"速い"選手の活躍が目立っている。日本サッカーではこれまで多くのスピードのある選手が注目されてきたが、本当に速い選手は誰…
"速い"選手の活躍が目立っている。日本サッカーではこれまで多くのスピードのある選手が注目されてきたが、本当に速い選手は誰だったのか。今回は元祖スピードスターの岡野雅行氏に、歴代日本人スピードスターのトップ10(※5位は同率で2名、計11人選出)を選んでもらった。
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現在のスピードスター前田大然を、岡野氏はどう見ている?
スピードと言っても、いろんな速さがあると思うんです。走り出しの一瞬の速さだったり、「ついて来られて嫌だな」というDFの速さだったり。だから単純に走るスピードだけでランキングをつけるのは、難しいところがあります。
また、攻撃側の選手は見ていてもわかりやすいですが、とくに守備側の選手の速さは一見するとわかりづらいので、そこもふまえて解説をできればと思っています。
10位 土屋征夫(元東京ヴェルディほか)
元浦和レッズのエメルソンが一番嫌がっていた選手が、バウル(土屋選手の愛称)だったと思います。エメ本人も「彼は面倒くさい」と言っていましたね。
エメは僕も一緒にトレーニングしたことがありますけど、1歩、2歩の速さが驚異的で、彼のあり得ない筋肉のつき方にマッサージをするトレーナーも笑っちゃっていたくらいでした。
そんなエメが抜ききれなかったのがバウル。ついていけちゃうんですよ。バウルとはヴィッセル神戸で一緒にプレーしましたけど、本当に心強かった。トレーニングで1対1をやりましたが、やっぱりついて来られました。速かったですねぇ。
横のステップも縦のステップも速くて、20~30mが本当に速い。もし30mの種目があったら、金メダルを獲れるんじゃないかと思うくらいです。僕はそこからターボをかけて速くなるタイプでしたけど、バウルやエメはその一瞬の速さが並ではなかったです。
9位 三都主アレサンドロ(元浦和レッズほか)
アレックスが清水エスパルスで、まだドレッドヘアーだった時代です。
僕が日本代表の時に清水と練習試合をしたんですが、そこでアレがマンツーマンで僕のマークについて来ました。その頃はアレもまだデビューして間もなくて、僕はよく知らなかったんです。
その試合で味方が裏にロングボールを蹴って、その頃の僕はスピードで負ける気がしなかったですが、アレについて来られたんです。アレはこっちを意識していたのか「絶対負けねぇ!」という気迫でダッシュしてくるんですよ。正直、めちゃくちゃ面倒くさかったですね。
「なんだ、こいつ!?」と思っていたら、すぐにアレの名前が日本中で知られるようになりました。やっぱりちょっと特別なスピードを持っていました。
速さのタイプとしては、清水にいた当時は僕と似たタイプだなと思いました。ただ、そこから単純なスピードだけでは通用しないと考えたのか、"裏街道"とかスピードを生かしたドリブルテクニックだったり、プレーに緩急をつけたりするようになりましたね。
8位 坪井慶介(元浦和レッズほか)
浦和では400mや200mを5本、10本を走るトレーニングがあったんですけど、その時のツボは速かったですねぇ。僕はそういう時に、どれだけ二日酔いでも独走だったんですよ。でもツボと一緒に走って、初めて負けるんじゃないかと思いました。DFであれだけ速い選手は久々でした。
速さとしては、初速から継続してずっと速いタイプです。
サッカーでDFの裏を取るのは一番の魅力だし、スタジアムが興奮するシーンだと思うんです。でも完全に裏を取ったはずなのにDFについて来られる。これはスピードで勝負するタイプの選手にとっては、本当に嫌で、しかも疲れるんです。
僕が浦和に帰ってきてツボと会った頃はもう31歳でした。まだ20代半ばくらいのバリバリの頃にツボと対戦してみたかったですね。
7位 平川忠亮(元浦和レッズ)
僕が久々に「こいつには勝てねえな」と思った選手です。
僕が浦和に帰ってきた時に平川はもう入団していたんですけど、正直知らなかったんですよ。初めてトレーニングで一緒に走って「お前、速くね?」って、思わず言っちゃいました。
平川は献身的で、チームのために泥臭く尽くせる選手なので、あまりスピードが目立つタイプではないんですけど、走らせたら彼に勝てる選手はほとんどいないでしょう。Jリーガー運動会があったら、メダルを獲れますね。
ただ、クラブワールドカップでマンチェスター・ユナイテッドと対戦した時に、クリスティアーノ・ロナウドだけにはぶち抜かれていました。あれはやっぱりわかっていても止められないんだなと思いました。
平川もスピード自体はついて行けてたんですよ。ただ、縦への意識が強すぎたのか中へ行かれてしまった。それでも並の選手相手であれば、平川もついて行けるんですが、ロナウドだけにはぶち抜かれてしまった。衝撃でしたね。ロナウドの腕の使い方とか、パワーとかが、Jの選手と比べたら桁違いだったんでしょうね。
