「素直で謙虚な子。それは家族の仲が良く穏やかな環境で育ったから」。今回の連載を行うにあたり大塚達宣(スポ3=京都・洛南)の人柄について問うと、必ずと言っていいほどこう返ってきた。どれだけ高いステージに行こうとも、変わらず素直さや謙虚さがある…

「素直で謙虚な子。それは家族の仲が良く穏やかな環境で育ったから」。今回の連載を行うにあたり大塚達宣(スポ3=京都・洛南)の人柄について問うと、必ずと言っていいほどこう返ってきた。どれだけ高いステージに行こうとも、変わらず素直さや謙虚さがあるのは、幼い頃からの家庭環境が関係しているのだろうか。「本当にごく普通の家庭で育っただけなんです。達宣がここまで来られたのは周りの方々のおかげなんです」と母親の淳子さんは何度もそう言った。淳子さんが話す『ごく普通の家庭』とはーー。今回は幼少期から小学6年生までの前編をお送りする。

穏やかな家庭環境


バレーボールで遊ぶ幼い頃の大塚

 父母ともに高校の体育教師をしており、バレー部の顧問をしていた。結婚し母親の淳子さんは専業主婦となり、2000年に第一子を出産した。父の正宣さんの『宣』と、目標を『達』成できたらいいなという希望や、多くの友『達』に囲まれて育ってほしいという願いを思いを込めて、達宣と名付けた。生まれたばかり頃の身長は平均的だったものの、1か月が経過してからすくすく成長していった。

 幼い頃から家族との時間を大切にしていた。大塚家で習慣にしていたのは、両親、妹の4人で会話をしながら夜ご飯を食べること。これは子どもたちが高校生になり多忙になっても変わらなかった。両親が「今日は楽しかったか?」と様子を聞くことから始まり、学校の友達や趣味の話をするなど、会話の絶えない家庭を築いてきた。家族でコミュニケーションを取る上で両親が意識してきたことは2つあった。一つは頭ごなしに決めつけるのではなく、最後まで子どもたちの話を聞くこと。「もし子どもが泣いていたら『あんたが悪いからでしょ』と決めつけるのではなく、自分で泣いている理由に気づくまで時間をかけていた」。また、礼儀作法を教育する際も叱ることはなく、自ら実践し親の背中を見て身に着けてもらおうと心がけていた。注意をするときは「嫌だろうけど先に言うね」と前置きし、なぜ気をつけなければならないかを同じ目線に立って伝えていたため「そうやな。ありがとう」と素直に受け入れてくれた。そしてもう一つが、日常の中で「ありがとう」の言葉を大切にすること。ただ、両親から「感謝しなさい」と伝えていたわけではなかった。「ありがとう」とよく言葉にする両親を見て、自然と感謝の気持ちを大切にするようになった。穏やかな環境だったため、きょうだいともに反抗期はなく育った。休日には家族で祖父母の家を訪れたり旅行に出かけたりと、一緒に過ごす時間を楽しんだ。

目を輝かせる場面を大切に


戦隊モノの『ブルー』のおもちゃを握りしめる大塚(左)と妹

 子どもたちには毎日楽しく生きがいのある人生を送ってほしい。楽しく熱中できることを見つけてほしいという思いから、2歳の頃に水泳教室を勧めた。しかし体験してすぐに「たっちゃん嫌だ」と拒まれた。また全10回ほどある体操教室にも通っていたが、終えても続けたいとは言わなかった。おとなしく優しい性格だったが、好き嫌いがはっきりしていた。その当時、夢中になっていたのが戦隊モノ。「好きなキャラクターは主人公のレッドではなく、脇役のブルーだった(笑)。王道を行かないのは、今の堅実なプレースタイルに通じているのかもしれない」。

 初めて熱中できたスポーツがバレーだった。興味を持ったのは小学校3年生の頃。パナソニックパンサーズの下部組織であるパンサーズジュニアの部員募集の広報紙を持ってきた。うれしいことがあってもはしゃがず、悲しいことがあっても落ち込むことはない、冷静なタイプだったが、目を輝かせて「こんなのやってみたい!」と淳子さんのもとに駆け寄ってきた。体験入部後、帰宅して一番に「楽しかった」とうれしそうに話した。家に帰ってからはずっとボールに触れているほど、バレーに熱中した。特に楽しそうに練習していたのがスパイク。「ミスをせず打つ方が好きだったみたいで。当時から思いきり打つ『大砲タイプ』よりは、コースを狙う『スナイパータイプ』だった」。だがサーブ練習では、おとなしく自己主張できない性格であったため、ボールを拾っても他の部員に一生懸命渡していた。試合に出場するようになってからは、上達したいと欲が出てきて少しずつ積極的になっていった。バレーを楽しめたおかげで社交的になり友達も増えた。

バレーを続けさせる上で親として大切にしていること

 バレーを続けさせる上で両親が大切にしていたことが2つあった。一つは、子どもの練習に介入しすぎないこと。両親ともにバレーの指導経験を持つが、家では技術的な話を一切しなかった。専門的な指導は監督やコーチに任せ、基本的には見守っていた。ただ、遠投や体をひねるといったバレーの基礎的な動作を鍛えるため、休日は野球ボールを使いキャッチボールをしたりグラウンドゴルフで遊んだりした。もう一つは、学校生活をおろそかにさせないこと。学生である以上、本分は部活よりも勉強だからだ。「せっかく学べる立場にあるのだから、勉強も部活も頑張らないといけないのは当たり前。テスト前は勉強を頑張り、友達と遊ぶときは思いっきり遊ぶ。バレーボール一色にならず、豊かに生活してほしいという思いがあった」。

8年後の東京オリンピックに出たい


エリートアカデミーの合宿で書いた未来設計

 小学校6年生の頃コーチの勧めで、公益財団法人日本バレーボール協会(JVA)が主催する「JVA男子・女子エリートアカデミー合宿」に参加した。例年、主に小学6年生を対象にヤングエイジからの一貫指導として、将来の日本代表チームにつながる有望選手発掘を目的に行われている。普段通っているチームの中では最も背が高かったが、参加した12人の中では小さい方だった。また自分よりもプレーが秀でた選手が多くいた。合宿から帰ってくると開口一番にこう言った。「全国に行ったら僕よりも大きくてバレーができる友達がたくさんいた!うれしい!」。合宿でハイレベルな仲間たちと出会えたことで、バレーに取り組む姿勢が変わった。自分よりもレベルの高い人たちと戦ってもっと強くなりたい。そして8年後のオリンピックに出たい。それから全日本の代表になることを目標とするようになった。

(記事 西山綾乃 写真提供 大塚淳子さん)