異能がサッカーを面白くする(15)~コテコテ系MF編(1)から読む>> 移籍の自由と、3人以下に限られていた外国人枠の事…
異能がサッカーを面白くする(15)~コテコテ系MF編
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移籍の自由と、3人以下に限られていた外国人枠の事実上の撤廃を謳ったボスマン判決。このルールが施行されたのは1996-97シーズンで、欧州サッカー界はそれを境に大きくさま変わりした。世界各国の多様な選手が欧州の地に続々と結集。その最高峰の戦いであるチャンピオンズリーグ(CL)は、まさに万国旗はためく、ワールドワイドな舞台へと昇華していった。
1961年9月生まれのその選手は、1996-97の開幕をまもなく35歳の誕生日というタイミングで迎えていた。一般的には、出場が叶わなくなったとしても不思議はない年齢だが、カルロス・バルデラマはその1年前、コロンビア代表の10番兼キャプテンとしてコパ・アメリカ(ウルグアイ大会)に出場。チームを3位に導いていた。
前身のチャンピオンズカップからCLに名称が変わった1992-93シーズンの開幕を、31歳というタイミングで迎えたバルデラマだが、この大会にも出場した記録がない。欧州サッカー界でプレーした期間が、そもそも4シーズンしかない(モンペリエで3シーズン、バジャドリードで1シーズン)のである。「世界の名プレーヤー100人」を選べば、文句なく選出されそうな名手なのに、欧州の大舞台で活躍した機会はごくわずかだ。

90年イタリア、94年アメリカ、98年フランスの各W杯に出場したコロンビア代表カルロス・バルデラマ
バルデラマは1987年、南米最優秀選手に選ばれていた。同年のコパ・アメリカの3位決定戦で開催国アルゼンチンを撃破。その立役者として南米大陸に衝撃を与えた。1987年コパ・アメリカは、日本のお茶の間では視聴することができなかったと記憶する。もちろんネット社会も発達していなかった。
日本人にとってバルデラマは、知る人ぞ知る選手。遠く離れた場所でプレーしていた、まさに伝説化されやすい選手だった。
筆者が初めて実際に見たのは、その2年後に行なわれた1989年コパ・アメリカ、ブラジル大会だった。
ボンバーヘア。しかも金髪。ライオンのたてがみのようで、毛の量も凄い。常軌を逸したヘアスタイルで、ピッチ上に主役として君臨した。ピッチをパッと眺めただけで、どこにいるか、ひと目でわかる圧倒的な存在感を発していた。
それまで、ビジュアルのインパクトでナンバーワンだった選手と言えば、1987年の欧州年間最優秀選手(バロンドール)で、1988年欧州選手権西ドイツ大会で優勝したオランダのルート・フリットになる。ドレッドロックスの黒髪を振り乱して大股で疾走するダイナミックなアクションに、度肝を抜かれ、目が点になったものだ。
ボンバーヘアとドレッドロックス。1987年の南米、欧州両大陸それぞれの年間最優秀選手は、ビジュアルショックの度合いにおいても抜きんでた存在だった。日本人が身近に感じたのは当時、セリエAのミランでも活躍していたフリットのほうだが、実際にそれぞれを現地で見て、どちらが凄いかを比べてみるとバルデラマと言わざるを得なかった。1988年の欧州選手権取材で更新された選手に抱くビジュアルショックのマックス値は、翌1989年コパ・アメリカ取材で、あっさり更新されることになったのだ。
バルデラマが引退して、かれこれ20年経つが、当時抱いたビジュアルショックはいまだ更新されずにいる。
バルデラマのような選手は二度と出てこないのではないか。その貴重さ、カリスマ性をいまあらためて痛感させられる。もはや神格化されつつある。圧倒的なビジュアルにまったく見劣りしない、圧倒的なボール操作術の持ち主だった。滅茶苦茶うまかったのである。
ポジションは、4-2-「2」-2の「2」の左。あるいは中盤ダイヤモンド型4-4-2の2トップ下だった。しかし実際に試合が始まると、ピッチというステージのド真ん中に移動。まさに主役然と、完璧なボールさばきを見せつけたのだ。
利き足は右だ。しかし右利きの選手にありがちな癖がない。右足のインサイドとアウトサイド、左足のインサイドとアウトサイド、さらに両足の裏を使って、ボールを操作するのだが、どんな動きをしてもバランスが崩れない。右足に体重が乗っても、左足に体重が乗っても、軸にブレが生じない。狭い局面で、相手の逆が取れるのだ。周囲に相手のマークが3人付けば、その3人の動きの逆を突く。どんな局面でも相手から遠い位置にボールを置くことができる、懐の深い動きが特長だった。
相手を引きつけておいてパスを出す。そのパスがまたキレるのだ。キックの大半はインサイドキックだ。ボールの真横に置いた立ち足に対し、蹴り足のインサイドを直角に当てる。立ち足の膝を柔軟に保ち、やや腰を落としながら踵を押し出すようなフォロースルーをとる。教科書どおりの美しいフォームのインサイドキックながら、切れ味は抜群だ。局面をスパッと切り裂くナイフのような鋭さがある。
南米という遠い場所まで出かけて行って拝む価値のある、芸術品と認定したくなる格調の高さを備えていた。身近なところで比較したくなるのはアンドレス・イニエスタ(ヴィッセル神戸)だが、バルデラマは、右利き然とプレーするイニエスタより、動きに幅が生まれる分だけ多彩だった。
◆小野伸二よりシャビが上回った特殊能力。ゴールへの最適な針路を示す
イニエスタも「プレーが濃い」選手だが、バルデラマはその何倍も"コテコテ"だった。コパ・アメリカにはその後、たて続けに通うことになったが、欧州には珍しいそのコテコテ感を堪能したかったことがその最大の理由だ。
バルセロナ、ビジャレアルなどでプレーしたフアン・ロマン・リケルメ、デポルティーボ・ラ・コルーニャでプレーしたジャウミーニャ、ベティスなどでプレーしたデニウソンらが、コテコテと称したくなる選手になるが、その南米臭さは、ある意味で古典的だった。
欧州のサッカーを近代サッカーとすれば、フィットしたとは言い難い。バルデラマとポジション的に重なるリケルメが、バルサで出場機会に恵まれなかったことを考えると、バルデラマが欧州で4シーズンしかプレーできなかった理由がわかる気がする。
日本代表でラモス瑠偉の背後に森保一が控えていたように、バルデラマには確かにいつの場合も、彼を取り巻く選手がいた。相手ボールになった時、バルデラマはボールを奪う作業に参加しなかった。ピッチの真ん中にいながら、その様子を眺めているだけだった。マイボールの時だけ活躍する選手。圧倒的なプレーを見せる選手。そうした意味で古典的だった。
リケルメは2005-06シーズン、ビジャレアルの一員としてCL準決勝まで進出した。アーセナルと戦ったその第2戦で、自らPKを外す失態を演じたが、古典的なプレーと折り合いをつけながらも欧州の頂点に迫った。
リケルメとの比較で大きく上回るバルデラマなら、どうだっただろうか。リケルメを天才と言うなら、バルデラマは怪人だ。CLの舞台で一度、見たかった選手を挙げよと言われれば、文句なくコロンビアが生んだこの怪人になる。強烈な南米臭をいかんなく発露させたその古典的なコテコテのプレーを、近代サッカーの最前線であるCLの舞台で見てみたかった。
そこでどんな化学反応が起きるのか。たっぷりと想像してみたい。