じめじめとした梅雨入りの季節に、浮かない気持ちをからっと晴らしてくれるのが、試合前とハーフタイムにおこなわれる、チアリ…

じめじめとした梅雨入りの季節に、浮かない気持ちをからっと晴らしてくれるのが、試合前とハーフタイムにおこなわれる、チアリーダーのはつらつとしたダンス・ショーとスプリンクラーの散水だ。初夏のスタジアムでは、つやつやと水を含んだ芝生のうえを通って吹く涼しげな風が心地いい。FCバルセロナで、パススピードを上げるためにヨハン・クライフが始めた散水が、いまではスタジムで四季を過ごすこの国のサッカー観戦者を楽しませている。

■試合の前にはピッチに散水

 6月13日の日曜日、私が監督を務める女子チームは、練習試合の試合直前にピッチに水をまいてもらった。係員がメインスタンド(といっても、100人ほどが座れる観客席があるだけなのだが……)裏にある操作パネルを開き、スイッチを入れると、両タッチライン外のハーフラインあたり、そして両ゴール裏に設置された散水装置から、まるで消防車の放水のように勢いよく水が飛び出す。放出された水は数十メートルを飛びながら、数分のうちにピッチ全面をカバーする。

 といっても、最近プロの試合で必ずと言っていいほど見かける戦術的目的での散水ではない。1週間以上雨がなく、気温も高い日が続いたため、土のグラウンドはカラカラに乾き、走るともうもうと土煙がたつ状況だった。ここでは、散水は、土ぼこりを抑えることを目標に行われるのである。終了すると、白っぽかったピッチが見事に黒々となる。同時に、ピッチの表面温度を多少は下げる効果もある。

「でも土に水分がはいったのはほんの表面だけ。この天気だと、15分もしたら元のようにカラカラになってしまうけどね」。係員のおじさんにお礼を言うと、彼はそう話した。

 7000平方メートルを超すサッカーグラウンド全面に水をまくには、相当な量の水が必要だ。しかしこの施設では、水資源を無駄遣いしているわけではない。雨水をためておき、使用者が依頼すると、それをまいてくれるのだ。散水ポンプの電気代はかかるが……。

 この施設を使うとき、真夏の暑い時期には、必ずといっていいほど試合前に散水してもらう。選手の子どもたちは、水がまかれることを熟知しており、わざわざピッチに出ていって、水が滝のように落ちてくるところを追って走り回り、キャーキャー言って喜んでいる。当然、着替えも用意している。親がプールなどに連れていく時間がなくても、けっこう楽しい時間を過ごしているのだ。

■美しいハーフタイムの風物詩

 さて、今回のテーマはピッチへの散水である。しかし土ぼこりを抑えるための水まきでも芝生の養生のための水まきでもない。試合の直前やハーフタイムに、ホームチームの要望に応じて行われる散水である。最近のピッチの多くは、数十の埋め込み式のスプリンクラーがピッチ全面に均等に設置してあり、試合前、ウォーミングアップを終えた選手たちがピッチを去ると、芝生のなかからそのスプリンクラーが立ち上がり、回転しながら水をまいていくのである。

 緑のピッチに十数本の真っ白な水柱が立ち上がり、円を描きながら水をまいていく様子は、なかななか美しい。ある人はそれを「噴水ショー」と呼ぶ。私は「水芸(みずげい)」と呼んでいる。

「水芸」とは、江戸時代に生まれた演芸の1ジャンルで、日本髪、着物に袴と裃(かみしも)姿のお姉さんの扇子の先などから華やかに水が噴き上がるという、いわばマジックの一種である。いや、マジックというより、イリュージョンと言ったほうがふさわしいようなスケールの大きな仕掛けなのである。残念ながら私は実見したことはないが……。

 それはともかく、なぜそもそも試合の直前やハーフタイムに水をまかなければならないのだろうか――。

 私が初めてサッカースタジアムで「水芸」を見たのは、たしか2001年に日本代表がヨーロッパに遠征してスペインでスペイン代表と対戦したときだった。コルドバの小さなスタジアムでの試合だったが、その試合直前に水をまいているのに驚くと、欧州サッカーに詳しい人から「スペインでは常識になりつつある」と聞かされた。

■湿度計で芝生を測ったヨハン・クライフ

 目的はパススピードを上げるためだという。もちろん、水浸しになり、いわゆる「水が浮く」というような状態になってしまったら、パスどころではない。水たまりではボールは転がらず、パスなど止まってしまうからだ。しかし芝生が適度に濡れていると、グラウンダーのボールは滑るように走る。

 それを始めたのは、1988年から1996年までFCバルセロナの監督を務めたヨハン・クライフだったという。1990年代半ばにバルセロナが圧倒的なパスワークで欧州を制覇するのは、クライフが植えつけたパスサッカーが威力を発揮した結果だった。

 その彼が、1990年代のはじめに始めたのがピッチの散水だった。カンプノウ・スタジアムだけでなく、練習場にもスタートの直前に水をまかせてトレーニングを行った。もちろん、彼は芝生の長さにも非常に神経質で、試合の日の芝生の長さを自分の要望どおりにすることを厳しく求めたという。

 マンチェスター・ユナイテッドで長く監督を務め、クライフのライバルでもあったサー・アレックス・ファーガソンは、ある試合の前日に、クライフが湿度計をもってピッチのあちこちを歩き、芝生の湿度レベルを計測しているのを目撃したという。

 このころのバルセロナは念願の欧州チャンピオンズカップ(現在のチャンピオンズリーグ)を初制覇し、国内リーグも4連覇するなど、「ドリームチーム」と呼ばれていた。レアル・マドリードが「銀河系軍団」をつくる少し前の時代の話である。圧倒的に強かったから影響力もあった。スペインのスタジアムでは、多くのクラブが試合直前に散水するようになった。私が見たコルドバのスタジアムも、その流れのひとつだったのだろう。

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