6位 柳本啓成(元サンフレッチェ広島ほか)
元日本代表で、サンフレッチェ広島などでプレーしたDFです。彼は僕と同じくらい速かったと思います。
僕と柳本がドーハ組のあとに初めて日本代表に選ばれたんです。当時まだ22歳でしたけど、ラモス(瑠偉)さんや哲(柱谷哲二)さん、カズ(三浦知良)さんとか、あの恐竜みたいな人たちのなかにポンと入れられました。
そのなかでも、僕ら2人はひと際速かった。だから先輩たちは「俺らこんなに遅いのかよ」って、みんな走りの練習を嫌がっていました。
広島にはもう一人、佐藤康之さんというパンチパーマの速いDFがいました。後ろの柳本と2人が速くて、広島との対戦は嫌でしたね。でも同時に燃える相手でもありました。野人・岡野として、スピード勝負だけは絶対に負けちゃいけないと思っていましたから。
僕はコナミさんの"ウイニングイレブン"が大好きでよく遊んでいたんですけど、ゲーム内のスピード能力の設定が、僕より柳本のほうが速かったんです。僕はそれに腹を立てていましたね(笑)。
僕はアヤックスに練習参加した時に、あのババンギダにもスピードで勝っていますからね。彼は僕の速さに口を開けてびっくりしていました。たぶん初めて負けたんでしょうね。でもウイニングイレブンでは、僕よりババンギダのほうが速いんですよ。だから設定がおかしいって、いつか言いたかったです(笑)。
※ティジャニ・ババンギダ...90年代後半から2000年代にアヤックスで活躍した、ナイジェリア人の快速ウイング。スピードスターとして有名だった。
5位 前田大然(横浜F・マリノス)、古橋亨梧(セルティック)
今の日本を代表するスピードスターの2人を同率にしたいと思います。久々にスピードがある選手たちが出てきましたね。2人の活躍は嬉しく見ています。
前田選手のプレーとかを見ていると「そのタイミングね!」と、思うことがよくあります。攻撃の時はもちろんですが、スピードは守備においても最大の武器なんです。
たとえば相手がボールを回している時に、横パスはスピードがある選手にとって大チャンスなんです。1人目にプレスに行って、横にパスを回されたら普通は追いかけませんよね。向こうだって来るとは思わない。でもそこでスピードのある選手は行くんです。そうすると相手はめちゃくちゃ焦ってミスをする。
彼が2度追い、3度追いして相手のミスを誘ったり、ボールをかっさらうプレーを見ると、スピードを守備でも生かしているなと感じます。彼がスプリント回数でランキング上位を独占している状況を見て、羨ましいですよ。僕の時代にも計測してもらえていたら、結構な数走っていたと思います。走りすぎて試合後に全身つったりしてましたから。
古橋選手も速さだけではなく、強さも兼ね備えていて、なおかつテクニックも非常にある選手ですよね。セルティックでも大活躍していますけど、代表でもあのスピードを最大限に生かしてほしいです。
キャリアのなかでも、今が一番体が動く時だと思うので、難しいことは考えず、前田選手同様にシンプルにあのスピードを武器にして、攻守に活躍してほしいですね。
4位 永井謙佑(FC東京)
「もう僕みたいなタイプの選手は、あんまり出てこなくなってきたな」と思っていた頃に、ロンドン五輪での活躍を見て「これは野人が出てきたな」と。なんだか同じ匂いを感じました。
その時のスポーツ新聞でも「野人2世」なんて書かれていて、野人なんて言われるのは嫌だろうなと思って、なんだか申し訳なくなってしまいました。それで一度本人に「野人なんて言われて嫌だろう、ごめんな」って謝ったんですけど、「全然そんなことないです!」と言ってくれました。
そのロンドン五輪は、永井選手の速さが戦術になっていて、ボールを奪ってから一発で裏へ行けるのは、相手DFにとって本当に恐怖だったでしょうね。久々にスピードで興奮させてもらって、あれ以来、永井選手のプレーには注目しています。
彼は初速からトップスピードに乗れる選手。サッカーの速さですよね。つまりボールがあったうえでの速さ。追いかけるなかでいろんなステップが入って、相手とどっちが先にボールに追いつけるか。
ボールに追いつける最短距離を見極める選択があったうえでのスピードが、サッカーにおいての速さです。永井選手はその速さが抜群ですね。
3位 山田暢久(元浦和レッズ)
彼はやる気がない時が多い。でもたとえばパトリック・エムボマだったり、日本代表選手だったり、そういう選手を相手にした時の速さは世界に通用したと思います。でもやる気を入れさせるのが一番大変なんですけどね(笑)。
エムボマが一番すごい頃に、ある試合で浦和は彼を止められなかったんです。それで交代で入った山ちゃんがマンマークについたらスイッチが入って、一度も抜かせませんでした。それでエムボマがイライラしてファールで退場になったくらいです。
それくらい山ちゃんはすごいんですけど、シーズンのなかで言ったら10試合くらいしか速くない。それ以外は相手を舐めて「これくらいでいいでしょ」って流して走るんですよね。あれで毎試合スイッチが入ったらワールドクラスでした。
