内川聖一(大分B-リングス)インタビュー@後編40歳でNPB引退を決断した理由「受け入れるしかなかった」「こんなにスライ…
内川聖一(大分B-リングス)インタビュー@後編
40歳でNPB引退を決断した理由「受け入れるしかなかった」
「こんなにスライダーが曲がるのか」対戦して驚いた日本人投手とは?
2023年、内川聖一は「独立リーグ」という新たな舞台でプレーする。
大分B-リングスは2020年に設立された大分初のプロ野球チーム。今シーズンから監督は宇佐市出身の山下和彦(元・横浜DeNAベイスターズコーチ)、ゼネラルマネージャーには大分市出身の岡崎郁(元・読売ジャイアンツコーチ)を迎えた。
大分市出身の内川は、地元に帰り、何をチームに還元しようと考えているのか。将来のビジョンを聞いた。
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引退試合で握手を交わす内川聖一(左)と村上宗隆(右)
── NPBの選手としては引退されましたが、今後は独立リーグの大分B-リングスへの入団が決定しました。地元の球団でプレーを続けるに至った経緯を教えてください。
「NPBを引退する時に、果たしてこのまま全部辞めていいのかな、という気持ちもあったんです。成績とか立ち位置を確立させるために自分を追い込んでやるのはちょっときつかったので、NPBは引退しました。だけど、すべてを辞めてしまうと、自分が小さくなる気がしたんです。
今までやってきたことが全部なくなってしまう感じがして......。だったら、プレーしてほしいと言ってくれるところで、やらしてもらおうかなという思いが生まれてきて。実際にいくつか声をかけてくれた球団があったなかで、プレーする意味を考えた時に、地元の球団でやろうという結論に至りました」
── プレイングコーチという立場になるのでしょうか?
「コーチという役職はついてないですけど、球団との話し合いのなかでは、若い選手に経験したものであったり、技術的なものを伝えてほしいとは言われています。もちろん、僕自身もそういう気持ちでいます。
今までみたいに結果を出すためにということではなくて、喜んでもらえる人のためにプレーしたいですし、大分のチームの認知度を高めることであったり、お客さんに知ってもらうきっかけになるようなことをやっていければと思っています」
── 将来的には指導者になる、というビジョンもあるのでしょうか?
「指導者は望まれないとできない仕事ですし、やりたいかどうかと言われると、まだわからないというのが正直なところです。もともと、僕は先のことをあまり考えるタイプじゃないんですよ。
プロに入った時も『何歳までやりたい』というような目標はまったくなかったです。その場、その場で何ができるのかを考えながらやってきたタイプでしたから。
ただ、今持っている自分の感覚だけではなくて、バッティングの内容とか、バッティングの指導の方向が以前と比べ変わってきている部分もありますから、そういう部分は学びたいという気持ちは持っています」
── 選手を続けながら、若い選手を指導するなかで、やりたいことを探していくイメージですか。
「そうですね。むしろ自分の持っている感覚がどういうふうに若い選手に伝わるのか、というところに興味があります。
僕はこれがいいと思っていても、彼らは違うかもしれない。そこで逆に勉強させてもらうこともたくさんあると思います。プレーヤーとしての部分と、コーチングの部分で、いい気づきであったり、いい感覚が得られればいいなという気持ちはあります」
── 現役時代から『内川塾』という合同自主トレを行なっていましたから、若い選手を指導するのは向いているのでは?
「うれしいのは、引退を表明したにもかかわらず、僕が自主トレをするのかも聞かないまま『一緒に自主トレをやらせてください』と言ってきてくれた選手がいたことですね(笑)。ほかにも『トレーニングするんですか?』と連絡をくれた選手もいます。
自分のためにやってきたものを、どうやってほかの人に還元できるか。そういうことは自然と意識させられますね」
── ちなみに内川さんがヤクルトに移籍された時、村上宗隆選手が「バッティング技術や打席の中での考え方など、いろいろ聞きたい」と言っていました。村上選手の覚醒にも内川さんが関わっているのですか?
「関わってないですね(笑)。彼はもともと、すごかったですから。何がすごいかと言えば、もちろん技術的な部分や飛距離もそうですけど、あの年齢で4番としての自覚であったり、チームを引っ張ることを意識してやっていること。
普通、あの歳だったら先輩についていくことだけで必死だと思うんです。だけど、常に『俺が先頭なんだ』という意識で打席に立っていると思いますし、結果も出し続けてきた。だからこその三冠王だったと思います」
── 内川さんが影響を受けた指導者を挙げるとすれば、どなたですか?
「本当に多くのコーチに指導を受けましたし、それぞれにマネしたい部分はたくさんありますね。特にベイスターズ時代には杉村(繁)さんから『お前はこういうバッティングがいいんじゃないか』ということを教えてもらいましたし、そのための練習にもとことん付き合ってくれました。選手の気持ちを上げるのが上手なので、いい方向に導いてもらったなと思います。
ホークス時代には鳥越(裕介)さんにもたくさんの学びをもらいました。ファーストをやったきっかけも、鳥越さんでしたね。最初は躊躇しましたけど、結果的に初めてゴールデングラブ賞を獲ることができた。鳥越さんに教わったことも、僕のなかでは宝物ですね」
── 指導者に恵まれた野球人生でしたね。
「めちゃくちゃ恵まれていましたね。自分がコントロールできない部分はすごく恵まれたと思います。出会いだったり、教えを受けるということは、自分の力だけではどうしようもできないですから。そこに恵まれたことは、本当に大きかったと思います」
── 将来的には内川監督も見てみたいところですが。
「父が高校野球の監督をやっていたこともありますので、アマチュアに興味があるのが正直なところなんです。だから今後、学生野球資格回復も取得したいという意思はあります。
プレーヤーを続けますけど、自分がプレーすることだけを考えればいいという年齢でもないですし。プレーする場を移すにあたって、それが終わった時のことも考えながらやっていきたいなと思っています」
── 将来的な方向性を考えるのはこれからとして、直近の目標はありますか?
「今は特にないですね(笑)。できれば、いろんな仕事で忙しいほうがいいです。引退して、慣れない生活を送っているので疲れることもありますけど、日々新鮮なので楽しいんですよ。
もちろん選手としてやるべきことはありますけど、NPBでやっていた時よりも時間はあると思いますので、いろんなスポーツを見たいですね。野球はもちろん、サッカーも好きだし、ラグビーも、相撲も好きなので、いろんなところに行って、いろんな競技を見てみたい思いがあります。
これまで自分がやってきた活動もあるし、求められるのはありがたいことなので、そこもできるかぎり、やり続けられればと思っています。いろんな方向から、いろんなことを経験するなかで、最終的に何をするかを決められればと思っています」
【profile】
内川聖一(うちかわ・せいいち)
1982年8月4日生まれ、大分県大分市出身。2000年ドラフト1位で大分工高から横浜ベイスターズに入団。10年間プレーしたのち、2011年に福岡ソフトバンクホークスにFA移籍する。2008年、2011年と両リーグで首位打者に輝くなど、球界を代表する稀代のアベレージヒッター。2018年にNPB史上51人目の通算2000安打を達成。2020年から東京ヤクルトスワローズで2年間プレーしたのち、2023年より独立リーグの大分B-リングスへの加入を発表する。185cm、93kg。右投右打。