二松学舎大付の市原勝人監督は甲子園出場を決めた試合後、なかばあきれたような表情でこう語った。「秋山に『気持ちで負けるな…
二松学舎大付の市原勝人監督は甲子園出場を決めた試合後、なかばあきれたような表情でこう語った。
「秋山に『気持ちで負けるな』と声をかけたら、『気持ちじゃ絶対に負けません!』と返してきたんです」
その顔つきは誇らしげでもあった。
秋山正雲(せいうん)。名前の由来は父、兄の名前にもついている「正」に、父が三国志好きということから関羽雲長、趙雲子龍の「雲」の字が組み合わされた。父は「たくましくあれ」という思いを「雲」の字に込めたという。

身長170センチながら最速146キロを誇る二松学舎大付の秋山正雲
身長170センチ、体重75キロと体型的には小柄な部類に入る。だが、秋山の言葉を聞いていると、その気持ちの強さが前面ににじみ出てくる。
「監督さんが育成功労賞の表彰で(今夏の)甲子園に行かれるので、ひとりで行かせるわけにはいかないと思っていました」
「エラーはあるものと考えているので。エラーが出たら『仲間を助けてやる!』という気持ちで投げています」
今回の原稿を書くにあたり、秋山の取材メモを読み返して我が目を疑った。秋山のコメントをメモしたはずなのに、私は無意識のうちに秋山を「大江」と記していたのだ。二松学舎大付の5年先輩にあたる大江竜聖(現・巨人)の高校時代と、シルエットも投球スタイルも重なる。
大江の高校時代で思い出すシーンがある。大江が高校2年生だった秋の東京大会2回戦で、二松学舎大付は早稲田実と対戦した。早稲田実の怪物1年生・清宮幸太郎(現・日本ハム)が注目されるなか、大江は清宮に2安打を許した。だが、0対1のビハインドで迎えた9回表の清宮の打席は、ひりつくような名勝負になった。
大江のエンジン全開のボールに清宮が粘り、フルカウントからの9球目。大江は普段より腰をひねったトルネード気味のフォームから渾身のストレートを投げ込み、清宮を空振り三振に抑えた。大江の魂のこもった投球に打線も奮起し、二松学舎大付は延長戦の末に早稲田実を破ったのだった。
秋山本人は「監督さんから大江さんの高校時代の話を聞いて、参考にしています」と殊勝に語るものの、内心複雑な心境に違いない。メディアは安易に「●●2世」などとキャッチコピーをつけてしまうが、選手は誰かの模造品になりたいわけではない。強気な秋山なら、なおさらその思いが強いのではないだろうか。
しかも、秋山はすでに高校時代の大江を凌駕する武器を持っている。それは強さとキレを併せ持つストレートだ。
東東京大会の決勝戦で対戦した関東一の米澤貴光監督はこう証言した。
「秋山くんの右打者のインコースへのクロスファイアーを警戒していましたが、外のストレートも思ったより打てませんでした。外のストレートをとらえきれずファウルにしてしまって、カウントを悪くした。フライが多かったのも、ほんの数センチ差し込まれて打者が力負けしたからでしょう」
秋山がストレートを投げる際、とくに重視しているのは「体重移動」だ。軸足でためた力を踏み出した足に移し、さらに指先まで余すところなく伝える。捕手に近づいてリリースできるから、打者は秋山のボールに球速以上のスピード感を覚える。秋山のボールを受けた捕手は「ベース板での伸びがいい」と感想を漏らすという。
そして、東東京大会で猛威をふるったのが、秋山のクロスファイアーだ。斜めの角度から右打者のインコースを突き刺すボールは、高校生がバットの芯でとらえるのは困難だった。
秋山はクロスファイアーの極意をこう語る。
「ストライクゾーンのギリギリというより、最初は右打者のバッターボックスの線を狙って投げていました。あとは気持ちです。『そこに狙おう』じゃなくて、『バッターに当ててもいい』くらいの気持ちで投げています。インコースには自信を持って投げ込めます」
昨秋の時点で秋山のストレートは一級品だったが、課題は変化球だった。春以降はチェンジアップを多投し、決め球として使えるメドが立った。自身も左投手だった市原監督は「あとはもう少し緩い球でカウントを取れるようになるといい」と語る。
「カーブが必要だと一生懸命練習させたんですけど、どうしても抜けちゃうのでやめようと。そこで緩いスライダーをカーブ代わりに、カットボールをスライダー代わりに覚えました。ここへ緩いカーブがあればな......と今でも思いますよ」
東東京大会の決勝戦は関東一の最速152キロ右腕・市川祐との投げ合いで、7回、先頭打者にヒットを許すまでノーヒットピッチング。終盤に力尽きた市川と対照的に秋山は終盤までテンションを保ち、打っても3安打1打点と独壇場だった。
甲子園初戦は大会5日目の西日本短大付(福岡)戦になる。大舞台に立てば立つほど力を発揮するタイプだけに、「気持ちじゃ絶対負けない」左腕がどんなパフォーマンスを見せるのか楽しみでならない。