日本代表「私のベストゲーム」(1)三都主アレサンドロ編(後編)前編はこちらから>> 最も印象的な試合は、人それぞれ。初め…

日本代表「私のベストゲーム」(1)
三都主アレサンドロ編(後編)

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 最も印象的な試合は、人それぞれ。初めてタイトルを獲得した試合。あるいは、最も活躍した試合。選ぶ基準も様々だろう。

 だとしても、それが負けた試合、しかも自分自身は前半しか出場していない試合となると、ちょっと意外な印象を受ける。

 2002年ワールドカップ日韓大会、日本0-1トルコ。

 三都主アレサンドロの胸には、その時の小さなトゲが刺さったままだ。

「もちろん優勝した時とか、すごくうれしいのはうれしいんですけどね。なんで僕は悔しい思いのほうが、こんなに強く残るんだろうな。僕だけなのかな(笑)」



三都主アレサンドロはトルコに敗れた瞬間を、ベンチから厳しい表情で見つめていた

 しかし、三都主の記憶に強く残る"意外な試合"は、これだけではないという。

「僕は『どの試合が印象的ですか』って聞かれると、代表の試合じゃないですけど、いつも1999年のエスパルスvsジュビロって答えるんですよ」

 1999年12月11日、Jリーグチャンピオンシップ第2戦。

 三都主を擁するセカンドステージ王者の清水エスパルスは、ファーストステージ王者のジュビロ磐田に2-1で勝利したものの、第1戦との2戦合計スコアは2-2の同点。清水はPK戦の末、年間優勝を逃した。

 実はこの試合で、三都主(当時は日本国籍取得前の「アレックス」だった)は前半35分に相手選手の腹を蹴り、一発退場となっている。攻撃の切り札を失うことがなければ、清水はPK戦突入前に決着をつけられたかもしれない。三都主にとっては思い出したくもないような試合、だったはずである。

「あの試合があったから、僕は気持ちが強い選手になれたんじゃないかと思うんですよね。その後はレッドカードをもらうこともなかったですし、自分をコントロールすることもできたと思うし。そういう悔しい場面が成長につながったんじゃないかなと思うんです」

 三都主は前向きな言葉を口にする一方で、こうも続ける。

「でも、『もし人生をやり直しできて、もう一回戻れるとしたら、どの場面に戻るか』って言ったら、僕はトルコ戦とか、ジュビロ戦とか、そういう場面ですよね」

 もちろん、時計の針を戻すことはできない。かつては快足で鳴らしたドリブラーも多くの経験を糧に、今は育成という新たな道を進み始めている。

 三都主が、現在のブラジルでの活動について教えてくれた。

「2015年にブラジルに帰ってきてプレーしたあと、僕が生まれた町に、何かサッカーで貢献したいなっていう気持ちがあって、アカデミーを開きました。今年で5年目になったんですけど、たくさんの子どもたちにサッカーの楽しさや厳しさを教えてきました。

 そうやってずっと育成指導をしていると、トップレベルの子どもたちが集まってくるようになって、僕が住むパラナ州で一番大きな大会の出場権を獲得することもできたんです。

 今年2021年になって、その子たちの成長が上につながるプロのトップチームを作ることもできました」

 オンライン取材の画面の向こうでうれしそうに話す三都主の胸には『ASB』と記されたエンブレムが見える。

「アルコ・スポーツ・ブラジル(Aruko Sports Brasil)っていうんですけど、アルコという日本の会社と組んでブラジルでチームを作りました。今は若い年代の選手たちにチャンスを与えながら、経験のある選手も混ぜて、チーム作りをしています。

 僕は監督としてではなくて、チームのゼネラルマネジャーみたいな位置にいて、ユース世代を見ることもできるし、プロのチームも見ることができる。どういう選手、監督、コーチを連れてくればいいかを見極めたり、僕たちの考え方に近い人材を連れてくるように今はやっています。

 まだ今シーズンは始まったばかりですけど、4試合を終えて全勝(取材時点)。このままいければ、来年は州の2部リーグに上がれるチャンスなので、これからまだまだ面白い戦いが続けられそうです」

 三都主の夢は膨らむ。

「若い選手のなかからは、この5年間で6人がアトレチコ・パラナエンセとか、インテルナシオナルとか、アトレチコ・ミネイロとか、ビッグクラブへ行くことができたし、ここのクラブでプロとして活躍できるチャンスも開くことができた。そうやって、これからブラジルのなかでも、もっともっといいチームになれるようにしたい。

