「オープン球話」連載第89回 第88回を読む>>【入団当初から「練習熱心」で有名だった土橋勝征】――さて、今回からは野村…

「オープン球話」連載第89回 第88回を読む>>

【入団当初から「練習熱心」で有名だった土橋勝征】

――さて、今回からは野村克也監督時代の優勝戦士である土橋勝征さんについて伺っていきます。現在も二軍育成チーフコーチとして古巣の黄金時代再建のために奮闘しています。八重樫さんからご覧になった土橋さんの印象はいかがですか?

八重樫 土橋が入団した頃は、僕もまだ現役で一軍にいたから、ファーム時代の彼のことは直接、見ていたわけじゃないんです。でも、当時から「今度入った土橋はすごいよ」って話を聞いていたんですよね。



バットを短く持ち、右打ちを得意としていた土橋

――何が「すごい」んですか?

八重樫 練習量ですよ。「アイツはずっと黙々と練習をしている」というウワサは一軍にいる僕の耳にも入ってきていましたから。1990年代になって、彼が一軍に上がってきた頃、実際に彼と一緒になる機会も増えてきたんだけど、確かに黙々と練習していましたね。彼は早出練習の前に練習を始めていましたから。

――早出練習前の超早出練習をしていたんですね。

八重樫 神宮の室内練習場には2台のマシンがあったんですけど、人に取られる前にまず1台を確保していましたね。彼のお父さんはシニアリーグの監督だったと思うんだけど、そのお父さんに厳しく鍛えられたせいか、若いうちから、自分で自分の課題を決めて、きちんと取り組むことができる男でした。

――お父さんはシニアの監督だったんですね。

八重樫 相当、厳しく鍛えられたみたいですよ。土橋って、あんまり感情を表に出さないじゃないですか。最初の頃、「何で、コイツはこんなに暗いんだろう?」と思って聞いたことがあるんです。そうしたら、「親父に厳しく鍛えられたんで、感情を出さないようにしていたら、明るくできなくなったんです」って笑っていました。同期入団の飯田(哲也)が明るくて調子のいいヤツだから、あの2人はすごく対照的でしたね。でも、グラウンドで感情を出さずに黙々とプレーするのはいいことだと思いますよ。

【一塁側ベンチに打つ練習をしていた】

――野村克也監督は、かなり土橋さんを評価していたと聞きます。実際に野村さんの本を読んでも、「野村門下の優等生」という表現もあります。実際に野村さんは土橋さんのことを高く評価していたんですか?

八重樫 高く評価していましたよ。土橋って、極端にバットを短く持っていたじゃないですか。でも、あれは野村監督になって、レギュラーを獲る頃から始めたことなんですよ。元々はグリップの太いバットを普通に持っていたんです。でも、野村さんが「空振りの多いヤツはバットを短く持って死に物狂いで食らいつかなくちゃダメだ」と言っていたのを聞いて、真っ先にそれを実践したのが土橋でしたね。

――確かに本来のグリップの他に、さらに小さいグリップを作って、極端に短くバットを持っていましたね。

八重樫 それからはマシン打撃の時も右ばかり打つんですよ。しかも、直角にファールばかり打つ練習をしていましたから。

――バッターボックスから見て「直角」ということは、完全に一塁側ベンチですよね。

八重樫 そうです。だから、彼に聞いたんですよ、「どんな意図でやってるの?」って。そうしたら、「とにかく追い込まれたら何とかバットに当てて、ファールを打つっていう意識です」って言っていました。後にみんなにも野村さんの考えは浸透していったけど、そういう意識を当初から持っていたのは土橋でしたね。キャッチャーが捕球する直前にボールを叩く。そんなポイントを探していました。それもあって、彼の場合は追い込まれてからの打率もそんなに悪くないはずですよ。

――以前、元広島でスイッチヒッターの高橋慶彦さんが左打席の時にはそんなタイプだったと言っていましたね。

八重樫 そうそう。慶彦か、土橋ぐらいじゃないかな? ギリギリまで球を見極めてファールを打つ技術を持っていたのは。それぐらい土橋の右打ち、しかもファール打ちは徹底していたし、相手ピッチャーにとってもイヤだったと思いますね。

【ランナーを怖がらず、体を張ってゲッツーを取る】

―― 一方、守備の名手としても有名な土橋さんですが、入団当初は外野手を守ったり、イップスに悩んだりしたという話もありますね。

八重樫 イップスのことは僕は知らなかったけど、土橋のレフトの守備はなかなかよかったと思います。小さい投げ方をするので、バックホームでも、バックセカンドでも、いいところに送球していたイメージがありますね。

――以前もおっしゃっていましたが、土橋さんは「ダブルプレーの際にランナーの危険なスライディングにも臆することなく向かっていった」とのことでしたね。

八重樫 土橋は本当に逃げなかった。きちんと踏ん張って投げることができるから、彼がセカンドにいる時はゲッツーが多かったですね。「ランナーを怖がらない勇気」というのは、群を抜いていたと思いますよ。それも、シニア時代にお父さんから鍛えられた成果じゃないのかなって勝手に思っているんだけどね。

――土橋さんは表情を変えることなく、淡々とプレーする人というイメージがあるんですけど、ふだんの姿はどうなんですか?

八重樫 やっぱり、ふだんからしゃべらないですよ。お酒もそんなに量を呑むこともないから、酔っぱらうわけじゃないし。仙台遠征の時に、僕の知り合いが大の土橋ファンで「ぜひ連れてきてほしい」と頼まれたことがあるんです。その時に、先輩のお店に一緒に行って以来、遠征の時によく食事に行くようになったんですよね。

――以前、「指導者になってからはあんまり選手とは食事に行かなかった」と言っていましたけど、土橋さんは例外だったんですか?

八重樫 そうですね、ふだんはブルペンキャッチャーとか裏方さんが多かったけど、土橋とはよく行きましたね。それで、「何で、お前はそんなに暗いんだ?」って質問したり、お父さんのことを聞いたりしたんですよ。「今日、どうする?」って声をかけると、「お願いします!」ってついてきたけど、お酒を呑んでも乱れないタイプでしたね。

――ぜひ、次回も土橋さんについて伺いたいと思います。引き続きお願いいたします!

八重樫 土橋といえば、同い年でともに千葉出身の飯田(哲也)とは対照的なんで、その辺りをお話ししましょうか。次回もよろしくお願いします。