大きく回した腕で水をかき、足で力強く水を蹴って前へ進む。全身で波を打つように進むバタフライという泳法が描く軌跡は、西田杏の水泳人生そのものだ。浮いては沈み、また浮き上がって、前へ進む。偉大な先人との出会いを通じて強く憧れたパラリンピックへの…

大きく回した腕で水をかき、足で力強く水を蹴って前へ進む。全身で波を打つように進むバタフライという泳法が描く軌跡は、西田杏の水泳人生そのものだ。浮いては沈み、また浮き上がって、前へ進む。偉大な先人との出会いを通じて強く憧れたパラリンピックへの出場も「水泳人生で一番きつかった出来事」からの再挑戦でつかんだ舞台だ。

パラリンピックへの憧れが芽生えた高校時代

小学校の水泳の授業は、低学年の頃は水遊びのようなものでしたけど、楽しかったです。だから、障がいが理由で見学にさせられたら嫌だなと思って水泳を始めました。誰かができることなら、自分にはできないと思いません。親も「障がいがあるから助けてあげないと」とか「危ないからダメ」というのがなく、子どもの頃からいろいろ経験させてもらって、こういう性格になれたと思っています。

子どもの頃からスポーツが大好きだったという西田

一番尊敬しているのは、(北京パラリンピック50m平泳ぎ金メダリストで日本代表キャプテンの)鈴木孝幸選手。高校生の頃は何も知らず「パラリンピックに出たい」とか「メダルを獲りたい」と簡単に言えてしまうんです。そんなときに、タカさんが「本当に? じゃあ、今、何をやるべきなの?」って愛情のある厳しさで教えてくれて、簡単に言ってはいけないなと思いました。しっかりと自分を持っている人で、どうすれば近づけるか、すごく考えるようになって、次第に、とにかく速く泳げればいいという考えではなく、私も周りの人が見ていて応援したくなるような選手になりたいと思うようになりました。

誰よりも強い気持ちで頑張れた、東京への挑戦

右腕だけで泳ぐようになって記録が伸びて、リオを本気で目指していました。でも派遣基準に届かず、推薦でも参加資格を持つ10人から選ばれる7人に入れませんでした。水泳人生で一番きつかった出来事です。でも、それがあったから、誰よりもパラリンピックに強い気持ちを持って練習ができました。もう、あんな気持ちはしたくないという思いでやって来ました。

リオに行けず、半年くらいは、うじうじとした気持ちで過ごしていましたが、次の4年間を振り返ったときに、ほかにできることはないと言い切れるくらいに頑張ろうと気持ちを切り替えました。だけど、泳法改正があって、世界で戦える種目がなくなってしまいました。リオ落選、世界選手権の派遣断念、泳法改正の3大パンチで、どん底でした。

試練を乗り越えて東京パラリンピック内定を手にした

クラス分けをもう一度受けられるとは思っていませんでした。自転車競技の関係者の方々には申し訳なかったという気持ちがあります。ただ、結果的に、自転車の練習のおかげでキック力が強くなりましたし、得意だった500mタイムトライアルでバンクを思い切り漕ぐのが水泳より少し長くて40秒くらいだったので、瞬発力とパワーを身につけられました。

コロナ禍で驚異の記録更新
ジャパンパラ競技大会では日本パラ水泳選手権に続き、自己ベストを更新した photo by X-1

50mは、健常者だと21秒ですが、私は37秒。健常者の中距離に相当する運動時間になります。だから、前半のスピードを維持するための練習として、中距離選手のような泳ぎ込みをやっています。毎回、本当に心が折れそうになりますけど、おかげで記録が伸びていて、後半のラップタイムが確実に上がっています。

大舞台に向け厳しい練習に取り組む西田。充実感をにじませる

サポートしてくれた人たちがいたからこそ、つかめたパラリンピックの出場権。感謝の気持ちを持って、結果で恩返しをしたいです。偶然、レースの日が誕生日。自分の最高の誕生日プレゼントにしたいし、画面越しでも見てくれる人の心に残るレースができるように、頑張りたいです。今の自己ベストは37秒01ですけど、パラリンピックの予選の目標は、36秒3。その数字を毎日見て過ごしています。さらに決勝でタイムを上げたいです。メダルや順位という結果は、その後についてくるもの。私以上にコーチが期待をしてくれて、私以上に頑張ってくれているからこそ目指せるタイム。まだまだ、やれます。

text by Takaya Hirano

photo by Hiroaki Yoda