第96回選抜高校野球大会(センバツ)は健大高崎(群馬)が春夏通じて初の甲子園優勝を果たした。一夜明けた1日は、第1回センバツが開幕してからちょうど100年に当たる。球児たちが白球を追った当時の聖地は今、マンション群になっている。 1…
第96回選抜高校野球大会(センバツ)は健大高崎(群馬)が春夏通じて初の甲子園優勝を果たした。一夜明けた1日は、第1回センバツが開幕してからちょうど100年に当たる。球児たちが白球を追った当時の聖地は今、マンション群になっている。
100年前の開催地は名古屋市昭和区にあった「山本球場」。地元の名士、山本権十郎氏(1939年に81歳で死去)が私財を投じて建設した球場だ。
1924年4月1日午前9時、行進曲が演奏される中、地元の愛知一中(現旭丘高)、市岡中(大阪)、立命館中(京都)、和歌山中(現桐蔭高)、高松商(香川)、松山商(愛媛)、横浜商(神奈川)、早稲田実(東京)の8校の選手が入場。午前10時、高松商と和歌山中の試合でセンバツは幕を開けた。開幕投手、高松商の松本善高の第一球は内角直球。捕手、生乃徳隣のミットに収まりストライクとなった。5日間の熱戦の末、初代王者には高松商が輝いた。
第2回大会からはできたばかりの甲子園球場に会場を移した。山本球場は戦後、社会人野球の国鉄名古屋鉄道管理局(現JR東海)が使った後、国鉄民営化に伴って90年に閉鎖され、マンション群に姿を変えた。
かつて本塁があった付近には「センバツ発祥の地」のモニュメントが立ち、ひっそりと100年前の熱戦を伝えていた。住民の主婦、柳原貞子さん(71)は1日午前9時すぎ、モニュメント前に立ち、「ちょうど100年前に始まったと思うと胸が熱くなる。歴史ある大会がここから始まったということは住民としてもうれしい」と話した。
高祖父が権十郎に当たる山本宗平さん(52)は「次の100年に向け、センバツがこれからも長く続くよう祈っています」と語った。【川瀬慎一朗】