで販売されるなど、人気商品となった。

「子どもたちと一緒に収穫体験をしたり、とりあえず自分自身が農業に触れてみたいという思いからスタートしましたけど、農業の可能性をすごく感じた」という徳永氏が見つめる先には、「農業×スポーツ」がある。

「オーガニックのお米を作っている農家さんと知り合う機会をいただいたんですが、そのお米で甘酒とかを作って、それをスポーツ選手の栄養補給にしたり、米こうじで美顔パックを作ったり、そういうことを考えているとすごくワクワクして。アイデアを具体的にどう商品化するのか、というのは一番難しいところではあるんですけど、それにチャレンジしていく楽しみが今はすごくありますね」

 自分の足で、第二の人生をしっかりと歩き始めている徳永氏。「一旦、サッカーから離れたところからスポーツに携わりたい」。そんな思いを胸に、やりたいことにチャレンジし続けている。

「好きで始めたサッカーが職業になって、ここまで長くプレーさせていただき、そして最後に功労選手賞という名誉ある賞までいただけて、本当に素晴らしい時間でした。自分でも本当に出来過ぎだと思っています。プロサッカー選手というのは、本当に多くの人に支えられて成り立つ職業です。今後も感謝の気持ちを忘れずに、常に謙虚で、いろいろなことにチャレンジしていきたい」

 現役時代とは何も変わっていなかった。Jリーグのピッチで見せてくれた、あの熱いプレー、勝利のみを見据える真っ直ぐな視線。その対象が、サッカーから農業に変わっただけだ。好きなこと、やりたいと感じることにチャレンジする。徳永氏のことだ。目指している「農業×スポーツ」を必ず実現させ、サッカー界でまた、彼らしい存在感を示してくれるに違いない。(THE ANSWER編集部)