サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。重箱の隅をつつくような、「超マニアックコラム」。今回は、「エリア前の…
サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。重箱の隅をつつくような、「超マニアックコラム」。今回は、「エリア前の変な物」。サッカージャーナリスト大住良之が、歴史と算数に挑む。
この連載で何回も書いてきたが、緑の芝生の上にきっぱりと真っ白なラインが引かれたサッカーのピッチは、現在の世界で最も美しいデザインのひとつであると、私は思っている。
サッカーという競技を愛するあまりの思い込みであることは十分承知している。野球を愛する人は内野の4つのベースで構成された「ダイヤモンド」が美しいと言うだろうし、ゴルフ好きの人は、大自然を抱くようになだらかに続くコースの美しさに見とれているかもしれない。
しかしサッカーのピッチに引かれたラインは、1937年に2つの「ペナルティーアーク」を描くことがルール化されて以来、基本的にまったく変わっていない。巨大ビジネス化やゴールラインテクノロジー(GLT)、ビデオアシスタントレフェリー(VAR)など、ここ数十年間でサッカーは大きく変化し、競技のスピードや激しさも数十年前の比ではない。それでも、105メートル×68メートルのピッチに引かれたラインは、変わらずに続いているのである。
1937年といえば、昭和12年である。日本を破滅に導く太平洋戦争につながる日中戦争が始まった年である。当時のデザインがそのまま使われている例が、日本のどこにあるだろうか。今回の話は、いわばサッカーピッチという世にも美しい「絵」を完成させた「ペナルティーアーク」の物語である。
■イングランドでは「D」と呼ばれる「かまぼこ」
ちなみに、イングランドでは、このサッカーで最も若い(といっても84歳だが)ラインを「D」と呼ぶことが多いらしい。日本では、「かまぼこ」が俗称だ。どちらも、たしかに「ペナルティーアーク」に似ている。
サッカーが誕生した1863年には、ピッチには一切ラインがなく、四隅に立てられたフラッグポストだけがピッチ内外の「境界線」の目安になっていた。ピッチを囲むライン、そしてハーフラインとセンターサークルが一般的になったのが28年後の1891年。この年にペナルティーキック(PK)がルール化されたため、ゴールラインから12ヤード(11メートル)のところに両タッチラインまで1本の線が引かれ、PKはこの線上のどこからけってもよかった。
ちなみに当初のPKは、守備側のGKも、ゴールラインに並行にゴールから6ヤード(5.5メートル)のところに引かれた長さ20メートルほどのラインまで前進して守ることができ、キッカーはドリブルすることもできた。
■「画竜点睛」がなされた年
1902年になってペナルティーエリアとゴールエリア、そしてゴール中央から11メートルのところにペナルティースポット(現在日本サッカー協会が発行している『競技規則』では「ペナルティーマーク」となっているが、「ペナルティーアーク」と見分けにくいので、この記事では「ペナルティースポット」とする)がつけられ、ほぼ現在の形になった。PKはこのスポットに置かれたボールをけり、GKはゴールライン上に制止していることになった。だがそれは、今日のうっとりするほど美しいピッチのラインから見れば、「画竜点睛(がりょうてんせい)を欠く」ものだった。
言わずもがなのことだが、「睛」とは「晴れ」のことではない、細かな文字ではわからないかもしれないが、「日へん」ではなく「目へん」である。意味は「ひとみ」。中国の唐の時代、ある画家がすばらしい竜の絵を描いた。だがその竜の目には、「ひとみ」が描かれていなかった。「なぜひとみを入れないのか」と尋ねられた画家は、「空に飛んで行ってしまうから」と答えたが納得してもらえず、ひとみを書き入れてみると、本当に飛んでいってしまった。この故事から生まれた言葉だ。中国文明は、なんと素晴らしい空想の力をもっているのだろうか。