2024年春のセンバツで群馬県勢初の優勝を果たした健大高崎。昨春とメンバーは大きく入れ替わっても、勢いはそのまま…

2024年センバツ決勝で、生還した選手を迎える健大高崎の青柳博文監督=阪神甲子園球場で2024年3月31日、三浦研吾撮影

 2024年春のセンバツで群馬県勢初の優勝を果たした健大高崎。昨春とメンバーは大きく入れ替わっても、勢いはそのままに3年連続8回目のセンバツ出場を決めた。「監督が誰だかわからないようなチームが良い」と語る青柳博文監督(52)がサラリーマン時代に学んだ組織論とは。【聞き手・加藤栄】

会社員生活で学んだトップの役割

 ――健大高崎の指導陣は多くのコーチやトレーナーで構成されています。監督の役割は何ですか。

 ◆「見守る」ということです。コーチや選手を見守り、少しのスパイスを加えて高めていきます。特に生方啓介部長は、選手との密なミーティングがとても良いので、「監督が違うことを言っても悪いな」と思い、私の発言はあえて短くしています。

――高校野球には、絶対的な権限を持つカリスマ的な監督もいます。それとは異なる関わり方ですね。

 ◆試合で勝つことには責任を持っています。ですが、細かな指導は部長やコーチが担当しているので、監督の私が前に出てしまうと、やりづらくなる。そう考えるようになったのは、会社員を経験したからです。私は大学を卒業し、30歳で健大高崎の監督になるまで、群馬県内で会社員をしていました。その時に「良い会社とは、社長が部下を信頼して、社長がいなくても回っていける会社だ」と気づいたのです。その経験から、自分のチームでは誰が監督かわからないようなチームが良いと考えるようになりました。

――どのような仕事をしていたのですか。

 ◆1社目は自動車関連部品の製造業です。会社の軟式野球部に所属していましたが、廃部に伴い、2社目となる地元の建設会社に転職しました。勤務先は八ッ場ダムの建設で活況だった地域にあり、営業や総務などを担当していました。

 ――今のチーム作りにつながっている点は。

 ◆2社目で担当したISO(品質マネジメントシステムに関する国際規格)の取得です。品質管理のため、どの支店でも同じやり方でものを作ることに取り組みました。

 高校野球も同じ考え方ができます。監督や部長、コーチら指導陣がいなくても、きっちり練習できるチームにしたい。そうなるようにメニューを組み立て、日ごろから指導に当たっています。

 よく会社の組織図を見ていて、人員が適材適所なのかを考えていました。今のチームも、指導陣の配置や役割はかなり意識しています。

コーチの発案で生まれた「機動破壊」

 ――健大高崎の監督になったのは創部直後の02年。就任当初から、選手の主体性を見守る指導ができましたか。

 ◆いえいえ。最初は怒鳴って練習させることもありました。そういう時代でした。ただ、その頃は、試合に勝てないことがほとんど。選手は野球部であることにプライドを持てず、校名入りのバッグを作っても「健大高崎」の名前が見えないように隠して登下校する状態でした。

 私もつてをたどって強豪校の練習を見せてもらうなど、試行錯誤しながら教え続けました。今回のセンバツの初戦で対戦する明徳義塾(高知)も、創部当初に見学させていただいた学校の一つです。13年の夏の甲子園で優勝した前橋育英の荒井直樹監督も一緒に行きました。高校野球の厳しさを教わり、チーム作りや練習に取り組む姿勢を学びました。

 安定して県大会ベスト4に入れるようになった10年ごろから、甲子園出場が見えてきて、選手たちも「先輩の作った伝統に泥を塗りたくない」と誇りを持てるようになりました。

 ――11年夏の甲子園で話題を呼んだ攻撃的な走塁で重圧をかける「機動破壊」はコーチが発案したそうですね。

 ◆そのとおりです。足や小技を使った戦術の重要性は、私も社会人チームで軟式野球をした経験から実感していました。軟式は、ボールがバットに当たった時に潰れてしまうので、ヒットが出づらく、なかなか点が入らない。実力が伯仲したチームの勝負となると、いつも1点差。点を取るには、足やバントを使った緻密な攻撃が重要です。こうした経験があったので、コーチから足や小技を使って点を取るという「機動破壊」の戦術を提案されたときにその重要性がわかり、すぐに取り入れることにしました。

選手として臨んだセンバツは?

 ――センバツには前橋商で選手としても出場経験があります。甲子園はどのような舞台でしたか。

 ◆何もできず、あっという間に初戦で敗退しました。自分は3三振で、飛んだ球は三塁側へのファウルだけ。みっともない思い出で、正直よく覚えていません(笑い)。

 ただ、甲子園に向かう時はいろいろな人たちが駅で送ってくれたけれど、帰ってきた時は保護者くらいしかいなかった。それは鮮明に覚えています。「全国にはもっと上がいる。強いチームにならないとダメだ」と思いました。

「素直で勉強家」な球児との接し方

 ――自身の高校時代と比べて、今の球児の特徴は。

 ◆今の子たちは素直で勉強家ですね。ユーチューブなどで野球を勉強していて、知識を持っている。昨チームで主将だった箱山(遥人)も亡くなった星野仙一さんの言葉を知っていたり、野球とは関係のない知識も豊富だったりして勤勉な選手です。

 指導にあたっては「彼らが知識を持っている」という前提に立ち、自らも勉強しなくてはいけない。そして、選手たちが間違っている知識を持っている場合もあるので、修正していくことも大事です。

 ――監督部屋には多くの指導書が並んでいます。

 ◆この部屋にないものも含めて、300冊くらいはあるでしょうか。私もいろいろな自己啓発本を読んだり、経営者の名言集をユーチューブで見たりして、勉強しています。自分を啓発しても仕方ないのかもしれませんが、何か野球の指導につながるのではと思っています。

 ――反対に課題は。

 ◆昔に比べたら苦労は少ないかもしれません。何もしなくても、生きてはいける。昔のように、どん底に落として成長を促すと、ひどく落ち込んでしまう場合もあり、得策ではありません。

 大事なのは、目標を決めることです。今チームには「連覇」と繰り返し伝えてきました。しっかりと目標設定をしてあげることで、選手たちが目標に向かって、やり通す力を付けることができます。

 あれこれ言い過ぎるのも良くなくて、最後の最後に少しアドバイスするくらいが最適なんです。そこが、監督として腕の見せどころですね。

 ――今後の目標は。

 ◆地域に愛されるチームを作り、群馬県を野球の強豪にしたい。それが最後の仕事かなと思っています。

 私が子どもの頃は、まだまだ群馬の野球は弱かった。夏の甲子園では1999年に桐生第一、2013年に前橋育英が優勝し、春のセンバツは24年の健大高崎が初優勝でした。これからは、群馬県の学校が常に上位争いに食い込むようにしたいです。