練習で僕と1対1になった時も、絶対に彼は抜かせてくれませんでしたよ。「それくらいいつもやれよ」ってよく怒っていましたね。
2位 大柴健二(元浦和レッズほか)
やんちゃ野郎ですよ。"野人2トップ"なんて言われて僕と一緒にコンビを組んでいました。相手にしてみれば速かったし、強かったし、面倒くさかったでしょう。
彼のイメージは、かつてアルゼンチン代表で活躍したガブリエル・バティストゥータですね。裏に抜けたボールは、スピードを生かしたり、相手の前に体をうまく入れたりして、全部勝っていたと思います。
僕と2トップを組んだ時は「とにかくボールを追いかけ回そうぜ」って、それで何度も相手のミスを誘って、ゴールにつなげましたよ。それからよくやっていたのが、お互いがクロスする動き。
相手はそれぞれマークにつくんですけど、僕らはそのマークを引き連れてクロスして入れ替わるんです。相手はその瞬間にマークを受け渡さなければいけないんだけど、その間に僕らは置き去りにしていました。
スピード感から言ってもすごくやりやすくて、スピードがある者同士わかり合えることが多かったです。僕がよく味方の中盤選手に言っていたのが「ボールがずれてもいいから、とにかく相手に当てないでボールを裏に出してくれ。そうすればなんとかするから」って(笑)。その感覚を大柴とはわかり合っていましたね。
名波浩(当時ジュビロ磐田)が試合中に「お前らずるいな」と言ってきたのを覚えています。ジュビロとやるとずっとボールを回されちゃってすごく押し込まれるんだけど、僕らはボールを奪ったら手数をかけずにあっという間にシュートまで持っていけたんです。ギド(・ブッフバルト)が奪って、(ウーベ・)バインに渡ってそこから裏へボールが出てくる。そうしたら僕らが走って、もうシュート。
ちなみに日本代表でプレーした時は、ヒデ(中田英寿)はよくわかってくれましたね。彼は敵を引きつけて相手守備陣にギャップを作ってくれる選手だったので、そこに僕が走り込んだらキラーパスが飛んでくる。そのパスがまたちょうどよかった。ボールが遅ければスピードを緩めなきゃいけないけど、ヒデは僕が気持ちいいパスを本当によくわかってくれていました。
1位 岡野雅行(元浦和レッズほか)
やっぱりどう考えても負ける気がしないんですよ。僕が22歳から27歳くらいにかけてですね。申し訳ないけど、今の選手と比べても譲れない。
Jリーグや日本代表の試合を見て、速いと言われる選手が出てきますが、その多くが「甘いな」と。
よく見ていて感じるのが「それに追いつかないのは"速い"って言わないんだよなあ」ということ。周りが追いつかないだろうと思うボールに追いつくから度肝を抜くわけで、そこに価値があるんです。"規格外に速い"のがスピードスターだと思うんですよね。
僕はよく日本代表の試合の国立競技場とかで、ウォーミングアップでアホみたいにダッシュしていたんですけど、満員の会場がどよめくんです。僕はプロレスが好きで、パフォーマンスがすごいじゃないですか。それにお客さんが湧いて、会場が最高潮に盛り上がる。まさにあれですよね。
浦和が1年でJ2から昇格した最終節のサガン鳥栖戦に、僕は延長戦から出場しました。そこで"ジョホールバルの歓喜"の時と同じVゴールで勝ったんです。浦和のフィジカルコーチが、かつて日本代表のフィジカルコーチをやっていたフラビオで、彼が「この場面、ジョホールバルに似てない?」って言ったんですね。
浦和は1人退場して、サポーターも"しーん"としていたんですよ。そこで僕がサポーターの前をブワーッとただ全力で走ったんです。それを見てサポーターがウオー!!って盛り上がって、僕がそこで「いくぞ、オラー!!」って煽ったら延長に向けてミーティングしていた鳥栖の選手たちが、何ごとだって全員振り返って。
そこで会場の雰囲気がガラッと変わって、僕はもう勝ったと思いましたね。
そうやってスピードは会場を一変させるくらいの力があるんですよね。だから僕はすごくスピードを大事にしていました。
「岡野はただ走るだけ」とか言われましたけど、僕は「ありがとう」って感じていました。ただ走るだけでも誰にもマネできないし、僕にとってそれは誇りでした。このこだわりだけは絶対に誰にも負けないということで、自分を1位にしました。
岡野雅行
おかの・まさゆき/1972年7月25日生まれ。神奈川県出身。日本大学から1994年に浦和レッズ入りして快速FWとして活躍。日本代表では1997年のフランスW杯アジア最終予選で、「ジョホールバルの歓喜」と言われるイラン戦で延長Vゴールを決め、W杯初出場を獲得。一躍人気選手となった。2001年にヴィッセル神戸、04年に再び浦和、その後香港のTSWペガサス、ガイナーレ鳥取でプレーし、2013年に引退。J1通算301試合出場36得点。日本代表Aマッチ25試合出場2得点。現在はガイナーレ鳥取の代表取締役GMを務める。