肩書きは「一般社団法人 日本障害者カヌー協会 事務局長」。前編では生い立ちから日本障害者カヌー協会を設立まで上岡央子さん…

肩書きは「一般社団法人 日本障害者カヌー協会 事務局長」。前編では生い立ちから日本障害者カヌー協会を設立まで上岡央子さんの奮闘する日々を伺った。後編では東京2020パラリンピックについて…

<前編はこちら>

――東京2020が閉幕し約3ヶ月が過ぎました。今の心境を教えて下さい。

上岡央子(以下 上岡):「あれ?終わったっけ?」という感じです。有難いことに、周りの応援は熱が冷めずですし、すぐに9月16日から世界選手権大会がありました。その後も国内の記録会や大会、サポーター講習会、体験会やイベントなど休む暇がありませんね(苦笑)。パラリンピックが終わったら熱が一気に冷めると聞いていたので警戒していましたが、変わらず忙しい毎日のまま。逆にさらに忙しくなった感じもしていますね(笑)。

東京五輪・パラリンピックが無観客でも日本で開催できたことで、何かの動きがいい意味で加速した気がします。協会の理念であり設立から伝え続けてきた『究極のバリアフリー』という本当の意味が伝わってくれていると思いました。私たち協会のイベントや支援者、選手たちへの応援の声もどんどん増えていることがそれを実感させてくれます。

パラリンピックが終わってもどんどん増えているということは、選手や開催に尽力してくださった方々の希望が伝わったと感じています。あと他の競技団体と比べた時、パラカヌーはメダリストこそいませんが、実は超快挙なことがあります。それは国内選手数が20名もいないのに6名もパラリンピックに出場したこと。「何パーセントの確率ですか?」という話です。しかもリオ大会では1人の出場だったので6倍の増加になります。

このような成長を遂げている競技団体は他にないです、こんな最高な実績を作ってくれた選手たちを誇りに思っています。本当に最高です。そして各選手、それぞれのレースが終わってすぐのインタビューで、「次のパリに向けては…」とほとんどの選手が早々に次の目標を語ってくれたので、私も負けずに先を見て同じ目標に進んでいます。

――前向きですね。上岡さんの話を聞いている僕もパワーをもらえます(笑)ところで上岡さんは選手を支える立場にいますが、大変なことはありますか?

上岡:「支える」とも「支えられている」とも言えますが、支えていると言えるのは経理、申請などの部分です。この作業をしなかったら、強化事業はできないので、そういった面では支えているといえますし、そう言えるものだからこそ、まじめに真剣に公正に取り組まねばならないので一番大変なところです。以前、お店を経営していた時に簡単な経理は経験していましたが、こんな複雑な経理は経験がなかったですし、正直数字に対しての免疫は全くなかったので大変でした(苦笑)。

支える部分を作ってくれている選手がいるからこそ、この協会の強化事業が成り立っています。そこから協会の存在への認識は全国に広がっているので、そういった面ではお互いに支えあっているかなと思いますね。

――経理は大変ですよね。上岡さんの場合、経理だけではなくあくまでも仕事の一部ですから。逆にやりがいを感じる瞬間はどんな時ですか?

上岡:一つ一つすべてにやりがいを感じています。というのはすべてこの協会の活動は任意団体のころから法人化後にリニューアルされています。法人化を行うことから携わってきているので、しっかりと独立した競技団体に成長するために、一つ一つ勉強しながら積み上げています。強化事業では選手たちの活躍がその積み上げた成果となっていますし、普及事業では参加者やスタッフの笑顔が積み上げた成果になっています。また、毎年変わらない事務作業も慣れてきて苦痛に感じなくなってきたことも自分自身が努力した成果と感じることができるので、やりがいにつながっています。このような広報活動をいただくことも積み上げてきたことを実感できるので、ほとんど毎日やりがいを感じてられているんじゃないかなと思います。

――事務局として携わって1番楽しかった経験を教えて下さい。

上岡:選手と一緒に活動していることをメディアに紹介してもらったことですね。私はアスリートではありませんが、選手たちと同じ時期にカヌーを知りカヌーに携わりました。ですから選手たちとは同期であり戦友みたいなものだと思っています。だからこそ選手と一緒に活動するのは楽しいし嬉しいですね(笑)。

 

――選手と一緒に活動できるのは良いですね。上岡さんが思うカヌーの魅力を教えてください。

上岡:水の上で感じることができるのは障害関係なく「誰もが同じ感覚を味わえるところ」。各々が自由に楽しみ方を選択でき、どんどん自由に大きな目標に向けてチャレンジできるところですね。

私にとってカヌーとは幼いころから疑問に思ってきた「障害」という社会が作る隔たりの答えを教えてくれるもの。障害についてみんなで考えられるツールだと思います。

――カヌーを通じて何を伝えたいですか?

上岡:障害の有無関係なく、なんでも興味を持ってチャレンジして欲しい。そこから広がる世界が必ずあります。お互いに気づきを持って作ってもらいたいです。

――今後の目標を教えて下さい。

上岡:東京オリンピックを目指したアスリートと一緒に大きな舞台の経験をさせてもらいました。協会としてはこの経験をフルに生かしてパリに向けて毎日成長していきたいと思います。

個人的には、自分の経験を生かしてカヌー以外の場面でも、どんどん自由に大きな目標に向けてチャレンジできる機会を作っていきたいと思いますね。

<おわり>

上岡 央子/ウエオカ ヒサコ

中学時代は陸上に明け暮れる日々。
その反動で高校では特定の運動部に所属せず。
京都造形芸術短期大学卒業後、23歳で独立し大阪にインポートセレクトショップをオープン。
32歳の時、母から相談され障害者福祉の仕事を週1,2回手伝う。
2016年11月 日本障害者カヌー協会の法人化準備のため上京。
2017年4月 一般社団法人日本障害者カヌー協会設立。

一般社団法人日本障害者カヌー協会WEBサイト
一般社団法人日本障害者カヌー協会 Twitter

 

取材・文/大楽 聡詞
写真提供/(一社)日本障害者カヌー協会