東京五輪、男子アーチェリー団体戦で銅メダルを獲得した武藤弘樹 東京五輪、男子アーチェリー団体戦で史上初となる銅メダル獲得…

東京五輪、男子アーチェリー団体戦で銅メダルを獲得した武藤弘樹
東京五輪、男子アーチェリー団体戦で史上初となる銅メダル獲得に大きく貢献したのが、武藤弘樹だ。古川高晴、河田悠希とともにチームを組み、ラストの重役を担った。ブロンズメダルマッチでも最後に運命の矢を放ち、見事ど真ん中を射(う)ち抜いた。
「射った瞬間、真ん中に入ったと思いました」
それが誇張ではないことは、射った直後、テレビ画面に映し出された自信満々の表情から読み取れた。真ん中に当たるのは必然という目をしていた。
アーチェリーを始めてから12年。銅メダルを獲得した一矢は、誰にもマネできない圧倒的な練習量から生まれたものだった。
武藤がアーチェリーを始めたのは、愛知県・東海中時代である。
東海中といえば東海エリア屈指の超エリート私立校だ。そこで、たまたま友人に連れていかれたアーチェリー部。矢を射る先輩の、緊張感が張り詰めたような所作に憧れ、「格好いい」と思って始めた。センスがあったのか、一緒に入った友人よりも上達が早く、秋の大会に出場した。「武藤ならできるよ」と先輩に言われ、その気になって大会に臨んだが、緊張で「ボロボロの結果」に終わった。優勝したのは、特に目立たない普通の同級生だった。
「クソっと思いましたね。もう負けたくない。そう思って、そこから真剣にやるようになりました」
それまでは練習をサボることもあったが、真面目に練習に取り組んだ。それから、どれほどの練習をこなしたのか。部室のホワイトボードには、武藤が中2の時、1日の練習で721本の矢を射った記録が残されている。
「その時は、朝7時ごろに射ち始めて、夕方4時過ぎまでやっていました。疲れますし、キツいですけど、本数を射つと人間の体はラクに射とうとするので、ムダな力がそぎ落とされて、より洗練された射ち方になるんです。それを目的にたくさん射っていました」
さらに自宅の和室を改造して、射場にした。
慶応大学に入学してからも授業を受ける湘南藤沢キャンパスから射場のある日吉キャンパスまで1時間半かけて通い、夕方4時ぐらいに練習をスタートさせた。射場はキャンパスの奥の高台にある。徐々に街の明かりがつき、やがて消えていく。理工学部の棟だけが煌々と明かりが灯っているのを見て、「頑張っているな」と思いつつ、午前0時ごろまで矢を射ち続けた。
そこまで武藤をアーチェリーに駆り立てたのは、何だったのだろうか。
「僕は、五輪に出たいとか、そういう大きな目標があるからではなく、ただ単に負けたくないんですよ。中1の時に同級生に負けて、負けるのはイヤだと思ったし、全国大会でボロ負けして、もう負けたくないと思った。その気持ちだけでやってきたんです」
慶応大学時代は、中学の時以上に「練習の虫」になって、腕を磨いた。だが、大学4年になり、アーチェリー部の仲間は卒業とともにやめていく人がほとんどだった。アーチェリーだけでは食べてはいけない以上、武藤も普通に就職して競技を続けていくことを選択した。
「トヨタ自動車に内定をもらった時、僕はアスリート枠ではなく、普通の正社員としてでした。社員になりつつ、アーチェリーを楽しめたらいいなっていう感覚だったんです。でも、面接で学生時代に取り組んできたことを話しているうちに、アーチェリーの日本代表ということがバレて(苦笑)。普通に内定が決まったあとに、アスリート担当の人に話が回って、会社にすごく助けられましたね」
入社後は、コロナ禍の影響でリモートワークが主になり、練習時間を確保できた。そうして、東京五輪に向けて、武藤は着々と準備を進めていったのである。
東京五輪、アーチェリー団体戦、日本は準決勝で韓国に敗れ、ブロンズメダルマッチに進んだ。相手は、オランダ。息詰まる試合展開のなか、シュートオフにもつれこんだ。いわゆるサドンデス方式の延長戦だ。3人がひとりずつ矢を射ち、合計得点で勝者を決める。
武藤は、ラストの順番だった。
「順番は、みんなで話し合って決めるんですけど、僕は最初に射つよりも最後のほうが気持ち的にラクに射てるし、自信があるのでシュートオフはほぼ3番固定です。1本で決まるし、1本をミスすると負けが決まってしまうので責任重大。決めればヒーロー、外したら『武藤が決めていれば』と言われるので、ホント天国か地獄かって感じですね」
