異能がサッカーを面白くする(12)~右ウイング編(1)から読む>> ポルトガルはその昔、欧州サッカーの強豪国ではなかった…
異能がサッカーを面白くする(12)~右ウイング編
(1)から読む>>
ポルトガルはその昔、欧州サッカーの強豪国ではなかった。ユーロ(欧州選手権)もW杯も、本大会にコンスタントに出場するようになったのは2000年以降。1996年欧州選手権(イングランド大会)でベスト8入りしたことが転機となった。
1996年の代表チームで中心となっていたのは、1989年、1991年のワールドユース大会を連覇したメンバーで、代表的な選手をあえて挙げるならば、ルイス・フィーゴとマヌエル・ルイ・コスタになる。
右ウイングと攻撃的MF。ゲームメーカーに好選手が溢れ、まさに中盤至上主義に染まっていた当時の日本には、ルイ・コスタのほうが断然、洒脱な存在に映っていた。一方、欧州は日本より何年か進んでいて、2000年代に入ると、ゲームメーカーに好選手が集まる傾向は薄れ始めた。それに代わって存在感を増していったのはサイドアタッカー=ウイングで、フィーゴはそのはしりのような存在だった。

バルセロナ、レアル・マドリードで活躍したポルトガル代表ルイス・フィーゴ
正面スタンド、あるいはバックスタンドに陣取る観衆は、ウイングのアクションを他の選手より間近で拝むことが可能だ。よってドリブル&フェイントがキレる選手は、現在のJリーグにおける三笘薫(川崎フロンターレ)がそうであるように、観衆の心を掴みやすい。
ヨハン・クライフはこう言った。
「両ウイングがゴールラインギリギリから、マイナスに折り返してくる瞬間が、最もワクワクする。だって、それが決まれば、ゴールの予感はグッと高まるだろう」
クライフ監督率いるバルセロナは当時、欧州のビッグクラブでは唯一(と言っても言いすぎではないだろう)、ウイングを置く4-3-3的なスタイルを志向していた。そこで右ウイングとして出場することが多かったアイトール・チキ・ベギリスタインは、クライフ監督からハーフタイムでベンチに戻るたびに「スパイクの裏を見せろ」と迫られたそうだ。タッチラインの白線を踏んでいるか。つまり大外にキチンと開いて構えているかをチェックされたという。
フィーゴが、スポルティングからバルサ入りしたのは1995-96シーズン。時のバルサ監督は、このシーズンの終盤に解任され、チームを去ったクライフだった。
しかし筆者はその時、フィーゴがその5年後に、欧州年間最優秀選手賞(バロンドール)に輝くとは想像だにしなかった。実際、当時のフィーゴは、全盛期を10とすると7か8ぐらいのレベルだった。対峙する左SBをドリブルで縦にかわす確率に基づく印象になるが、その勝率は年々、ジワジワと上昇させていった。
ウイングと言えば、「スピード豊かな」という形容詞が自動的に付随しがちだが、フィーゴはスピード豊かな選手とは言えなかった。タイミングを外して抜いていくタイプの技巧派だった。
現在のサッカーシーンを眺めてもわかるように、右利きの右ウイングは、右利きの左ウイングに比べて少数派だ。貴重な存在なのである。
右利きの左ウイングは、三笘をイメージすればわかりやすいが、利き足である右足(この場合、後ろ足)のインサイドで、ボールを押し出すように前進する。大きく踏み出すほど、縦方向への推進力は増す。すなわちドリブルしながら縦方向にアクセルを吹かすことができる。
一方、右利きの右ウイングは、同じく右足でボールを運びながらも、縦方向に加速することができにくい。右足にボールをセットしながらスピードに乗ろうとすれば、右足は前の足になるから、後ろ足である左足に比べて、一歩で進める距離は短い。そのぶん、縦方向に加速することができにくい。
さらに相手SBを抜き去ろうとすれば、圧倒的な走力が不可欠になる。伊東純也(ゲンク)や仲川輝人(横浜F・マリノス)がこのタイプになるが、SBを抜き去るまで、どんなに俊足でも前方に一定の距離が必要になる。スピード勝負を挑むためには、最低でもゴールラインまで10~15メートルはほしいところだ。
だが、フィーゴは例外だ。その場で相手を抜くことができる。ボールをほぼ右足1本で操作するのに、である。
相手の逆を突く駆け引きに長けているからだ。「あっち向いてホイ」というお遊びに滅茶苦茶強い人という感じだ。相手SBがあっちを向いた瞬間、その逆を突く。しかも内ではなく、断然、難易度が高い縦方向に、だ。
相手の顔色をうかがったり、足のステップを注視したり、ボールを微妙にずらしたりしながら、その瞬間を探る。研ぎ澄まされた感性をフルに発揮しながら、1対1に及ぶ。全盛時の勝率は優に5割を超えていた。これ以上の確率で縦に抜ける選手は、世界広しといえどそういない。
フィーゴは2000-01シーズンを前に、バルサからレアル・マドリードに電撃移籍した。激怒したバルサファンは、フィーゴがバルセロナ市内で経営していた日本料理店にも破壊行為に及んだ。2001-02シーズンのクラシコでは、フィーゴがCKを蹴ろうとした際に、豚の頭が投げ込まれるという事件も起きた。
試合は中断。ピッチにいるのは危険と判断した両軍の選手は、ロッカールームに引き上げていった。ひとりを除いて。
その時のフィーゴの振る舞いを忘れることはできない。カンプノウを埋めた98000人あまりの観衆は、ロッカーになかなか下がろうとしないフィーゴに、さらに激しいブーイングを浴びせかけた。センターサークルにひとり立つフィーゴは、そこでカンプノウの観衆に、肩をすくめて両手を広げる、ラテン人特有のポーズを取った。なぜブーイングするんだ? 観衆にそう語りかけているようだった。
バルセロニスタから愛されていたが故の愛憎劇とは、現地の記者から聞かされた説明だが、その意味はよくわかった。フィーゴはカンプノウのタッチライン際の魔術師でありアイドルだった。スタンドから最も近い位置でプレーする選手として、喝采を浴びていた。それが、レアル・マドリードの右ウイングとして活躍すれば、最も憎き選手になる。
フィーゴはなおピッチに立ち続けた。ブーイングが吹き荒れる中で、ボールリフティングを披露した。この1対1ならぬ1対98000の関係は、いまも脳裏から離れない、見応え十分の応酬だった。
ちなみに、当時のレアル・マドリードのビセンテ・デル・ボスケ監督に、フィーゴを獲得した理由について尋ねると、次のような答えが返ってきた。
「攻撃のルートは、真ん中と左右、3本あるのが本来の姿。ウチは右が弱く、ルートが2本になりかけていた。この問題を解消するためには誰を補強すればいいかという話になり、その結果、フィーゴ獲得に至ったのです」
早い話が、3FWで戦うバルサの真似をしたわけだ。レアル・マドリードも3FW的になったことで、その流れは加速。さらに右ウイングがバロンドールに輝いたことで、ウイング文化も世界にいっそう広がることになった。
しかし、それからおよそ20年。いまだにフィーゴを超える右ウイングは現われていない。スピードではなくタイミングで縦に抜く、独特の才能を持ったバロンドール級の右ウイングは。