マネジャーはチームの顔でもある。法大で主務を務めた小泉翔矢主務(4年)は、入部して4年間、裏方としての仕事を勤め上げた…

 マネジャーはチームの顔でもある。法大で主務を務めた小泉翔矢主務(4年)は、入部して4年間、裏方としての仕事を勤め上げた。

 小学2年時に野球を始め、法政二高でも3年間選手としてプレー。高校と法大のグラウンドがすぐそばということもあり、高校時代から法大野球部の練習も間近で見てきた。大学でも選手としてプレーするという選択肢もあったが、マネジャーとして入部することを決断した。

 マネジャーを志したきっかけは、高校2年生の時の怪我だった。「足首を怪我して2~3か月野球ができない時期があったんですけど、その中で、チームのサポートに徹することがあったんです。その時に自分のなかで、面白味というか、やりがいを感じられたんです」。12年間の選手生活に区切りをつけ、違う角度から野球を捉えてみたいと思った。

 親には驚かれたが、最終的には「自分の決めたことだから、やりたいことは最後までやりきりなさい」と背中を押してくれた。

「初めて野球を始めた時から、決めたことは最後までやり切りなさいというのは父の教えでした。それは自分の中で大切にしています」

 マネジャーの仕事は、雑務からリーグ戦の運営まで、多岐にわたる。「キャンプにチームで行くこともあるので、宿を取ったり、グラウンドを抑えたり。スケジュールを1から組んだりもします。チームの運営のトップになるので、部のお金の管理、道具をどれだけ買ったり、揃えるかというのも仕事です」。

 来客者の案内や、送迎も仕事の1つ。上級生になるにつれ、外部の人と接する機会も増えていく。

「対外的にはチームの顔になります。1年生だろうと主務だろうとマネジャーはマネジャー。1人が悪いとみんなのイメージが悪くなる。法政大学を背負っているということはずっと意識していた事です」

 

選手と共にベンチ入りし、スコアを記入するのもマネジャーの仕事だ【写真:小林靖】

 やりがいを感じる瞬間は? と聞くと、「やっぱり、リーグ戦をやっている時が一番ですね」とやわらかい笑みがこぼれた。

「特にここ2年はコロナウイルスの影響で変則的な日程になったこともありますし、選手たちが神宮球場でのびのびとプレーしているのを見ることが一番のやりがいです」

 4年生となり、入部以来目標にしていた主務という役職に就いたが、これまで誰も経験した事のない、大きな試練が待っていた。

「4年間であの時が一番大変でしたね……」

 そう振り返るのは、8月下旬のことだ。部内で新型コロナウイルスのクラスターが発生。約1か月の部活動停止期間中は対応に追われた。毎日朝と夜の2回、約150人の部員全員の体温や、体調の変化を保健所へ連絡。保健所からの指示を大学側に伝え、大学側から指示があればそれを選手たちに伝える。部員たちと直接会うことはできない。これからチームはどうなるんだろう……。そんな不安に駆られながら、忙しない日々を送った。

 リーグ戦開催すら危ぶまれ、法大の参加辞退も現実味を帯びていた。主務として事務局と日々連絡取り合う中で「正直厳しそうな温度感だった」と振り返る。それでも、最終的には1週間遅らせて開幕。法大は第4週が初戦という変則日程となり、6校での開催が実現した。

「ありがたいという思いしかなかったです。開幕を遅らせてでも6校で、と決まった時は本当に涙が出ました」

 神宮球場でプレーする選手を見るのが一番のやりがい。変則とはいえ、リーグ戦が開催され、最後まで消化できたことに感謝と安堵の思いが溢れた。

マネジャーとして4年間の仕事を全うした【写真:小林靖】

 卒業後は飲料メーカーに就職する。新型コロナウイルス感染拡大予防のため、リーグ戦ではアルコールの販売が中止となっていた。マネジャーとして来場客からの問い合わせにも対応するなかで「ビール飲めないんだね」「六大学の野球を見ながら飲むお酒が一番美味しいのにな」との声を聞くことがあった。

「お酒ってそんなに高い買い物ではないですけど、一日お酒を飲むために時間を作る人だっている。思い出に残る場を面白くできるような魅力的な商品だなと思ったんです。そんな商品を扱えたら幸せなんじゃないかなと」

 主務の仕事で培った経験を、仕事でも生かしていく。「4年間自分の仕事、行動に責任感を持つということでいえば、どの学生にも負けません。組織でどう立ち回りができるかという視点を持っているのは自分の強みだと思っています」。

 明治神宮大会が幕を閉じ、2日には最後の理事会も終えて、マネジャーとしての仕事は終了。

 入部した時は、友達や周りの人に、選手を辞めて裏方の仕事をしていると伝えることに、少し恥ずかしさもあった。それでも、リーグ戦の運営や、大所帯のチームを支える仕事をするなかで、プライドも芽生え始めた。コロナ禍で、例年ならできないようなことも経験し、一回りも二回りも大きくなった自分がいた。

「僕は法政大学野球部でマネジャーをやっていましたと、今は胸を張って言えます」

 自信を持って堂々と、社会へ羽ばたいていく。

 

(Full-Count 上野明洸)