マウンドに上がると、胸に手をあて、心を落ち着かせる。早慶戦にかける思いは、誰よりも大きかった。東京六大学野球春季リーグ…
マウンドに上がると、胸に手をあて、心を落ち着かせる。早慶戦にかける思いは、誰よりも大きかった。
東京六大学野球春季リーグは慶大の3季ぶり38度目の優勝で幕を閉じた。あと1勝の「重さ」が選手達を強くし、2季連続で優勝を逃していた雪辱を果たした。
「去年の悔しさというのは決して消えるものじゃないと思うので、今日、ゼロに抑えたことをこれからも継続していけたらなと思います」
5月29、30日の早慶戦。1回戦を3-2で勝利を収めた慶大の左腕・生井惇己投手(3年)のコメントが印象に残った。1点リードの7回から登板し、2イニングを無失点に抑える好投を見せた。
ずっと、頭から離れなかった記憶。これからも忘れることのない打球。生井はこの半年、リベンジの機会を待っていた。
昨年の11月8日、秋の早慶戦。勝てば優勝だったが、2回戦の9回表。1点リードの2死一塁という場面で生井は、早大・蛭間拓哉外野手に初球のスライダーをバックスクリーンに運ばれた。
大逆転Vを手繰り寄せる一打に歓喜する早大ベンチ。マウンドに膝から崩れ落ち、うずくまる生井……無情のコントラストが映し出されていた。
29日の試合は約200日前の“あの時”と同じ、1点リードの展開。天に向かって右腕をめいっぱい伸ばし、ダイナミックなフォームから繰り出す最速148キロの直球で、相手打線を抑え込んでいった。7回を三者凡退に仕留めると、慶大・堀井哲也監督から「次の回もいくぞ」と告げられた。背筋が伸びた気がした。
「蛭間選手に回るという自覚はありましたが、1人1人抑えていこうという気持ちでした」
8回先頭の中川卓也内野手(3年)から三振を奪い、1死。打席に目を向けると、“因縁の相手”ともいえる蛭間がいた。一発を許せば同点の場面。自然と力は入った。
高鳴る鼓動を感じながら、一球一球、投げ込んだ。1ボール2ストライクからの4球目。スライダーが高めに浮いた。蛭間はそれを逃さなかった。強烈な打球を右前に運ばれた。生井はマウンド上で天を仰ぐと、帽子を被り直しながら苦笑いを浮かべた。
「これまで僕がやってきたものを出そうという気持ちで臨んだんですが、結果としてはヒットになってしまって、まだ蛭間選手には及ばない実力だなというのを痛感させられました」
そのあと、安打と四球で2死満塁のピンチを作ってしまったが、熊田任洋内野手(2年)を二ゴロに打ち取り、得点を許さなかった。左手でガッツボーズし、ベンチ前で出迎えるチームメートとハイタッチを交わした。
「8回はバタついてしまって、僕の実力不足は否めない。まだまだですけど、そこをゼロに抑えられたのは意地を見せられたかなと思います」と淡々と振り返った。

堀井監督は「たまたま、ひとつ(一球)高かったボールを繋がれただけ、シングルヒットは仕方がないよと言っている。私は十分、いいピッチングだったと思っています」とねぎらった。
そして翌日の2回戦でも、対戦の機会がやってきた。1点ビハインドの8回にマウンドに上がると、先頭の中川卓に左前打を許し、蛭間を迎えた。初球は内角への直球でストライクを奪い、続く2球目も捕手は同じコースに構えた。懐を目がけて、腕を振ったが、ボールが少し抜け、死球を与えてしまった。もちろん、打ち取ろうと攻めた結果だった。生井はうずくまる蛭間に謝りながらも、悔しそうな表情を浮かべた。リベンジは秋にお預けとなった。
涙を流すほど痛烈に刻まれた本塁打の悔しさがなくなったわけではない。だが、今年の早慶戦を1勝1敗ながらも笑顔で終えることができたのは、支えてくれる監督、先輩、仲間がいたから。生井と蛭間はともに3年生。対決はこのあとも続いていく。ライバルを倒すためだけに野球をやっているわけではない。蛭間には打たれたが、チーム全員で早大から白星を奪った。それだけで十分、価値がある。
苦い記憶は生井を投手として、一回り大きくした。全員でつかんだ頂点。メンバーそれぞれが1つ勝つことの重みを感じていたからこその優勝だったのだと思う。
(Full-Count 上野明洸)