本誌を創刊したときのエピソードだ。一部に、なぜ「サッカー批評」なのか、なぜ「フットボール批評」じゃないのか、という意見…
本誌を創刊したときのエピソードだ。一部に、なぜ「サッカー批評」なのか、なぜ「フットボール批評」じゃないのか、という意見があった。このスポーツの本名は「フットボール」なんじゃないの、世界では「フットボール」をプレーしているんじゃないか、と。しかし、日本ではこのスポーツは「サッカー」なんだと一蹴された。見識である。きわめて正しい。サッカーは、このスポーツの日本語での正式名称なのである。
■「SOCCER」の発音
しかし「soccer」という言葉自体は、JFA設立前には日本にも伝わっていた。「出島」の時代ではないものの、今日のように海外からの情報があふれている時代ではない。当時の選手たちは高額をはたいて洋書を購入し、競技とその技術を学んでいた。そうした本のひとつに、『HOW TO PLAY SOCCER』という本があった。「SOCCER」がアソシエーション・フットボールのことであることはわかったが、どう発音していいかわからなかった。
しかし1918年(大正7年)、関西のあるサッカー関係者に、アメリカ留学から帰ってきた人が「サッカーと発音するのが正しい」と教えた。その関係者は、新しくつくったばかりのチームに「大阪サッカー倶楽部」と命名し、その後「サッカー」という言葉が全国に広まったという。この話は、JFAの機関誌『サッカー』の1966年11月号に田辺五兵衛氏が紹介している。
■慶応はなぜ「ソッカー部」なのか
一方、東京の慶応大学では、「大日本蹴球協会」が誕生した1921年(大正10年)に「ソッカー部」が誕生している。余談ながら、早稲田大学サッカー部の正式名称は「ア式蹴球部」。「ア式」は、もちろん、「アソシエーション式」の略である。モダンな響きを好んだ慶大生とあくまで質実剛健を尊ぶ早大生。その違いは、サッカー部の名称にまで及んでいるのである。
さて、話は下って1976年、私は初めて英国に行く機会を得た。旅行会社とのタイアップ企画で『サッカー・マガジン』から記者ひとりを英国まで連れていってくれることになり、私が行くことになったのだ。「ダイヤモンド・サッカー」の岡野俊一郎さんの話などから、サッカーのことを「サッカー」という国は世界中にそう多くなく、単に「フットボール」と言うことが圧倒的に多いこと、英国でも同じであることは知っていた。しかし英国には『World Soccer』という有名な雑誌がある。「サッカーでも通じる」と、私は信じて疑わなかった。
「ふ~ん、日本の雑誌記者なんだ。それで何を取材にきたの?」
列車のなかで隣り合わせた人と話しているうちに、そう聞かれた。会話はこんなふうだった。
「サッカーです」
「えっ、何?」
「フットボールですよ」
「ああ、ソッカー!」
ジョークではない。「soccer」を「サッカー」と読むと信じて疑わなかった私は、大きなショックを受けた。サッカーの母国では「サッカー」では通じず、「ソッカー」と発音しなければならなかったのだ。言葉の成り立ちからすれば納得いくことではあるが……。ともかく、このとき突然、私は慶応大学の「ソッカー」部は、英国留学から帰った人が教えた発音に従ったものだったことを理解した。
■本家は湘南ベルマーレのDFみたい
この理解が正しいことを確信したのは、1994年ワールドカップのときだった。大会の地元組織委員会委員長を務めたアラン・ローゼンバーグ氏が、演説のなかで繰り返し「サッカー」と発音したのだ。いや、日本語の「サッカー」というようななまやさしいものではない。彼の発音は、「サ」に極端に強いアクセントが置かれ、ほとんど「坂」に近かった。湘南ベルマーレのDFみたいだ。
日本語の「サッカー」は、まあ、ちょっとした誤解というか、サッカーが英国生まれであることを忘れ、アメリカ英語もイギリス英語も同じと思い込んだところから始まったものなのである。しかしそれが1世紀も使われ、しばらくは「蹴球」に押されていた時期もあったものの、選手やファンが語るときには常に、そして圧倒的に「サッカー」であることを考えれば、それはそれでかまわないのではないかと、私は思っている。カタカナで書く「サッカー」は、間違いなく日本語だからだ。
私がサッカーを始めた1960年代には、「サッカー」という言葉がメディアに登場することは非常にまれだった。完全な「マイナー競技」だったからだ。新聞や雑誌を読みながらごくたまに「サッカー」という言葉が出てくると、「おっ!」と腰を浮かす。だがそれはたいてい、パジャマなどに使われる通気性の良い生地の話で、「な~んだ」とがっかりするのである。オールドファンなら、誰でも経験のある話だろう。