かつてJEF千葉に身長204センチのFWオーロイがいたころ、ヘディングの競り合いで、身体に足をかけてよじ登ったDFが…
かつてJEF千葉に身長204センチのFWオーロイがいたころ、ヘディングの競り合いで、身体に足をかけてよじ登ったDFがいたのには驚いた。彼はJリーグ史上で最長身の選手であり、フィールドプレーヤーとしては世界でもっとも高いと紹介されていた。同チームだった166センチの町田大和(現在は大分トリニータ)と並ぶと、倍以上は高く感じたものだ。そんなわけはない? でも、身長はサッカーでもっともいいかげんなデータなのである。
■「空中の芸術家」は身長170センチ
世界では、何と言ってもウーベ・ゼーラーだ。1950年代から1970年まで西ドイツ代表で活躍したこのセンターフォワードは、毎日チーム練習が終わってからヘディングシュートの個人練習を長時間やり、ついに「空中の芸術家」となった。1970年ワールドカップの準々決勝、イングランド戦で決めたバックヘッドは、誰にも真似のできないものだった。ハーフラインあたりからゴール前に送られたロングボールに対し、ゴールを背にしたまま高くジャンプして頭に当て、ふわりと浮かしてゴールに流し込んだ。
岡野俊一郎さんは、「ハンブルガーSVの練習場は、ゼーラーが毎日ヘディングシュートの練習をするため、その走るコースだけ芝生がはげてしまっている」という逸話をよく紹介していた。
彼は1972年1月に所属のハンブルガーSVとともに来日、日本で数試合をこなしたが、そのヘディングの技術と打点の高さは、日本代表として対戦した釜本邦茂もうならせた。当時のドイツ雑誌が伝えるところによればゼーラーは、身長は170センチだった。
ヘディングが特技という枠を外せば、小柄な名選手はいくらでもいる。ペレも170センチほどだったし、ディエゴ・マラドーナは現役時代は168センチと称していたが、実際には160センチをわずかに超える程度だった。それでも圧倒的なスピードとテクニック、視野の広さで世界を凌駕した。彼の「後継者」ともいうべきリオネル・メッシも「公称」170センチである。
■4センチの背伸びで日本代表に
昔から、サッカー選手の「身長」ほどあてにならないものはない。おそらくほとんどは自己申告なのだろう。日本サッカーリーグ時代のあるチームでは、選手たちは毎年平均1センチずつ背が高くなっていた。数年すれば、本人がびっくりするような身長になっていただろう。身長は、サッカー界で最もいいかげんな「データ」なのだ。
高木琢也は日本代表のエースとして1990年代に活躍、1992年のアジアカップでは決勝戦で胸トラップから素晴らしい左足シュートを決めて日本に初優勝をもたらした。大阪商業大学のとき、上田亮三郎監督から「身長は何センチだ?」と聞かれ、「184センチです」と答えた。すると上田監督は「少しインパクトが足りないな。188センチにしろ。そうしたら日本代表になれるかもしれない」と言われ、以後188センチで通しているという
「身長・体重」の測定というと、小学校時代の「身体測定」で懸命に背筋を伸ばしたのを思い出す。童謡「せいくらべ」のように、毎年端午の節句には、家で柱の前に立ち、身長を測ってもらうのが楽しみだったが、それからしばらくすると学校での身体測定である。
この身体測定は「学校保健安全法」という法律で決められたもので、毎年6月30日までに実施しなければならないことになっているらしい。背骨が健康な状態にあるか、視力、聴力、心臓の検査などとともに、身長と体重の測定が必須になっている。これは、企業などの「健康診断」でも同じだ。身長と体重を測るのは、肥満になっているかどうかの指数を得るためで、身長そのもの、体重そのものに意味があるわけではないというところが、他の検査と違う。
■プレーヤーにとってほんとうに大切なもの
私たちは、特定の人の「全体像」をつかむのに、当然のように「身長・体重」のデータを探したり言及したりしてしまう。しかしそれは「本質」とはまったく関係のないものだ。プレーヤーの本質は、その技術(ヘディングを含む)や速さ、持久力、判断のスピード、試合を読む目、そして不屈の闘志などにあり、身長が高かろうと低かろうと、体重が軽かろうと重かろうと、あるいはまた、身長の割に体重が多かろうと少なかろうと、極端に言えば体脂肪率が高かろうと低かろうと(この数字に束縛されていた監督もいたが)、もうひとつ言えば、18歳だろうと54歳だろうと、チームが勝つために効果的なプレーをしてくれる選手であれば、そんな数字は枝葉末節にすぎない。
私は今後、できる限り、安直に身長のデータを使うのを控えようと思う。文章のなかにそうしたデータを入れることで何かを語ったつもりになるのを自戒したいと思う。
コパの例を挙げて私を励ましてくれたオレギ先生は、その後司祭となり、91歳を間近にしたいまも山口県の教会で信者たちを導き、地域の子どもたちに夢を与えるべく、元気に社会活動にいそしまれている。ちなみに、オレギ先生はとてもボール扱いがうまかったが、同時にとても小柄だった。もしかしたら、サンセバスチャンでサッカーに励んでいた少年時代の先生は、自分自身をコパに重ねていたのかもしれない。