 将来的には、どこかJリーグのクラブに入る選手が出てくれば、うれしいと思っているんですけどね。ブラジルのクラブで活躍するだけじゃなくて、代表選手になったり、Jリーグや海外で活躍するようになったりするのを楽しみにしています。

 今の目標としては、毎年3、4人ぐらいをビッグクラブに送り出せるようにしたいですね。そのために大事なのは、育て方です。僕は日本で育ったので、日本のやり方とブラジルのやり方を混ぜて、選手たちを見ています。

 例えば、今は15、16歳でここに入って18、19歳で、ビッグクラブで活躍している選手がいる。そういう選手が試合に出ているのを見ると、『僕たちのやっていることは間違ってないね。これからもっと成長しようね』っていう気持ちになるんです。選手から『今日の試合に出て勝ちましたよ』って連絡をもらうと、それだけでうれしいし、ありがたいですよ」

 現在はブラジルに活動拠点を構え、クラブ運営に汗を流す三都主だが、やはり日本代表の動向は気になるところだ。

 だからこそ、「(ワールドカップ最終予選の)結果を見たりはしますけど、(ブラジルでは)日本代表の試合をチェックするのがなかなか難しい」と口を尖らす。

「Jリーグもそうですけど、日本代表の試合をもうちょっと世界に見せるべきじゃないのかな。そうじゃないと、アジアのなかだけになっちゃうから。ブラジルもそうだし、世界にもっと試合を見せて、日本の強さを示してほしい。

 だから、今は寂しいですよ。もっと見たいのに見られないな、っていう気持ちがありますね」

 三都主は自らも戦ったことのある最終予選について、その厳しさや難しさは「すごかったですよ」と言い、こう語る。

「僕は2002年には(開催国で予選免除だったため)味わえなかったので、2006年のワールドカップの時だけですけど、簡単に勝てるだろうってサポーターが思っていても、うまくいかない試合があったり、90分経ってもなかなか点を入れられなくて、結局ロスタイムで入れたり。そういう試合もありましたしね。

 あとは、アウェーの戦い。雰囲気が違うんですよ。Jリーグだと、全国どこのスタジアムへ行っても雰囲気がいいんですけど、海外へ行くと、やっぱり変な雰囲気......、変なって言うのもアレですけど(苦笑)、アウェーの雰囲気に飲まれてしまうことがある。

 それに、最終予選ではなかったですけど、(1次予選で)シンガポールへ行った時は、ものすごく暑くて。暑いっていうより、体が重くなる。あんな感じは初めてでした。

 先輩たちが言っていた(アウェーの)厳しさって、こういうところなのか。実際に感じてみないとわからないことなんだな、と思いましたね」

 経験者ゆえ、今の日本代表が苦戦を強いられていることには理解を示したうえで、「でも」と言ってこう続ける。

「どんなに難しくても、最終的には結果を出さないといけない。日本代表はみんなに尊敬されるチームなので、難しくても、苦しくても、『やっぱり結果にこだわるチームなんだな。日本代表はそういうチームになったんだな』って思われるチームであってほしい。苦しんでも、最後には絶対結果を出すっていうことが大事ですね」

 そして、現在最終予選を戦う"後輩たち"に、地球の裏側からエールを送る。

「こういう難しい時って、自分との戦いですよね。自分のプレーができるかどうかが、すごく大事なことだと思うので。だから、自信を失わないこと。難しい試合になった時、経験のない選手が自信をなくすのは、本当に簡単なんです。そうなってしまうと、なかなか自分のプレーができないということがある。

 代表に選ばれているってことは、それまでに結果を出している、能力のある選手ばかり。だからホントに、自信を持ってやることができれば、絶対結果につながると思う。ここで変に『おい、もっとがんばれよ』って言うよりは、自分がなぜ代表に選ばれたのかっていうプレーをみんなが出せれば、大丈夫だと思う。

 最終的には絶対ワールドカップに行けると思うし、そうなってほしいなと思っています」

(おわり)

三都主アレサンドロ
1977年7月20日生まれ。ブラジル出身。明徳義塾高を卒業後、1997年に清水エスパルス入り。その後、浦和レッズ、名古屋グランパスなどで活躍した。2001年に帰化して日本代表でも奮闘。2002年、2006年とW杯には2度出場している。国際Aマッチ出場82試合、7得点。現在は生まれ故郷のブラジルで自らのチームを立ち上げ、指導者、ゼネラルマネジャーとして奔走している。