シュートオフに入り、先行のオランダ1人目が10点を決め、日本の河田が9点。オランダの2人目と古川が共に9点。オランダの3人目が9点だった。最後に武藤が矢を射つのだが、勝利するためには10点が必要で、さらに1人目の10点よりも真ん中に当てなければならない。
「10点を狙い、出来るだけ内側に当てないといけない。ここで当てたいと強く思うと迷うし、安全にいきたいという気持ちが出ると外してしまう。覚悟を決めて、外したらしょうがないくらいの気持ちで思いきり、攻めて射とうと思いました」
シューティングエリアに行く前にチームメイトからは「武藤ならできるよ」と言われた。同時に、「このくらい矢が流れる」と鍵となる風の情報をもらった。
エリアに入ると、気持ちが落ち着き、集中することができた。
武藤が放った矢は、10点。スコアは、28-28と同点となったが、中心に近い矢の差で日本が勝利した。その刹那、武藤は雄叫びを上げ、喜びを爆発させた。
「今まで悔し涙ばかりで一度もうれし涙を流したことがなかったんです。メダルへの思いが強かったですし、最後の1本、不安と緊張があったなか、しっかりと決めて終えることができたので思わず声と涙が出ました」
3人が集まって、小さくタッチした。
団体戦で勝つために、地道にチームワークを育んだ。合宿の時は、食事や移動中、さらに練習中も刺さった矢を抜きにいく時にコミュニケーションを取り、お互いのプレースタイルや性格を理解し、そのなかで自分をどう出せるのかを考えた。また、先輩の古川の負担を減らすべく、武藤は同年齢(24歳)の河田とふたりでチームを引っ張ろうと決めた。
「自分たちふたりが引っ張って古川さんに負荷をかけないようにやっていくことが、チームとして一番強くなると思ったんです。同時に声を出したり、若い僕らが熱を出していこうと考え、それを全開でやってきました。僕はすごくいいチームになれたと思っています」
団体戦後、男子個人戦がスタートした。銅メダルの勢いそのままに違う色のメダルを、という期待が高まったが、武藤はうまく風が読めず、1回戦で姿を消した。
こうして武藤にとって、初めての五輪が終わった。
「五輪が始まる前、五輪が終わったあと、どういう気持ちになるんだろう。メダルを獲って満足してしまったらどうなるんだろうって思っていたんです。実際、メダルを獲れたんですが、日が経つにつれて、『なんだ、3位か』と思ったんです。1位を獲るまでは終われない。やっぱりアスリートなんだなって思いましたね」
アーチェリーを始めた時から負けたのが悔しくて、もう負けたくないと思って練習してきた。中学の時からのアーチェリーに対する思いは、日本代表になっても変わらず、五輪でメダルを獲っても変わらなかった。そのことを改めて気づけたことは、武藤にとってこれから先に進む上で大きなモチベーションになる。となれば、次はパリ五輪で、東京で負けた分を取り返しにいくことになる。
「パリ五輪を目指しますが、今のままでは勝てない。これまで射ち方とか、技術に重きを置いてやってきたんですけど、今より上を目指すためには試合の組み立て、流れを考え、さらに判断力、決断力が必要になります。そうしてさらに強くなって、次はもっといい色のメダルを獲りたいですね」
パリ五輪で違う色のメダルを獲れば、どういう気持ちになるのだろうか。
なんだ1回金を獲っただけだ。これを続けないと意味がない。きっとそう思うのではないだろうか。ひとつ山を越えても次を目指すのがアスリートだが、武藤の生き方はまさにそうだ。
ただ、武藤がほかの選手と違うのは、引退後のビジョンを明確に描いているところだ。
「僕は、最後までプレーヤーでいるよりもアーチェリーを広めたり、教えたりするほうに進んでいきたいんです。水泳とか、体操にはスポーツクラブがあるけど、アーチェリーにはない。アーチェリーは、自分と向きあうスポーツですし、新しい自分に出会えると思うんです。そうしたクラブで底辺が広がると競技者が増え、競技環境もよくなると思うんです。ぜひ、実現していきたいですね」
武藤ならその時も他の競技に負けたくないと、きっとすばらしいクラブを作ってくれるはずだ。